vol.6
「リュミエールっ! 避けろっ!!」
オスカーの声に驚いたリュミエールは、その場から逃げようとした。
だが。
「うっ!」
熱い衝撃を腕に感じ、バランスを失った彼はその場に倒れ込む。
磨かれたように艶やかに冷たく光る水晶の床に、その緋色に同調するかのような鮮やかな赤い液体が飛び散っていた。
「リュミエール!」
彼の元へ駆け寄ろうとしたオスカーに、続く第二撃が放たれた。
青白い稲妻のような光の球。
「くっ!!」
際どいところでそれを避ける。
「大丈夫かっ?」
オスカーはリュミエールを抱き起こすと左腕の傷を調べた。幸いそれほど深い傷では無いが、ナイフかかみそりのような物で切り裂かれたようにすっぱりと口が開いている。
「くそっ、一体誰だっ!?」
振り返った彼らの目に、二つの姿が映った。
「あ……あれは………?」
ヴィクトールはそれ以上の言葉が出てこない。
オスカーに到っては、目を剥いたままそれらを凝視し、リュミエールも激痛の走る左手を庇いながらもそちらに目をやり、凍り付いた。
紅い氷をバックに浮かび上がるその姿。
それはこの洞窟の壁のように磨かれた緋水晶のような皮膚を持っていた。それが人型をとり、優雅に立っている。…それも二体。
しかし、それよりも何よりも三人が驚愕したのは、彼らのことをよく見知っていたからであった。
「…あ……あれ…は……私……です…か?」
長い髪、優美な仕草、そして優しげで端正な顔だち…。
「…あれは…俺なのか…?」
涼やかな目元を持つ甘いマスク、そして均整のとれた体つき。
色こそ違えども、彼らはまさしく水の守護聖リュミエールと炎の守護聖オスカーの顔姿を持っていたのである。
ご丁寧に守護聖の正装まで瓜二つであった。
「なぜ……? こんなことが……?」
オスカーと顔を見合わせ、リュミエールは無理矢理身体を起こすと、よろよろしながらも立ち上がってヴィクトールの元に歩みよる。
「俺にも……さっぱり……。一体…彼らは?」
水晶の二体が優雅に手を持ち上げ指を指すと、その先から青白い球体が発生する。そしてそれが三人の方に向かって、発射されるのだ。
「危ないっ!!」
ヴィクトールは傷付いたリュミエールを庇い、何とかその球体を避ける。
続く球体はオスカー一人を狙い、今度は彼は難なくそれを避けた。
リュミエールとヴィクトール、そしてオスカーと、二手に分かれた彼らに、球体は容赦なく向かってきた。
緋水晶らが舞いでも舞うかのように手を動かすと、次々生まれる球体が彼らを襲う。
それらを避ける為にまた、三人も光の球に踊らされる。
「くそっ!」
叫びながらオスカーは腰のレイピアを抜く。そして光の球体に切りつけるが、当然の事ながら光球には何の影響もない。緋水晶らに近づこうにも、光球を避けながらの接近はいかな炎の守護聖といえど無理な所行であった。
ヴィクトールは光球を避けつつ、リュミエールを避難させる場所を必死で捜していた。だが水晶の壁の凹凸には、いかにたおやかな水の守護聖であってもその身を隠せるほどの窪みは見つからない。
しかもその間にも二体は次々と球体を発射し、その度三人はぎりぎりの所で避けていた。
しかしよく見れば、三人の身体はあちこちに切り傷が付けられ、衣服も千切れ始めていたのである。
回避ばかりしていたのでは、いつか力尽き、やられてしまうのは目に見えている。が、応戦しようにも、その隙がない。また、彼らにオスカーの剣やヴィクトールの銃が効くのかどうか疑問であった。
「ちくしょうっ! このままではやられちまうぞっ」
オスカーですら軽口を叩く余裕がない。
水の守護聖の姿をした緋水晶は、明らかにオスカー一人を狙っていた。そしてまた、炎の守護聖の姿をした緋水晶は、リュミエール一人を狙っている。ヴィクトールが傷だらけなのは、リュミエールを庇っているからに過ぎない。
「ヴィクトール、もういいです。あれは私一人を狙っています…。あなたが私から離れれば、あなたに攻撃をしてこない。私を置いて、逃げてください」
「馬鹿なことをっ! あなたを失ったら、宇宙はどうなるんですかっ! アンジェリークはっ! そんな事を考えてる暇があったら、あいつらの攻撃をどうにかして止めさせる方法でも考えて下さいよっ!」
息を乱しながら、ヴィクトールが叫ぶ。
鍛えた肉体を持つヴィクトールであっても、リュミエールを庇って光の球を避けるのはもう限界であった。
「くそぉっ」
ヴィクトールが手にした銃で狙いを定め、引き金を引く。
風船が割れたような軽い音が洞窟内に響くが、無理な重心から発射された弾は緋水晶の二体をかすめて水晶の壁にめり込んだ。
「ちっ!」
続いて二発目が発射される。
それもまた、結果は同じであった。
(あれは…… あの、私の姿をしたものは……)
攻撃している対象から目を逸らすのはかなり危険ではあったが、リュミエールは自分の姿をした水晶体に目をやり、心を同調させる。
次々と流れ込む、緋水晶の思念。
アンジェリーク……
あなたを奪おうとするものは……誰であっても許さない
あなたが好きです
あなたを愛しています
たとえ宇宙があなたを必要としていても、
私からあなたを奪うものは許さない…
(これは………)
リュミエールの瞳から涙が一滴、零れて落ちた。
それは間違いなく自分の思念であった。かの新宇宙女王選出試験の最中、密かに抱き続けそして…、嫌悪した強烈な思慕の念。
(あれは……やはり……私自身……)
行き場を無くした心が、過剰に注がれたサクリアの、アンバランスで異常な星に淀んでいたと言うのか…。そしてそれはオスカーも同様に。
あの新宇宙にサクリアを注ぐとき、「彼女以外に女王に相応しい者はいない」と自分の心を偽りながら臨んでいた。心の奥底では「女王になどならないで、私のだけの…」と考えながらも。
そんな浅ましい情念を振り切るために、育成を請願されない時も、進んでサクリアを送り続けた。
それは彼女の未来の為ではなかったのか?
決してこんな風に、サクリアの歪んだ星に彼女を捕らえる為ではなかったはず。
表面は海洋に覆われ、激しいマグマの塊を内包した惑星は、その相反する偏ったサクリアの為に文明の発展を妨げられ、人々は苦渋してきた。そして今度はその惑星を、人々を優しく包み込む天使さえも、奪い取ろうとしているのであろうか。
緋水晶たちは彼らの分身であり、また、惑星の化身でもあった。
彼らの望みは『アンジェリークを自分だけのものにする』事。
リュミエールは戦慄した。
己の中にあった激しい感情。
折しもそれはあの夜オスカーが見せた激情と同じであり、しかも秘めている分、彼のそれよりも狂気を宿している。愛する心と決して切り離すことの出来ぬ独占欲。
それは一番彼が嫌悪するものではなかったのか…?
愛する程に逃れられぬ哀しみは、氷の杭となってリュミエールの心を貫く。
(オスカー……、私はあなたの心を理解出来ぬふりを…していたのかもしれません…)
いたたまれなくなってリュミエールは目を閉じる。
そして丁度その時、彼を庇い続けていたヴィクトールの足を、光球が貫いたのである。
「くぅっっ!」
短い呻きを上げて、二人が床に倒れ込んだ。
固い床に身体を強打して、すぐには痛みの為に呼吸すらままならない。
「ヴィクトールっ! リュミエールっ! くそっ!!」
緋水晶の炎の守護聖は、動けぬリュミエールに向かい真っ直ぐ指を差し伸べた。
「リュミエールっ!!」
狙いは違わず彼の心臓である。
紅い彼の指が青白く光り、それが徐々に膨らんでゆく。
このままその光球が放たれれば、現宇宙、新宇宙とも水の守護聖は失われてしまう。少なくとも新たに水のサクリアを持つ者が出てくるまでには、どれほどの影響が与えられることか計り知れない。
(確かに…はっきりとしない奴だっ、だが、だが……俺は…決して奴の事を理解してない訳じゃない)
これほどの情熱を秘めながら女王試験終了までに彼女を奪わなかったのは、ただ単に彼女の答えを、彼女の心の言葉を恐れていたからだけではない。おそらく生涯ただ一度だけであろう己の本当の恋。それはリュミエールも同じであることを知っていたからだ。
自分が強く彼女を望めば、彼女も心優しい水の守護聖も自分を受け入れてしまうだろうことも知っていたからだ。
それは自分の敗北であり、彼女と水の守護聖の幸せを願う心に鎧を付けてしまうきっかけであった。
本当は誰よりも……、アンジェリークの幸せを願っているはずなのに。
(俺は…奴の事を……嫌いな訳じゃない…)
オスカーはその光球が放たれる瞬間、とっさに己の携帯するレイピアをそのまま投げつけたのであった。
─── カキーンッ!
澄んだ金属音が上がり……。
投げつけられたレイピアは発射寸前の光球を宿した手を跳ね上げ、その指先を有らぬ方に向けさせた。
そのまま光球が発射される。
そしてその光球が向かう先には……。
「アンジェリークっ!!」
オスカーとリュミエールの上げる悲鳴に近い声が、虚しく水晶の洞窟に木霊した。
…続く
Postscript
次回はいよいよ最終回(……だよね、たぶん…)
果たしてアンジェリークが選ぶのは……?