vol.5
次の日、トレア大陸は海の碧が目を焼きつくすほどに快晴であった。
大陸とは名ばかりの島であるが、この惑星で一番大きな島であることは間違いない。
これほど火山の近くに街を創らざるを得ないのも、それほどに人の住める場所が少ないということである。
海辺付近まで連なる山々はそれほど高くはないが、その裾野は人々が暮らしてゆくために十分な場所とは言えない。しかも郊外に広がる山は、今は休んでこそいるものの、活火山なのである。
それらの中で一番高い山、「セレナ山」は土地の言葉で反対のもの、相容れないもの…という意味があるそうだ。
その名の由来を聞いたヴィクトールは密かに溜息をもらした。
火山に行くために、一行は登山の支度を整え、早朝から真っ直ぐにセレナ山頂を目指した。
その山はまさしく、夕べ彼女が消えゆく間際に指差した山であったのだ。
もう少しで頂上という所で、その日はあえなく暮れていった。
夜の登山は危険が伴う。
それに捜索すらままならない。
ヴィクトールの提案でその日は九合目あたりで一泊し、明日あらためて頂上を探索することになったのだ。
誰が言うともなく、何故か皆頂上を目指していた。
何かに引かれるようにリュミエールは頂上一点を見つめ、オスカーも一言も喋らぬまま黙々と登って行く。針の筵に置かれているような気持ちなのはヴィクトールであった。
(何故俺が二人の諍いのとばっちりをうけなきゃならない…?)
苦笑いしながらも、それほど苦にした様子もなく、先頭を登っていく。
(アンジェリーク……。待ってろよ。……今、助け出してやるからな…)
そう一人心の中で呟くのだった。
翌朝、早々に一行は頂上まで登り詰めた。
眼下には直径800M程のクレーターがあり、中央のやや他よりも窪んだ場所にはエメラルド色の水が溜まっている。
じっと目を凝らしてその水を見つめていたリュミエールが微かに声を上げた。
「…あれは…?」
エメラルド色の底。
殆ど視界などゼロに等しいその水の底に、何故か虹色に輝く球体が見える。
いや、球体…というよりも、水底に張り付いた円…といった感じだ。
一行は確信とともに、クレーターの崖を苦労して降り、その水際に立ちつくした。
「あれは何だ? 球体……? いや、何かの入口か?」
ヴィクトールの言葉が二人をはっとさせる。
「……そうだ、入口だ…。あれが…」
オスカーはそう確信して口にしたものの、それが一体何の入口であるのかまでは分かる筈もなかった。
リュミエールもオスカーの言葉を否定しなかった。
山頂に近づくにつれ強くなっていったアンジェリークの軌跡。
その球体から微かにもれる、光のサクリアの痕跡。
間違いなく、そこはアンジェリークのいる場所に到る入口なのだ。
リュミエールはなんの迷いもなく、水に足を踏み入れていた。
「リュミエール!」
気付いたオスカーが声を掛けるが、いっこうに構うことなく中心に向かってどんどん進んでいってしまう。
「我々も行きましょう」
ヴィクトールに促され、オスカーも続いて水に足を入れる。
エメラルド色の水は酷く冷たかった。
まるで氷のようだ。
これだけの高度にあって、この温度で、凍らないのは不思議な事であるが、今一行の頭にはそんな些細なことは思い浮かぶはずもない。
水深は見た目ほど深くないようだ。
その色と不透明度のせいでやや深いように思えただけで、中心の球体付近まできても1M程度といった所であろうか。
そして、先に水に入ったリュミエールが、球体、否、円に足を踏み入れた時であった。
「 ─── !?」
リュミエールの姿が忽然と消えてしまったのである。
「リュミエール!?」
声を掛けてみてもいらえはない。
水底にきらめく円にも、何の変化も見られない。
ヴィクトールとオスカーは顔を見合わすと、頷き、そして次々と円に足を踏み入れたのであった。
このまま時が止まればいいと…
何度も願った
日々膨らんでゆく心
募る想い
それでもまだ見えない、
迷う自分がいて……
思い出はやがて苦痛となり、
現実は枷となって、私をからめとる
そしてそれからも目を背けようとした私に
幻影が檻を作り出し、
………逃げられなくなってしまった
胎内を思わせる柔らかな闇。
唱うように、囁くように、何かが耳元で聞こえていた。
その中で気付いたリュミエールは、はっとして辺りを見回した。
闇……の中のわりにはうっすらと辺りを確認できるぐらいの光源がある。
自分が入って来たであろう、円の痕跡はどこにも見あたらず、かなり広い洞窟のようなホールの中に自分と、そして幾分離れた場所に倒れているオスカーとヴィクトールを確認しただけであった。
もう、あの声は聞こえない。
リュミエールは秀麗な眉を微かにひそめると、二人を揺り起こした。
「オスカー、大丈夫ですか? ヴィクトール、しっかりして下さい」
「う……ん…」
「あ……、リュミ…エール様…。…ここは?」
「分かりません。どうやら洞窟の中のようなのですが、一体私達はどこから入ったのか…それすらも…」
見ると先程水に浸かったはずの衣類もまるで濡れた様子はない。
三人は首を傾げたが、取り敢えず、今は当初の目的の方が優先である。
そういう不可思議な場所であるなら尚更、アンジェリークのいる可能性が高いことになる。
それにリュミエールは先程の声が妙に気になっていた。
(あの声……。アンジェリークのような気もします……。でも…何かが…)
彼女の声を聞き間違うはずがない。それは音楽に携わる者としても自信がある。
だが、夢現の中で聞いたせいか、今一つ確信が持てないでいた。
「何か……、何か…声のようなものを聞きませんでしたか?」
「いえ、私は何も」
「……」
話を振られたオスカーは無言で水の守護聖の顔をじっと見た。
「あれは……、いや、……よくわからん…」
ここでこうしていても仕方ないので、三人は洞窟を捜索することにした。
先程もいったように洞窟内は僅かに明るい。ちょうど星明かりぐらいの光度だ。
どうも洞窟の壁に寄生している苔のようなものが発光しているらしい。
一行はその光を頼りに洞窟内を進んでいった。
彼らが倒れていた場所はホールのようになっていて、通路のようなものは一つきりしかない。その通路もかなり幅広いものであるのだが、奥に進むにつれてどんどん狭くなっているようだ。そこ以外に行く場所もないので、彼らはそのまま奥に進んだ。
どんどん壁が迫ってくる。
今では高さ二メートル、幅一・五メートル程しかなくなってしまったが、その辺りまで来たとき、前方がここよりも明るくなっている事に気付いた。
自然と三人の歩調が早くなる。
そしていきなり視界が開けた。
「ここは……」
先頭であったオスカーが声を上げた。
闇になれた目に、僅かな光が痛い。
そこは、最初のホールよりもさらに広かった。
そして一面が、凍り付いたように輝いている。
「氷……なのか……これは……? それとも水晶か何かか? 何故………紅い…?」
確かに体感温度は氷点下であろう。
吐く息は白くなり、手足もかなり冷えている。
それでもはっきり“氷”だ、と言い切れないのは、それが紅く発光しているからであった。
光の加減で、燃えているような氷の壁。
まるで、燃えさかる炎がそのまま瞬時に凍り付いてしまったかのように、様々な形や濃淡のある氷の壁……。
決して禍々しい美しさではない。
禍々しくはないのであるが……。
どうしてこんなに虚しい美しさなのであろう…?
「リュミエール様っ、オスカー様っ、あれをっ!」
物事にそれ程動じないヴィクトールが、切羽詰まったような声を上げて中空を指差した。
ホールの丁度中心の空間辺りであろう。
輝く球体が浮かんでいる。
そしてその中には。
前に見た光景……。
「アンジェリークっ!!」
それは汀を彷徨う幻ではなかった。
確かな質量の球体。
その中の少女。
僅かではあるが呼吸しているのを示して背中が上下している。
三人は急いでその真下に駆け寄った。
しかし、その球体は遙か頭上、五、六メートル程も上にある。どんなに飛び上がろうとも届くはずもない。
「くそっ! どうすりゃいいんだっ!?」
少女の白い裸体は光のせいなのか、かなり青白い。
まさかとは思うが生命の危機はあるのであろうか?
このまま氷点下の中で、まるで冬眠するかのように眠っているだけなのであろうか?
ここから見ただけでは何一つ分からない。
もどかしさと焦燥が一同を包んだが、そこからどうすればいいのか分からなかった。
……その時であった。
背後に気配を感じたヴィクトールが振り向く。
「!!」
足音もなく三人に忍び寄ってきたモノがあった。