ジリリリリリ……
鳴り響くベルの音に、何故か不安がこみ上がる。
(これは一体なんだ…?)
屋敷の中で徹底した教育を受け、あまつさえ幼い時に守護聖として聖地に召されたので、娯楽施設になどまるで縁のないジュリアスである。うねうねと連なるレールを見てもそれが何であるのか、全く判別がつかなかった。
かろうじて、レールがあるので以前惑星の視察で見た、“列車”なるものと同じ様なものか…、ぐらいにしか、想像がつかないのも仕方ない。
……それがよもやこういった代物であるとは……。
「キャーーーーーーー!!」
スタートして間もなく、アンジェリークの楽しそうな(?)悲鳴が延々と続く中、オスカーは額に汗していた。
「じゅ、ジュリアス様……」
自分を基準に考えたため、アンジェリークに振り回されるだろうことを予測していなかった。完璧に思えた計画が足元からボロボロと崩れていく。
果たしてジュリアスが、こんな主旨の分からない乗り物に耐えうるかどうか…。
誇りの高さゆえに悲鳴を上げることもかなわず、あの小さな箱の中で一体どうしているのだろうかと思うにつけ、オスカーは首筋にチリチリと悪寒が走るのを覚えた。
…やがて、うねうねと一周した箱は、元の乗り場へと戻ってくる。
しかし、ジュリアスとアンジェリークはなかなか外に出てこなかった。
(何をしてるんだ…?)
がさがさと植木をかき分けながら、オスカーは身体を乗り出す。
ようやく、ギグシャグとロボットの様に歩くジュリアスをアンジェリークが支えながら出てきた。
「大丈夫ですか? ジュリアス様?」
よたよたと付近のベンチにジュリアスを坐らせると、アンジェリークはきょろきょろしながらそこを離れた。飲み物か何かを探しているらしい。
(よしっ)
オスカーは素早く硬直したままのジュリアスに近寄った。
取り敢えず、パークの従業員の服を着ているし、サングラスをつけ、帽子も目深にかぶっているので、一見気分の悪そうな客を気遣って声を掛けた従業員にしか見えない。
「…ジュリアス様、大丈夫ですか…?」
「お、オスカー…か?」
言葉も、声の方をむこうとして首を動かす動作も、ギシギシと摩擦音が聞こえてくるような気がして、オスカーは思わず生唾を飲み込む。
「お前…(ギギッ…)…ついて…きたのか…(ギギギッ…)?」
効果音が聞こえてくるような動作のジュリアスは、壊れたおもちゃの様で妙に笑いを誘う。
(笑っちゃいかん…笑っては……)
幸い、オスカーの心の呻きはジュリアスには聞こえない。
「私は…(ギギッギッ)……大丈夫だ…(ギギッ…)」
「こっ、これからは私が影ながらバックアップ…(笑っちゃいけない…)いたします。(笑っちゃいかんっ)どっ、どうぞっ、心安らかに…」
「(ギギッ)…うむっ」
本当は「助けなどいらん」と、突っぱねたいところであるが、先程の遊具に乗って受けた打撃は闇の守護聖の職務怠慢無気力攻撃に勝るとも劣らぬ威力であった。
力無く頷いたジュリアスは、まだ朦朧としている頭を軽く振って自身を正気づけた。
そうこうしている内に、向こうからアンジェリークが両手にコップをもって走ってくる姿が見える。
「では…私はこれで」
オスカーが素早く元の茂みに身を隠す。
…より早く、堪えきれずにそのままうずくまった。
「…くっくっく……」
縮こめた身体が震え、忍び漏らす声が不気味に響く。
声は抑えていても全身で笑いを表現しているオスカーであった。
「…ジュリアス様、エスプレッソは無かったけど、コーヒーです。…大丈夫ですか?」
「ああ…」
紙コップに注がれたそれを見て一瞬目を見張ると、用心深く匂いを嗅ぎながらそれを口にした。こういう紙のコップに入ったコーヒーを飲むのさえ初めての自分である。いろいろ分かっているつもりでも、宇宙はやはり広かった…。
ジュリアスはまだ目眩の残る頭をベンチにもたれかけると、目を閉じる。
(こんな醜態を晒してしまうとは…)
彼のプライドはずたずたである。
アンジェリークに自分の全てを晒すのはやぶさかではないが、オスカーまでも付いてくるとは思ってもいなかった。こうなってみると、守護聖の正装が妙にばかばかしい。
彼は軽い溜息をつくと、心配そうに見守るアンジェリークに気付いた。
「…お前は…楽しいか?」
そう聞いたジュリアスの瞳は真剣であった。
「えっ…、いえ、その……はい…」
なんと答えればいいのか分からないアンジェである。
「無理をせずとも良い。自分がどれ程情けない姿であるか、想像が付く」
(ジュリアス様がこんな風に言うなんて…)
アンジェリークは今までどれほど彼を振り回してきたか、今更ながらに気が付いた。
(私……、浮かれて調子に乗っていたのかもしれない……)
感じやすい瞳に輝く泉が溢れてくる。
「ごめんなさい……ごめんなさい…、私、ジュリアス様のこと考えて無かった。ジュリアス様と一緒にこれて…嬉しくて……浮かれちゃって…、長い間聖地にいらしたジュリアス様は、こんな所、…初めてで訳わからなくて…そんなこと全然考えてなかった…。ごめんなさい…ごめんなさい」
しゃくり上げながらジュリアスの胸に縋り付く。
その髪をそっと撫でながらジュリアスは、全て受け入れてしまっている自分に気付いた。
(やはり、…私はアンジェリークに甘いのか……?)
今更の自覚症状であるが、引き裂かれたプライドはそれで修正がつく。
「よい……。お前を楽しませようと、連れてきたのは私だ。今のところ目的は果たされていないが、これから…楽しむとしよう…」
いつになく、いいムードである。
森の湖で告白した時以来か……。
ジュリアスはこみ上げてくる感情そのままにアンジェリークを引き寄せて、その瞳を覗き込もうとした。
…が。
「うっっ!!」
突然再びのフリーズ状態。
「ジュリアス様…?」
急に固まったジュリアスに不審を抱き、アンジェリークは涙に濡れた顔を上げ仰いだ。
「ジュリアス様?」
呼べど叫べど、ジュリアスはしばらくの間もとに戻る事が出来なかったのである。
「くそっ……。ジュリアス様…うまくやってるな…」
先程まではまるで計画倒れであったが、災い転じて福となす…か、何やらいいムードになったきた。
オスカーは嬉しいやら悔しいやらで、いったいどういう感情を表せばいいのか検討もつかない。
自分のアドバイスがまるで役に立たないのは悔しい。しかし、…その方が嬉しい。妙にムードが盛り上がってきた二人をみるにつけ、悔しい。
守護聖人生最大のジレンマである。
「ううぅぅ…」
呻きながらも二人から目を離せない。
「うぅぅ……うっ?」
どーも先程から二人の様子がおかしいと思ったら、何故かジュリアスは再び硬直しているようだ。
「………?」
アンジェリークを抱き寄せ、その顔を見おろしたまま……視線の先は。
「しっ、しまった!」
引き締められ、盛り上がった双丘。それの作り出す谷。そして滑らかなうなじと、続く薄い肩……。
免疫のないジュリアスが硬直するに十分な素材である。
「随分おいしいカッコをしてると思ったら……これが、お…オリヴィエの……策略か…」
「ごめいとー!」
突如降ってくる緊張感のない声。
「どうぅわぁっ!」
「んふふ…、オスカー…。出歯亀とは情けないわね~」
「なっ、なにをっ……。俺は…その…ジュリアス様に計画を授けた責任からだな……って、お前……。お前こそなんでこんな所にわいて出た」
「ほんとに失礼なヤツね、あんた。『極楽トンボ』の次は人のことボーフラ扱いする気?」
「ボーフラのが実害がないだけましだ」
「あ~ら、実害が服着て歩いてるようなヤツに言われたくないわっ」
「くそっ……」
あらゆる悪態をつきたいが、言えば言うだけ返ってくる。
おそらく口でこの守護聖に勝てる者は今の聖地に存在しないであろう。そう身を以て実感してるオスカーは、黙り込む以外に抵抗のしようがなかった。不本意ながらも夢の守護聖の出現を受け入れるしかないのである。
「おやぁ~、ようやく、溶けたみたいね…」
オリヴィエの言葉に我に返ったオスカーは、二人に視線を戻す。
よろよろと立ち上がったジュリアスは、アンジェリークの先導でどうやらカフェテラスに向かっているようである。
そろそろ昼食の時間であった。
それにようやく気付いたオスカーは、その時間に対策を練ることにした。
ようは胸元が見えなければいいのである。
「まっ、あの状態じゃあ、これ以上二人の関係が進展する恐れはないわねぇ~」
「冗談じゃないっ! せめてキスぐらいはしてもらわないと、この計画を授けた“炎のオスカー”の名がすたるっ」
「ホントはそんなこと、これっぽっちも思っちゃいないくせに~~」
肘で小突かれ、図星を指されたオスカーはぐっと言葉につまる。
「みんなまだ諦めた訳じゃないのよ、相手があの奥手のジュリアスならばなおさら。…ね? リュミちゃん?」
「へっ?」
オリヴィエがウインクした先を振り返ると、そこにはニコニコと不可思議な笑みを浮かべる水の守護聖が立っていた……。
オリヴィエ様のみならず、リュミエール様までもが登場!?
このお話……、本当に収拾つくのか?
次回「愛はいばらの道(3)…?」に続く…