「へーかっ、へーかっ!」
いつもの事ながら、騒ぎながら入室してくるアンジェリークを見ると、女王陛下ロザリアは何故か胃の当たりが重くなってくるような気がする。
「ねぇっ、へーかっ、聞いて」
「『へーか、へーか』って、何だか私、平仮名で呼ばれているような気がするわ…」
女王候補だった頃にふと戻って、苦笑交じりに小声で呟く。
「あのね、私、遊園地に行くの」
「…あら、ジュリアスってばやっとデートに誘ってくれたのね」
そう聞くと、アンジェリークは急に悲しそうな顔をして首をプルプルと横に振った。
「……違うの。私から言ったのよ。……だって、ジュリアス様ってばいつまでたっても手も握ってくれないし、抱きしめてもくれない。それどころか、この間お屋敷に伺った時だって、せっかくいいムードになりそうだったのに…」
「まぁ、あんたってば欲張りね。あんなにジュリアス様に大切にされているのに」
アンジェリークの話はジュリアスのことばかりだ。ロザリアは、何となくおもしろくない。
(もう少し補佐官らしくしてくれればいいのに……)
それが建て前である事は、自分でもよく分かっている。実のところ、仲のいい二人に焼き餅をやいているのだが、そんな事は死んでも認めないたくないロザリアである。
アンジェリークと話しているとどうも調子が狂い、いつの間にかそのペースに引き込まれ、つい楽しんでしまう。年頃の少女らしい事をした事のないロザリアにとって、アンジェリークは年齢に相応しい純粋な心を取り戻してくれる、どうにも憎めない存在であった。それどころか、近ごろでは彼女の声を聞かないと一日が始まらないような気さえしてくる。
「それ以上欲張ると、ジュリアスに逃げられちゃうわよ」
「そんなぁ…。私、……ただ、ジュリアス様に好きだよって、愛してるって、いつも言って欲しいの…。ただ手をつないで一緒にいたいの。……ジュリアス様がお忙しいのは分かってるし、私だって、一応補佐官だもの…」
「一応……ね」
「だから、だからせめて二人でいる時ぐらい、もっと甘い時間を過ごしていいと思うのよ。普通の恋人同士って、いつも一緒にいたいって、思うものでしょ?」
「…まあ、そうかもしれないけど」
「だって…会話って『今日は元気だったか?』とか『執務は順調にこなしているか?』とかなんだもの…。ロザリアだって、きっと淋しいと思うわよ」
アンジェリークは手を腰に当て、ジュリアスの口まねをする。
その仕草が面白くて、ロザリアはつい吹き出してしまった。
「あーっ、ひっどーい。私、ホントに淋しいんだから…」
「わっ、分かってるわよ。ほらっ、そんな事で泣かないの。もう女王候補じゃないのよ。あんたはれっきとした女王補佐官なんだから…」
説教口調になりながらも、ハンカチでアンジェリークの涙を拭ってやるロザリアはとても優しい瞳をしている。むろん、本人にそんな事を言ったなら、猛烈に否定するであろうが。
「でもね、でも私思うの。普通の恋人同士のようにデートでもしたら、きっとジュリアス様だって、少しはいいムードになってくれると思うのよ。…そうよ、環境が悪かったんだわ」
「……互いの性格のせいだ……とは思わないのね…」
「えっ? 何か言った?」
「いーえ、何も」
すっかり自分の空想に身をゆだね、ロザリアのぼやきなど耳に入らないアンジェリークである。
「メリーゴーランドに乗るの……。ジュリアス様、乗馬がお好きだし。ゆっくりと回転する木馬の上でジュリアス様は私にこう言うのよ…『疲れないか? こちらに来い。一緒に乗ろう』……きゃーっ、なんてねっ」
「……メリーゴーランドで二人乗りなんて……あんまりしないと思うけど……。それにメリーゴーランドに乗ったぐらいで疲れるの? あんたが?」
「次はコーヒーカップ。あれって、私とっても好きなの。くるくるくるくる世界中が回って…」
「回ってるのはあんたよ…」
ロザリアは冷静に冷めた意見を述べるが、アンジェリークはやっぱりちっとも聞いてない。
「回る勢いで私がよろめいて……『アンジェリーク! 大丈夫か?』なーんて、私をしっかり押さえてくれて…」
「はぁ……」
「その次はジェットコースターね。ここよっ、ここが極めつけ! ねぇ、ロザリア? 聞いてる?」
「はい、はい、はい」
「『ジュリアス様! こわいっ』なんて言って、私、しがみついちゃったりして……。『しっかり私につかまっていろ』なんて……、や~んっ、見つめ合っちゃったりなんかしてっ!」
「……そんな暇、ないと思うけど……」
「とにかくっ。あたし、決めたの。今回のデートでジュリアス様に『愛してる』って言わせてみせるわっ!」
女王補佐官の衣装の裾をぐいっと握りしめ、堅く決意するアンジェリークであった。
つい調子に乗って、ジュリアスにいろいろ講釈してしまったオスカーであるが、幾日かすぎて冷静に考えながら庭園を一人歩いていると、何やら後悔の念がひしひしと押し寄せる。
(あー、どうしてこうオレはジュリアス様に甘いんだ……。あの方は立派な方だが…、こと女性関係の事となるとどうにも子供でいらっしゃるからなぁ…。ほっとけなくてつい、手を貸してしまう)
オスカーはふうっと大きな溜息をつき、噴水のほとりに腰掛けた。
(お嬢ちゃんと婚約してからはなおのこと、緩みっぱなしだ。…まあ、それでも執務に影響が全くないのはさすがと言えばさすがだが…)
褒めているのか貶しているのか分からない思考を繰り広げながら、オスカーは再び溜息を着く。
(いや、ジュリアス様は恋敵じゃないか。オレはまだお嬢ちゃんのことを諦めた訳じゃないからな。ジュリアス様とお嬢ちゃんの仲がその程度なら、なおさらのことだ。お嬢ちゃんが淋しい思いをしてるなら、オレのこの腕の中で慰めてやれば……)
ふっと自分の腕の中でうっとりと目を閉じるアンジェリークを想像して、オスカーは一人にんまりと笑った。
だが、次の瞬間には頭を抱えてプルプルと首をふる。
(いや、やっぱりダメだ。他の方ならともかく、ジュリアス様からお嬢ちゃんを奪い取るなんて、オレには出来やしない。……だが…、お嬢ちゃんが振り向いてくれたら…オレは…きっとお嬢ちゃんを選ぶだろう…。いや、しかし……、だが……)
答えの出ない矛盾を抱えながら、オスカーはうんうん唸っていた。先程から面白い玩具でも見つけたようにじっとオスカーを観察する視線にはまったく気付いていないらしい。
(…しかし、気になる。もし、オレの完璧なアドバイスのお陰でジュリアス様がアンジェリークと……なってしまったら…? いや、このオレが、炎のオスカーがアドバイスしたんだ。きっとジュリアス様はお嬢ちゃんをあーして…こーして…うーん……)
果てしなく妄想が広がって行く。
「あぁぁぁぁ! やっぱりダメだっ!」
「なぁーにがダメなの?」
「うわぁぁぁ!」
突如頭の上から声が降ってきて、オスカーは心臓が飛び出て庭園中をはね回ってしまうんじゃないかと思うほど驚いた。
「失礼ね。まるで驚かしたみたいじゃない」
「オリヴィエ!」
オスカーは額に二筋三筋脂汗を垂らしながら、ばくばく言う心臓を押さえてこの派手派手しい夢の守護聖を睨み付ける。
「驚かしたみたいじゃなくて、驚かしたんだっ! まったく、何だってんだ、この忙しい時に…」
「あ~ら、忙しい……ねぇ…。昼の日中に全然似合わない、爽やかとはとぉーっても縁遠い男が、よりにもよって涼やかな噴水の前に座り込んでこーんな顔だのあーんな顔だの百面相してるのが、とぉっても忙しいってゆーの?」
「……お前、オレに喧嘩売ってるのか?」
「まっ、喧嘩? あんたと喧嘩するのも面白そうだけど、せっかく塗ったマニキュアが落ちちゃうし、爪が折れたら大変だから遠慮するわ」
オリヴィエは涼しい顔をして爪先にふうっと息を掛けた。
「そんな事より何が駄目なの? 教えなさいよ。……まぁ、大体のところ、検討つくけどねぇ」
何やら上機嫌でオスカーに流し目をくれ、オリヴィエは彼の顔色を伺った。
「なっ、お前! 何か知ってるのか!?」
おもしろい程正直に反応が返ってくる。
それがオリヴィエの密やかな楽しみであることを知らず、炎の守護聖はせっかくおさまりかけた動悸が再び復活するのを感じながら一歩後ずさった。
「あんたがねぇ、そんなに動揺するなんて。ずばりっ! ジュリアスとアンジェリークでしょ?」
「え゛っ!」
「ほ~ら、当たった。あんたって顔に出るからおもしろいのよねぇ。何かあたしに弱みでも握られてるの?」
「オ~リ~ヴィ~エ~…」
恨みがましそうに見上げたオスカーは、諦めたように溜息をついて元の場所に腰掛けた。
「極楽トンボには解らない悩みさ…」
「ちょっとぉ! 『極楽トンボ』って何よ! 『極楽鳥』と『極楽トンボ』じゃえらい違いじゃないっ! どーせ言われるんならあたしは『極楽鳥』の方がいいわっ!」
「どっちでも脳天気であることには変わりない」
「美的センスの違いよっ。……って、まあいいわぁ~。あたし、今日はとってもいいことがあったからねぇ」
「ふん。大方なくしたイヤリングでも出てきたんだろう…」
「ちっ、ちっ、ちっ」
オリヴィエはオスカーの前に人差し指を突き出し、左右に振る。
「そーんなことじゃないのよねぇ……。………知りたい?」
「別に」
「あっそ、じゃ教えてあげない。アンジェによろしく言っておくわね、ばいば~い」
「って、ちょっと待て!」
くるりときびすを返したさいに翻ったストールの端を反射的に掴む。
「うぐえぇぇぇぇぇ」
「あっ、すまん」
「ちょっと、あんたっ! 人のこと殺す気?」
ぜいぜい息をするオリヴィエにたった一言ですませ、オスカーは彼に詰め寄った。
「お嬢ちゃんのところに行くのか?」
にやっと、オリヴィエが笑いを浮かべる。
「そうよ~」
「何でだ?」
「んふっふふふ…。知りたい?」
「知りたい!」
「教えない」
がくりっとしたオスカーのふいをついて、オリヴィエは素早く彼の手の届かない所に逃げてしまった。
「ジュリアスに言っておいてよ。デート、楽しみにね…って」
そう言うや否や彼はさっさとオスカーの視界から消えてしまった。
「おいっ! こらっ、ちょっと待て!」
後にはいやーな予感を胸に抱いたオスカーがぽつんと噴水の前に佇んでいた。
「……ふうっ」
一日の執務がこんなに長いと感じたことはついぞなかった。
今日、何十回目かの溜息をつき、光の守護聖はペンを持つ手を止めて目を閉じた。
デートの日が近づくにつれ、執務が次第に手につかなくなってきた。
問題のデートの日は、あした、である。
オスカーはあれから毎日のように訪れてはいるが、その事に触れたのは最終チェックのつもりか今日だけである。
(大丈夫……。私は守護聖の首座だ。何事も責任と誇りをもって、対処しなければならない。今回のことも、私は無事、任務を成し遂げなければならない。いや、成し遂げて見せる)
何やらずれた決意をしながらも、不安と緊張で手が震えてくる。
(私としたことが……。たかが“でーと”ではないか。オスカーが言ったとおり、素直に自分の心を表せばいいのだ)
それが彼にとって一番難しいことに気付かない。
自信と誇りも、時には試練となることを彼は知っているのであろうか?
否、それよりも、彼の自信と誇りが通用するのかどうかが根本的な問題であると思うが。
アンジェリークを愛していることに間違いはない。
彼女を抱きしめて『愛している』と何度ささやこうと思ったことか。
だが、彼のプライドはその気持を何度も押さえてきた。一度崩れ始めると止めどなく崩れていきそうで怖いのだ。
実はすでにもう壊れているのであるが、気付いてないのは本人のみである。
ジュリアスは気持を落ち着けるようにまた溜息をつくと、目を閉じて、オスカーと打ち合わせしたデートの手順を心の中で繰り返すのであった。
次回はついに遊園地到着…お楽しみに
……続く