vol.7
「やだ、……やだ……やめてっ…」
うぞうぞと這い回る軟体動物のような舌が、粟立つアンジェリークの肌を絶え間なく愛撫する。
余りの恐怖に気が遠くなりながらも、必死でアンジェリークは抵抗した。
「夢中にさせてあげるよ、このプレイボーイを気取る男の身体にね。
今すぐ快楽の中に落としてあげる。この男の身体なしでは、いられないぐらい……」
「そっ、そんな……やっっ!」
「この男はいつでもあなたを見てこんなふうにしたい……って、想像してたんだよ。夢でもうつつでも、あなたをむちゃくちゃに犯す幻想を常に持っていたのさ。そこにつけ込むのは、簡単な事だったよ。
─── だって、僕はその幻想を現実にしてやれるもの…」
中心の潤いに、固く熱い異物感が触れる。
その大きさに殊更恐怖心を煽られたアンジェリークは狂ったようにもがき始めた。
「いやああっっ!!」
「……他の男に弄ばれたあなたを、闇の守護聖はどう思うのかな。
…………!?」
最初にそれに気付いたのは、にやりと笑ったオスカーであるものだった。
目の端に映る影。
「………あんたは……」
クラヴィスの足を枕にしていたアンジェリークだったが、その影は覆い被さるオスカーの顔に隠されていて見ることが出来なかった。が、盛り上がった掛け布の感覚で何がおこったのか予測がつく。
「クラヴィスさ…ま…」
クラヴィスの上半身は起きあがっていた。
しかし、ただ起きあがっているだけで、虚ろな目は何も捕らえていない。
たったそれだけのことに一番驚愕したのは他でもない、オスカーである何者かだった。
「そ……そんな…馬鹿な…」
その僅かな一瞬を付いて、オスカーの表情ががらりと変わった。
苦しげに歪むその顔。
鮮烈で強い意志を湛えたその瞳……。
「ふ……ざけやがって…。お……お嬢ちゃん…、早く……、逃げろっ」
「えっ?」
アンジェリークが戸惑っているうちに、オスカーは渾身の力を振り絞り、己の身体を動かそうと試みた。見えない糸から逃れるように腕を引き剥がそうとしている。
アンジェリークを圧倒していた足の間の熱い塊がゆっくりと離れてゆく。
「……例え手に入れることが出来なくとも………俺が望んだのは……身体だけをものにすることじゃない……。俺は女性に酷い扱いをする……趣味はない…んだ………」
紛れもなく、オスカーであった。
彼の意識を押さえ込んでいた何者かの力が緩んだ僅かな瞬間に、彼の意識が浮上したようだ。
しかし、オスカーの抵抗も虚しく、それはほんのつかの間に元の操る者へと表情を変えた。ずるずると後ろに逃げかけていたアンジェリークの身体は再び強い力で押さえつけられてしまう。
「くっ……。──── まったく…、この守護聖っていう人種は皆どうして往生際が悪いんだろうね」
クラヴィスの異変に僅かに動揺したものの、それ以上何の気配もないことに安堵した彼は再度アンジェリークの方に注意を向ける。
追い詰める野獣の瞳が、アンジェリークの身体を竦ませる。
涙がとめどなく流れているのにも、彼女は気付いていなかった。
「でも、ここまでだよ。………お遊びはおしまいだ」
オスカーであるものは、アンジェリークの肩をベッドに押し付け、彼女の足の間に割り込ませた身体を擦るようにあてがった。
「ひっ………やぁ…」
恐怖にひきつり、思うように声が出ない。
「助けて、クラヴィス様っ、クラヴィスさまぁぁ!!」
ぐっと熱いモノが押し当てられ、全身に鋭い痛みが走った直後であった。
「 ─── うわぁぁっ!!」
オスカーの悲鳴が上がる。
と同時に身体の戒めがふっと消えた。
それは本当に一瞬のことで、何が起こったのか理解できないアンジェリークは、ぼろぼろと涙をこぼしながら無意識に全てのものの目から自分を隠すように小さく身体を丸めて自身を抱きしめた。
「…………いいかげんにしろ…」
聞き慣れたその声。
聞きたいと焦がれたその声。
アンジェリークは信じられない思いに呆然と瞳を見開きながら、声の主の方へ顔を向けた。
虚ろだった瞳に意思が宿っていた。
先程と変わっていたのはそれぐらいだ。
しかしたったそれだけの事なのに、それがもたらした表情の変貌はどうだろう。
彼から発散する生命の気は、これ程に強かったであろうか。
まさに、今そこに突然出現したといっても良いほどに、急激な覚醒であった。
クラヴィスの精神力ではねとばされたオスカーの身体は、向かい側の壁に勢い良く叩き付けられて床に落ち、ずるずるとそのまま意識を失う。
「クラヴィス…様……? ほんとうに?」
アンジェリークは己が何も身に纏ってないのも忘れ、ゆっくりと四つん這いでクラヴィスに近づくと、その青白い頬に手を当てた。
「クラヴィス様なの…?」
すぐには信じられなかった。
しかしその紫水晶の瞳に宿る暖かな光は、紛れもなく闇の守護聖のものだ。
「アンジェリーク……大丈夫か?」
慈しみを込めて名前を呼ばれ、アンジェリークは弾けたようにクラヴィスにしがみついた。
「クラヴィス様っ、クラヴィス様っ」
クラヴィスの胸でただ名前だけを呼びながら泣きじゃくる彼女を優しく抱きしめ、クラヴィスは大儀そうにその金の髪に唇を寄せた。
「怖い思いをさせたな……」
アンジェリークは嗚咽しながら首を振る。
「だが………今私は仮初めに戻ってきたにすぎぬ……。あやつの注意がそれているうちに何とか脱出を試みたのだが……。あやつの茨……、どうしても断ち切ることが出来ぬ。今もまだ身体の内にある。器と魂の間に茨がはびこっていて……、完全に元に戻ることができないでいるのだ」
「そんなっ、クラヴィス様……。それじゃあ………」
「ああ。………今の衝撃であやつは相当の痛手を受けたはずだが、致命傷には到っていない……。気が付けば、私は引き戻されるであろう……」
「あいつに力を奪われておきながら、それほどの余力があるなんて……。あなたなら、あいつを霧散させる事だって出来るはず」
聞き覚えのある声が二人の会話を遮った。
「オスカー様……」
「……………それはかいかぶりというものだ…」
口の端に血を滲ませ、よろよろ立ち上がったオスカーはゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
「あれに接触したあなたには分かるはずだ。……俺だって分かったんだからな。
─── あれの正体が、現女王陛下の封印された想いであるからですか?
だからあなたはあれを抹消することが出来ないでいるんだっ」
「え………女王陛下の……?」
アンジェリークは息を飲んだ。
現女王陛下と闇の守護聖との間に、かつて何かがあったことは知っていた。しかし、あれの正体がそういったものであるとは、考えもしなかった。
(“至高の存在が生み出した悪夢(ナイトメア)”って、ルヴァ様が言っていた。ただ単純に女王陛下が生み出したものなんだ…って思ってたけど。………封印された想い?? ……クラヴィス様……)
漠然と、「歴代の女王陛下達」という認識でいたアンジェリークだった。
まさかあの闇色をした獣が…、現女王陛下お一人から生み出されたものだったとは……。
「それって………」
アンジェリークはクラヴィスの腕の中で身を固くした。
女王陛下は今も闇の守護聖を愛し続けているのだろうか?
アンジェリークとクラヴィスの間を裂こうとするまで思い詰めていて、あんな恐ろしい獣を解き放ってしまったのであろうか?
そうであるならば、女王陛下の想いを踏みにじってまで闇の守護聖と添い遂げることはできないかもしれない……と思う。クラヴィスはきっと、二人の間で心揺れて苦しむであろうから。
(………でも私は………)
アンジェリークは焼け付くような胸の痛みをこらえてクラヴィスの夜着にしがみついた。
「答えて下さい、クラヴィス様。俺は…あなたがそんな理由で囚われの身のままでいるというのなら…、そんな理由でお嬢ちゃんを苦しませているというのなら……………」
彼の方に詰め寄っていたオスカーであったが、ふと、アンジェリークの瞳を見つけるとぐっと唇を噛みしめて立ち止まった。
……何もかも……全てを許容し、そして昇華してしまったかのような瞳。
穏やかな、それでいて激しく……。
もう何を言っても無駄だと、オスカーは気付く。
「………わかったよ。わかったから、もうそんな瞳で見ないでくれ、アンジェリーク…。
今夜の事は俺にもその責任の一端がある。だから、今日の所は引き下がります。ですがクラヴィス様、覚えておいてください。俺はアンジェリークを愛してる。今も、そしてこれからも」
「覚えておこう…」
オスカーは二人に背を向け、痛む身体を引きずりながら部屋を出ていく。
「オスカー…」
「…?」
「………すまない」
思いもよらない謝罪の言葉に、オスカーは何も答えず背中を強張らせたまま扉を閉めた。
「クラヴィス様……」
アンジェリークは彼の胸に擦り付けるようにして顔を隠した。
本当はまだ分からない。
どうしたらいいかなど、わかるはずもない。
それでもアンジェリークは今一つだけ決心している事があった。
「クラヴィス様があの闇の牢獄に、また囚われてしまう前に………、私を……
─── 私を……抱いてください」
「アンジェリーク……」
「何も言わないで……お願い……」
クラヴィスは目を閉じ、震える溜息を付いて、……そして口付けながら彼女を組み敷いた。
(今は……、今は何も言うまい。
許された僅かな時の中では。
闇の獣の事も、女王陛下の事も…、必ず決着を付ける。
そして今一つ………、未だ明確でない原因も……)
クラヴィスは馴染まぬ身体でアンジェリークの肢体にのめり込んで行きながら、心の奥底でそう考えていた。
Postscript
取り敢えず、一回起こしました(爆)
オスカー様、辛い立場ですねぇ~~。ほんと同情しちゃいます(T_T)
明らかになった闇の獣の正体ですが、何やらまだ一波乱ありそうで……。
うえ~~ん、予定よりかなり長くなっちゃいました(……いつ終わるんだろ……)