--------- 円舞曲
部屋に入るまで一言も話さなかったセシルは、ぼそりとランディに問いかけた。
「…ランディ……迷惑?」
「セシル…」
楽しそうだった昼間とはうって変わって黙り込んでしまった帰り道。笑顔をなくしてしまった少女を何とか元気づけようと、ランディは一生懸命いろいろな事を語りかけたが、ずっと俯いたままであった。それでもマントを握りしめた手を離すことはなかったが…。
「ずっと…ずうっと会いたかった…。やっと会えたのに……、ランディとはなれたくなかったの。何で? 何でみんなは…、ランディも…はなれろっていうの?」
「それはね、君の両親が…、いや家の人が心配しているだろうし、家の人が必死で君を捜しているとしたら、君だって気になるだろう?」
“ずっと会いたかった”の言葉に疑問を感じながらも、彼は持ち前の礼儀正しさでセシルの質問に丁寧に答える。
「……」
「みんな……その、色々な意味で君の事が心配なんだ。だからうるさい事を言うんだよ。決して君の事を追い払おうとしている訳じゃない。オレだって君の家の人が心配しているのに、君といつまでも楽しく遊んで居るわけにはいかないじゃないか。それに、聖地に住んでいるんなら、一度家に帰ってからまた遊びに来る事もできるだろう?」
セシルは俯いたままだった。
「オレだって時間が空けば君のところに遊びに行くよ。…今日一日はとっても楽しかった。君の家を探しながら走り回ったり、お喋りしたりして…。なんかこう…君とは今日初めて会った気がしないんだ。マルセルも言ったみたいに、もうずっと前から知っていたみたいな、そんな気がする。はははっ…。おかしいよね? 君みたいに可愛い子、一度会えば忘れないから、絶対に初対面だと思うのに…。どうしてかな?」
彼は、それでも顔を上げようとしないセシルをソファに座らせると、目線を合わせるために床に跪く。
「ほら……。そんな顔しちゃだめだよ。そのセピア色の瞳に涙はとっても綺麗だけど…、悲しい顔をしていると本当に悲しみに追いつかれちゃうよ? 昼間みたいに笑ってくれないか…。あの丘に吹く微風の精みたいに、君の笑顔はオレの心の中をやさしさで一杯にしてくれる」
「………うん」
少しはにかみながらも正直に話すランディに、セシルは素直に頷いた。
「そう、その笑顔だよ。オレは君の笑顔が大好きなんだ。なんだか…その…君の笑顔を見てると…何て言ったらいいのか分からないけど、オレたちの回りに微風が溢れて……オレは…訳もなく……ドキドキしてくる…」
そう言ってからランディは、はっと我に返った。
心が円舞曲に合わせるように躍っている。
(オレは何を言ってるんだ? セシルはまだ子どもじゃないか…)
慌てて立ち上がり、窓の外を眺めるふりをする。
「大丈夫。明日はきっと見つかるさ。…そうしたらまた、あの丘の上で一緒に遊ぼう。欅の梢に登って風に乗るんだ。芝生の上で寝転がって話をしてもいいな…。……あっ、もちろん、セシルが良かったらでいいんだけど」
そう言って振り向き、にっこりと笑う。
「うん。セシルもランディと一緒に遊びたい!」
ようやく元の笑顔が戻ってきたセシルを見て、ランディも嬉しくなってきた。
二人は夕食を済ませ、お茶を飲んだりゲームをしたりして寝るまでの時間を過ごした。途中、入浴する時、『水が熱い』と言って浴室から飛び出して来たセシルを見て、ランディが慌てふためく…と言うハプニングがあったが、とにかく二人が出会って一日目の夜は更けていったのだった。
「…そろそろ寝ないとね。もう随分遅いから」
「えっ? もう?」
手に持ったトランプをテーブルの上に置きながらランディは言った。
「明日は早く起きなくちゃ…ね?」
「…うん……」
まだ遊んでいたいセシルは、それでもしぶしぶ肯く。
だが、少女を寝室に案内しようとすると、彼女は泣きそうな顔をして行き渋る。
「セシル……ランディと一緒にいちゃだめ?」
「えっ? いやっ、その…」
「もう一人はいや…。真っ暗な中に一人で眠るのはいや」
「セシル、そんな訳には…」
「…セシルが……子供だから?」
ランディはぐっと詰まった。
(子供だから一緒に寝ない…となると、大人だと一緒に寝ていいってことになるのか?)
どうも悪循環しそうな思いに捕らわれている自分に気付いて苦笑いを浮かべる。
(まだ子供なんだよな…。一人で眠るのが怖いなんて…)
「よし分かったよ。じゃあ一緒に寝よう。ただし…」
ランディはセシルの鼻先を指さしてウインクする。
「おねしょはしないでくれよ」
「やだぁ、セシルそんなことしないよ」
二人は笑いながら寝室へと向かった。
---------行進曲
「んっ……」
眩しい朝の光に目を覚ましたランディは、目の前の光景を見てぎょっとなった。
(やっぱり! 成長している?!)
すやすやと寝息を立てているセシルは、今や十二、三才ぐらいに見える。髪も伸びてすでに背を覆うばかりになっていた。
だが、ランディはその事よりも、ほころび始めた花の美しさに思わず目がいってしまう。
優秀な芸術家によって作られたような目鼻立ちや顎のライン。精巧な彫刻のように見える。
眠っているその様は、女神のようにも、妖精のようにも思え、儚げな風情を漂わせていた。
少女が普通の人間と違う……異常な速さで成長している……と言う事も、なぜかランディにはその方が普通だとすら思ってしまった。それほど、昨日よりもずっと艶麗に変身していた。
口を開けたままランディは少女の寝顔を見つめ続けていた。
あのセピア色の瞳が目覚めてこちらを見たらどんな気分だろう?
ぼんやりと、そんな事を考える。
無邪気で世間知らずな少女のままで、この美しい器が歩き、話したら、自分はきっとこの少女から目が離せなくなってしまう…。
そう思った。
そして起こしてしまいたい誘惑を必死で振り払っていた。
(セシル………)
声を掛ければ露となって儚く消えてしまいそうだ。
(本当に……生きているのか?)
ランディは自分でも気がつかないうちにそっと指先を伸ばし、少女の長いまつげに触れる。
「ん……、ランディ?」
昨日より、やや低く深みを帯びた声。
セシルがゆっくりと、まだ眠たそうに目を開ける。
「…ランディ……早いね…」
話す調子は昨日とは変わっていない。
「もう起きるの……? ねぇ……今日はどこに行くの?」
ランディはまだ動けないでいた。
目の前に存在する美しい彫像が動いているのが信じられない気分だ。
「ランディ?」
「あっ? ああ……、そうだな……今日は警備の人達に聞いてみようか…」
ふいにこの少女を誰の目にも触れさせたくない想いにかられる。しかし、彼はそんな思いを無理矢理振り払った。
「今日はマルセルも一緒に探してくれるから、きっと見つかるよ」
セシルの表情に影がさす。
「セシル…?」
「いいの…、ランディ。……もういいの…。私の家は見つからない。見つかっても、もう誰もいないから…」
話す調子は昨日と同じでも、文法や言葉使いはやはり外見と同じように成長している。
「それなら……ランディと一緒にいたい……いいでしょう?」
NOと言える筈もない。
セシルの存在はランディにとって、彼の一部にすら感じられる程、心の中に入り込んでいた。ずっと一緒にいたいと思っているのはランディの方だ。
「セシル…」
「あの丘に行きたい。それから梢に登って、芝生に転がって…。動物たちの集まる湖にも行ってみたい。それから爽やかな風が吹き抜ける草原にも…。ランディとかけっこをして、二人で風になるの…。…ね? いいでしょう?」
「…うん、分かったよ」
何か。
彼女の願いを叶えてあげなければいけない気がする。
せっぱ詰まったような口調に、焦りのようなものを感じたランディであった。
(時間が……時間がないの……ランディ……)
セシルは心の中で呟いた。
朝食を終えると、丁度いいタイミングでマルセルとゼフェルが迎えにきた。
ゼフェルは徹夜でもしたのか、かなり眠そうで、それ故機嫌がすこぶる悪そうだ。
だがしかし、二人ともセシルを見ると、その人外の物のもつ儚さと、そして異様な成長に言葉を失った。
「…今日は……、取り敢えず詰め所によって…、それからみんなで遊ぼうよ」
ランディは努めて二人の驚きぶりを気にしない振りをしながら言う。
「遊ぼうよって……おめえ……」
ゼフェルすら、いつもの悪態は出てこない。マルセルにいたってはぽかんと口を開けたままセシルの顔に見入っていた。
「みんな何も言わないでくれ。オレにもよく分からないんだけど、…だけど、セシルの言う通りにしてやらなきゃならないって気がするんだ。
そのセシルが…遊んでいたいって、オレと…いたいって言うんだ。頼む…」
ランディからこんな風に頼まれるのは初めてのゼフェルであった。
『わかった』以外の言葉は言えるはずもない。
「…しゃあねぇなぁ。まっ、俺も遊びの方がいいからな」
「マルセル…」
ランディが緑の守護聖にすがるような瞳を向ける。
「…うん……。何か僕もその方がいいような気がする。…よく分かんないけど…一緒に遊びたい。ねっ? セシル?」
「うんっ」
セシルはにっこり笑う。
ランディは新たに、その笑顔に心を奪われた。
(俺が……、オレが守ってやらなきゃ。すがり付いてくる華奢な手…。オレが……)
草原を風が吹き抜ける。
聖地は今日も抜けるような青空と透き通る大気に包まれている。
少女と少年たちはフリスビーやサッカー、思いつくあらゆる遊びで時間を費やした。
緑や風、自然の息吹が作り出す行進曲は彼らを訳もなく誇らかな気持ちにさせる。
『自分たちは、今生きている』
『この風の一部になっている』
そんな躍動感が四人の心を占め、彼らは精一杯、生を満喫した。
子供達はいつも何かに追われている。
生きるということ。その意味。そしてやがて訪れるであろうそれらの喪失感。
彼らは理由もなく、それに追われていることを知っている。
…やがて彼らは…それが何であったのか、知ることになる。
「ねぇ、湖へ行ってみようよ」
額に汗し、息を切らしながら、マルセルが言った。
彼らの指す湖とは、闇の守護聖クラヴィスの館の裏手にある。
うっそうと茂った森に囲まれた静かな湖。
聞こえてくるのは風と囁く木の葉の音と、小鳥達のさえずりばかりだ。
そこには安らかな闇の癒しを求めて小動物が集まってくる。火照った身体を沈めるには絶好の場所だ。闇の守護聖自身は怖くても、彼の司る力は優しい安らぎに満ちている。きっとクラヴィス自身も本当は優しい人なんじゃないかと、マルセルなどは思うのである。もちろん、ゼフェルなどは、そんなことは気にしてないらしいが。
ランディもその場所が好きであった。
その場所を通る風は、いつも心が逸って飛んで行きそうになる彼をそれとなく包み、冷静にしてくれる。
午後のこの時間、大抵の守護聖は執務室にいるはずであるから、怠けて遊んでいる彼らを咎める者に出会うことはないであろう。
だが、“咎める者”ではなかったものの、静かに湖のほとりを散歩している者に出会ってしまったのである。
「……クラヴィス様…。リュミエール様…」
ランディとマルセルは、いたずらを見つかった子供のように肩をすくめた。……実際、その通りなのだが。
「ランディ、マルセル、ゼフェル…。こんにちは。…そちらは見かけない人ですね…。こんにちは」
いつものように優雅に水の守護聖は挨拶をする。
柔らかに湛えた微笑に、セシルもにっこりと挨拶を返した。
「こんにちは」
だが、視線を移したその先に闇の守護聖を捕らえた時、彼女は恐怖に目を見開いてランディの影に隠れてしまったのである。
「…セシル。大丈夫だよ。こちらは水の守護聖リュミエール様。そしてこちらが闇の守護聖クラヴィス様。怖そうに見えるけど、ホントは優しい方なんだ」
「……その娘………」
闇の守護聖がぼそりと呟いた。
セシルはランディの影に隠れながらも、ビクッと身体を竦ませる。
クラヴィスはランディを見据え、こう言った。
「……その娘の、願いを叶えてやるがよい…。風の守護聖…」
「クラヴィス様……」
リュミエールが気遣わしげにクラヴィスとランディを見比べる。
「行くぞ…、リュミエール」
そのまますっと一同に背を向けると、歩み去っていった。
「リュミエール様…、いまのは?」
ランディは『そんなの解ってる』とでも言いたげに口を尖らせる。
「…さあ、私にはよく分かりません…。でも、クラヴィス様があんな風に興味を示すのも珍しいですね…」
いつもクラヴィスの側にいる水の守護聖は、彼の瞳に湧いた深い悲しみの色を見逃さなかった。
…その悲しみの色を湛えた空が迫ってくる。
夜が…、二日目の夜が訪れようとしていた。
マルセル、ゼフェルと別れた二人は、昨日と同じように黙ったまま帰り道を急いだ。
今やセシルは十五、六歳程に成長しており、その美しさにも磨きをかけた。そして一歩歩くごとにその表情は暗く沈んでゆき、ますますランディを戸惑わせる。
「どうして…、君はそんなに悲しい顔をするんだい?」
とうとうたまらなくなって、ランディは口を開いた。
「……」
「オレと一緒にいても…、君はときどきそうやって悲しそうな顔をするんだね。どうしてだい? オレに話してみなよ」
「……」
口を開こうとしないセシルを前にして、何故かランディは自分を責めてしまうのだった。
(オレには言えないのか……。オレじゃ頼りにならない?)
クラヴィスは何か分かっているようだった。
今になると、彼女の秘密を知っている闇の守護聖を前にして、それを暴露されてしまうのではないかという恐れでセシルは怯えていたのかもしれない…、とまで思ってしまう。
悔しかった。
(オレが……まだ半人前だから?)
そう思うと目の前の美少女の肩を掴んで、彼女を悩ませている苦しみを無理矢理にでも聞き出したい衝動に駆られる。
(どうしてだ? クラヴィス様は分かっていた…。だのに何故、オレには話してくれないんだ?)
それは紛れもなく嫉妬であった。
『セシルに悲しい表情をさせる訳を知っていれば、自分はもっと彼女を勇気づけてやることが出来るかもしれないのに…』と、思いながら、訳を知っているらしい闇の守護聖を羨望している。
ランディは取り留めのない自分の心にも悩ませられた。
「ランディ……」
何か言いたげな悲しそうな彼女の瞳。
ランディはハッとした。
(そうだ。悲しいのは…、苦しいのは彼女だ。こうしてオレに何かいいたげにしているのに、話せない程辛いことなのか。クラヴィス様に会ったときも、あんなに怯えていたじゃないか)
「…ごめん。
いいよ、話したくないなら話さなくても。君がもし、話したくなったらさ、その時は聞いてあげるから…。そんな悲しそうな目をしないで。ほら、笑ってごらんよ」
そう言って自分も一生懸命笑顔を作る。
(…たぶん、きっと……)
何かが起ころうとしている予感を振り払うように、セシルも弱々しい微笑みを浮かべた。
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