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微風のシンフォニー



---------子守歌

「ランディ……、私のこと好き?」

 夜も更けて、そろそろ寝ようかと言う時、セシルはランディにそう聞いた。

「セシル…? …ああ、もちろん大好きだよ」

 深く考えず、ランディはいつもの調子で答える。
 しかしその言葉の持つ意味に気付いて、パッと顔を赤らめる。

「お願いが…あるの……」

 セシルは立ち上がると、彼の方に近寄っていった。

「本当に楽しかった。…マルセルとゼフェルと……何よりもランディとこんなに楽しい時間を過ごせるなんて…、思ってもいなかった。
 ランディを探すためにここに来たの。
 ランディに会うためだけに、私は生まれてきたのよ。
 あなたが希望をくれたから…、その勇気で私の背中をそっと押してくれたから、…だから私……、生まれてこれたの」

 ランディのもとに行くと、セシルは彼の足元に座った。

「ありがとう……ランディ。
 でも、もう一つお願いをきいて欲しいの。
 これ以上は私、わがままをいわないわ。だから、お願い…、
 私を……、今夜だけ私をお嫁さんにして…」

「えっ?」

 ランディは一瞬何を言われたのか理解できなかった。

(お嫁さん…? オレの…? 今夜だけって……それは……)

 頭に血が上って行くのが分かる。

(こっ、こんな時……どうすればいいんだ?)

 単純明快な彼の頭には単純明快な答えしか浮かんでこない。
 もちろん答えは“YES”と言いたいのであるが、それをそのまま口にするには余りにもためらいが多すぎた。

「オレたち…まだ会ったばかりだし……、その……オレ…」

「ランディ、私のこと嫌い? さっき『大好き』って言ってくれたのは嘘……?」

「い、いや、そーゆーことじゃなくて……、そんなことするにはその…まだ、オレたち早いんじゃないかと……だから…」

 セシルは唇を噛むと、すっくり立ち上がる。

「私、綺麗? 醜い?
 ランディ……私じゃ駄目?」

 言いながら彼女はブラウスのボタンを外し始める。

「ちょっ、とっ、セシル!
 駄目だよ、そんなことしちゃ!」

 にじり寄ってくる彼女をどうしていいか分からずにランディは後ずさる。

(ど、どうせなら、オスカー様にいろいろ教わっておくんだった…)

 訳の分からないことを考えながらも、本当はそうなる事を望んでいる自分に気付く。

(オレだって……男なんだから…、興味があるのは当たり前だ!)

 自分で自分を正当化しても、目の前の状況をどういう風にしていいのか分からなかった。
 このまま彼女を抱いていいのか?
 それとも、二人がもっと大人になるまで待った方がいいのか?
 取り乱しているランディは昼間、闇の守護聖に言われた事をすっかり失念していた。
 思い詰めた瞳で側に寄ってくるセシルを後に、彼は自分の部屋を飛び出していた。
「おや? あれは…」

 炎の守護聖オスカーは執務や雑事からやっと開放されて、己の領分を発揮できる場所を求めて出かける所であった。
 つまるところ、『下界にナンパ』に行くところである。
 “聖地の門”を目指してほくほくと歩いていた所で、ばったり風の守護聖と出くわしたのである。

「ランディじゃないか。いったいどうしたんだ? あの素敵なレディはどうした?」

 ランディはぐっと言葉に詰まる。
 だがオスカーの鋭い視線は、こと男女の事に関しては尚更の洞察力でランディの異変を見抜いていた。

「大方、彼女に迫られたんだろう?」

「どっ、どうして分かるんですか?」

「お前は大体顔に出るからな」

 言われて思わず顔に手を持っていくランディであった。

「で? それでどうしたんだ?」

 隠せないと思ったのか、興味津々で訪ねたオスカーに、ランディは今さっき起こった事について率直に話した。
 その話を黙って聞いていたオスカーの顔が次第に怒りに満ちてくる。

「……お前は…それで逃げ出してきたのか?」

「逃げ出したなんて! ただ…、どうしたらいいのか分からなくて…」

「そういうのを逃げ出してきたって言うんだ!」

 突然に大声を張り上げたオスカーであった。

「いいか、坊や…。よく考えろ!
 お嬢ちゃんがいったいどんな気持ちでいたか、本当に分からないのか? その場でなだめるならともかく……まあ、俺はそれも賛成しないが、逃げ出してくるなんて。
 …お前にお嬢ちゃんを任せるんじゃなかった!」

「でも! でもっ、俺達はまだそんな事、早いんじゃないかって…」

「だからって逃げ出していいのか」

「逃げ出した訳じゃない!
 俺…、一人で考えたくて」

「いいかげんにしろ!
 お前のは全部いい訳だ!
 精一杯勇気を出して、お前の腕の中に飛び込もうとしたお嬢ちゃんを、お前は何の説明もしないまま置き去りにしたんだ!
 今更何を言っても、言い訳にしか過ぎないんだよ。
 …彼女の、お嬢ちゃんの勇気は…、無駄になっちまったって訳だ」

 ランディはぐっと言葉につまる。
 オスカーの言う通りではないか。
 彼女はいつも正直に、何のてらいもなく、自分にぶつかってくれた。
 また、自分がセシルの事を好きな理由の一つもそれではなかったのか?
 ランディは今更に後悔した。

「……セシル」

「恋愛に早いとか遅いとか、経験があるとかないとか、そんなものは関係ない。問題は、自分が彼女をその腕に抱きしめて離したくないのかどうかだ。違うか? ランディ?」

「オスカー様…」

「ん?」

「俺、帰ります!」

 オスカーは薄く笑った。

「がんばれよ」

「はい!」

 勢いよく返事をすると、風の守護聖は屋敷に向かって走り出す。

「オスカー様、ありがとうございました」

 新たな勇気を見いだしたように、彼は炎の守護聖を振り返った。

(セシル……、ごめん、俺……。
えらそうな事ばっかり言って…、自分では何一つ出来なかった。
 ごめん……君とちゃんと話すべきだったんだ。…照れないで、ごまかさないで)

 彼は先程走ってきた道を、行きの半分の時間で駆け戻る。
 …透明な、彼の妖精の元に…。
 セシルは外を見ていた。
 外は闇尚暗く、星明かりに聖地の木々がぼんやりと浮かぶ。
 季節で言えば、もう夏も終わり。
 ただしこの聖地では、下界ほど季節の移り変わりは目に見えず、ただ、ラプソディを歌う風の気配でそれと知るだけだ。

「…ランディ……」

 涙は出てこない。
 言うだけのことは言ってしまった。もうそれ以上の望みもない。
 あとは……。

「セシル!」

 名前を呼ばれて振り返ると、息を切らしたランディが…いた。

「ランディ…」

「ごめん、セシル。……オレ、君を置き去りにして逃げ出した。…本当にごめん」

 セシルは目を閉じて首を横に振る。

「いいの……。ランディは悪くない。出会ってまだ幾日も経っていない子にそんな事言われたら、誰だってびっくりするもの」

「違うんだ」

 ランディはセシルの両肩を掴んで、ありったけの誠意を込めて瞳を見返した。

「君が本当に、精一杯の勇気を振り絞って言ってくれたって、オレ、分かってたのに…、それなのに、オレはそれに対して何の答えも出さないで逃げた…。それは、人として、いけない事だと思う。…それに気付いたんだ。だから、オレは…俺の気持ちを伝えなきゃいけない。
 ……セシル…。オレは君が…
 君が好きだ。
 君と一緒にいると……、まだほんの二日だけだけれど、俺の心に微風が溢れてくる。優しくて暖かな微風が。今は夏の終わりだけれど、オレは君と出会って……、初めは小さなセシルだったけれど、それでも、オレの心の中には微風がシンフォニーを奏でているように…、素敵な想いが二人を包んでいたように感じた。
 だから…、その想いを大切にしたい。きっと二人でいれば…いつも、何があってもきっと、二人風になれるよ。
 オレは君と…ずっと一緒にいたいんだ」

 セシルの瞳から涙が零れる。

「…ランディ…うれしい…」

 でも、彼女の表情はどうしてか、前よりももっと悲しみに彩られていた。

「セシル…どうして? どうして泣くの?」

「…好きよ、ランディ。大好き」

 答えにならないまま、セシルはランディの胸にすがりつく。

「…お嫁さんにしてくれなくてもいい。……こうして…、こうしていれば……」

「セシル……。オレ、正直に言うと……、オレだって君のこと……。でも、もう少し…大人になってからでもいいんじゃないか、と思う気持ちもあるんだ……。だから、心のどこかで止まれって声が聞こえる。
 ……けど、だけど……、オレ…」

 柔らかな髪の匂いが鼻をくすぐる。
 女らしさを湛えた彼女の身体を抱きしめていると、ランディの思考は危うくなる。

「……セシル」

「いいの、ランディがいやじゃないなら、私はいいの…。
 ううん。…私は今でなくちゃ駄目なの……。時間がないの……
 だから……ランディ」

 月明かりに仄かに輝く唇が、ランディを誘う。
 誘惑に耐えきれず、震える唇が、それにそっと重なった。




---------鎮魂歌


 次の日の風は秋に色づいていた。
 二人の心の中を映したように切ない風が木々を揺らす。
 何故か、ランディには分かっていた。
 セシルが自分の元から去ろうとしている。
 その訳も聞けぬまま、腕の中で目覚めた、すでに彼よりも年上になってしまった彼女を精一杯の微笑みで迎える。

「おはよう…」

 彼女もまた、精一杯の微笑みを返した。

「あの……、二人が初めて出会った丘に…行きましょう…。そこで私が話せること、全部…あなたに伝えたい」

 何かを感じたらしいマルセルとゼフェルも、早々とランディの館を訪れた。そして、オスカーも。
 それぞれに皆、あたりさわりのない話題にしらじらしい花を咲かせ、重い足取りで丘に向かう。

(これじゃまるで葬式だ)

 オスカーは呟く。
 初めてセシルを見た時は、こんな事になろうとは思いもしなかった。あの時の少女は輝かしい生命力に満ちていて、儚くとも眩しい光に取り巻かれていた。

(それが今はどうだ)

 肉体的な異常はともかく、魂はすでに生きる力を無くしている。
 風の守護聖とともに…。
 という想いだけで現世に留まっているように感じる。
 マルセルもゼフェルも、そして当のランディも、訳は分からずともその変化は悟っているようだった。

「……そう、ここよ」

 体力的にも衰えてきているのか、セシルは言うことを聞かない身体を無理矢理走らせて欅の下に駆け寄った。

「ここでランディは、『初めまして』って、私達に挨拶したのよ」

 丘の上に立つ大きな欅の木の下。
 そこはランディのお気に入りの場所であるとともに、初めて聖地に足を踏み入れたとき、余りの美しさに足を留め、挨拶をした場所であった。

「セシル……君は…」

 息がかなり辛そうだ。
 彼女が刻々とその命の輝きを失いつつあるのを、誰もが感じざるを得ない。

(何故っ?)

 ランディは叫びだしそうになる。
 セシルは立っているのがつらくて、欅の木の下にゆっくりと腰を下ろした。

「ランディが聖地に来たとき、暗闇の中で眠っていた私はその力に揺さぶられた。四方を囲まれた闇の中で、風が流れてくるのを感じた。
 初めて知ったわ。
 風がこんなに優しいってこと。
 それまでの私は暗闇の中でうずくまって夢を見ていた。まわりの人達が風を求めて出ていくのがわかっていたけれど、私はそれほど風に乗るのがいいことだとは思わなかった。
 闇の安らぎだけで私は満足していたのよ。
 でもランディの力を感じて、それまで感じていた闇の安らぎは孤独と背中合わせだって分かった時…、私はそこを出て行こうと思ったの」

 セシルの話しはとても抽象的であったが、皆は黙って聞いていた。
 いつもは文句を言ったり茶々を入れたりするゼフェルですら、黙って聖地を見下ろしている。
 セシルは話すごとに苦しそうになり、声も弱々しくなって聞き取りにくくなる。
 まるで枷を外したかのように、今彼女の命は急速にその美しい器から離れようとしていた。
 しかしそれでも、幸せそうにランディの肩に頭をもたせかける。
 その頭を、ランディはしっかりと引き寄せた。

「……怖かった…。外に出るのは。
でも……ランディの力は、私に勇気をくれた。『がんばるんだよ』って、私に言ってくれてる気がした。
 だから私はこうして外に出てこれたの…。
 ランディに会いたいって気持が、私にこの身体をくれた。
 生まれた時から分かっていたの。私はランディとほんの少しの間しか過ごすことができないって…。
 もし、ランディと会えなかったら、もうとっくに死んでいたのかもしれない…」

「何を馬鹿なこと! セシル、死ぬなんて、そんなこと嘘でもいっちゃだめだ!」

「いいの……。ランディも分かってるんでしょ? もう私の命の火が消えかかっていること。
 こんなに楽しい時を過ごせると思っていなかった。本当に嬉しかった。
 ランディと会えて。
 マルセルもゼフェルも、オスカーも…」

 セシルがゆっくりと目を閉じる。

「セシル!」

「もう……お別れかな…?
 ううん、違う。私は風になるの。いつもランディの回りで、優しく勇気づける風になるの…。
 ありがとう、ランディ。
 私、あなたに会えてよかった」

 彼女の身体からはすっかり力が抜けている。
 その重みがランディにはずっしりと、惑星一つ分くらいはありそうに思える。
 どう言葉にしたらいいのか分からなかった。
 ずっと……、これからずっと一緒にいたいと……、そう初めて願った少女が自分の腕の中で息絶えようとしている。
 そして、消え入りそうな彼女の言葉を一言も聞き逃すまいと、唇に耳を寄せた。

「……でも……私やっぱり……
 今度……生まれてくるのなら……好きな人と……同じ時を生きたい……」

 それが、ランディが聞いた最後の言葉だった。
 その瞬間…。
 ランディの腕の中で、セシルの身体が透けてゆく。

「セシル?!」

 さらさらさら………。
 風がセシルの身体をさらって行く。
 砂が崩れるように。
 霧が流れるように。
 風が去った後に、ランディの手の中に残されていたのは、小さな白い蝉の死骸であった。

「…セシル…君は……」

「ランディ…」

 マルセルが瞳に涙を一杯溜めてランディに縋り付く。

「こんなの……こんなのってないよ…。セシル……」

 ランディも…。
 知らずに涙が溢れ、零れていた。
 流れても流れても尽きない涙は、レクイエムを奏でる風に吹かれて酷く冷たく感じたことだけ、ランディに伝える。

「ひぐらし……だったのか…」

 オスカーは意識してランディの顔を見ないようにしていた。
 彼らにとって、セシルの本当の姿が何であるかなど、問題ではなかった。
 彼女と過ごした時間、彼女と話した事、それらが命の美しさ、生を満喫する事を教えてくれたから…。
 ましてランディにとって、彼女の魂は愛すべき至高の存在だ。
 たとえ姿が蝉になろうと、木になろうと、魂は彼女の物であるに違いないのだから。

「……僕、僕知ってるよ……。蝉って地上に出てから一週間ぐらいは生きているはずなんだ。セシル、地上に出てからまだ三日ぐらいしか立ってないのにどうして……」

 マルセルが涙でぐしょぐしょに濡れた顔をオスカーに向ける。

「…おそらく、人の姿になるためにその生命力を使ったんだろう。
 だから、通常より生きていられる時間が短かったんだ」

「そんなの馬鹿じゃねぇかよっ。蝉だろうが人間だろうが、俺達がつべこべ言うとでも思ったのかっ」

「いや、彼女はランディの“友人”ではなくて、“恋人”になりたかったんだろう…。蝉は伴侶を求め、卵を生み、用が無くなれば…」

「まだ卵なんか生んでねぇーじゃんかっ」

「……そこまでは…」

 さすがにオスカーも言い淀む。

「俺に聞かれても分かるわけないだろう?」

「…みんな、すまない……。
 独りにしてくれないか?
 セシルが人間だろうが、蝉だろうが、そんなこともうどうでもいいんだ。
 ……もう、セシルはいない。
 …この掌に乗るぐらい小さな身体にも、もうセシルの魂は感じられないよ……」

 俯いたランディを慰めようと近よりかけたマルセルを、オスカーがとめて首を横に振った。
 何も言わず三人は丘を下る。
 真昼の光が射す丘の、見上げるほどの欅の下に独り残されたランディは、そのまま暫くの間動くこともなく掌を見つめ続けていた。


「……逝ってしまったのか…」

 輝きを失った水晶球を見つめながら、闇の守護聖は呟いた。

「闇の孤独を抜け出して、光の中に行ってしまった小さな魂よ……。お前はいい……。たとえ短い間でもお前の希望を見出したのだから……。だが、残された風の守護聖は……。それは……、あの者の心一つ………だな……」

 答えを導くように、水晶球に光がよぎった。
 風は、こんな日でも……変わることなく聖地を吹き抜けていった。



FIN