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微風のシンフォニー



---------聖地

 やわらかな微風。
 暖かな陽射し。
 目に鮮やかな緑の森。
 初めて訪れた聖地は、生命の息吹に溢れて美しかった。

「初めまして」

 茶色の髪を風になびかせながら、少年は希望に満ちた瞳でその丘の上の風景に挨拶をする。
 己の中に満ちる力と同じ力が、また、世界中、否、宇宙中のありとあらゆる力の結晶がこの地にはあった。そしてそれらを繋ぐ、穏やかな力…。全てが、この丘の上から見下ろせる程の僅かな土地の中に存在している。

「不思議だなあ…。この地に足を踏み入れたら、オレの中に宇宙が出来たみたいに感じる。これが、女王様のサクリアなのかな」

 自分の力もこの地に触れて、いよいよ大きく力強く脈打つ。

「オレ…、いや、僕はランディ。聖地よ、よろしく」

 風は彼を歓迎するように爽快に吹き抜けた。木々はその手にいたずらされて、くすぐったそうに身を揺らす。大地でさえ、そして聖地に生息するであろう、すべての命の輝きが空にその光を放った。




---------序曲

 風の守護聖は、聖地を見下ろす丘の上に寝ころんでいる。
 午後のやわらかな風が心地よく吹き、昼寝にはもってこいの場所だった。
 彼はこの丘が一等のお気に入りの場所だ。暇さえあればここに来て聖地を見渡したり、昼寝をする。また、この丘の上に立つ一本の大きな欅の木に登るのも好きだった。
 高い丘の上の、さらに高い木の枝に腰掛けて見る風景は格別だ。
 同じ守護聖であるゼフェルには、『馬鹿は高い所が好きなんだよな』などと言われてるが、それでも彼はここに来ることを止める気はない。

(こんな素敵な場所を独り占めできるんなら、馬鹿でもいいさ…)

 そう一人ごちる。
 ここは聖地のはずれだ。
 昼寝を邪魔する者もいなければ、説教をする者も、また、皮肉を言う者もまず来ない。
 懐かしい、聖地に来た時の夢を見ていた彼は、思いの他気分が良かったので、不快な事を思い出しても腹をたてるでなく、再び昔のさわやかな思い出に心を馳せていた。
 ランディは、一つ大きく欠伸をする。

「ふぁぁあ………ん?」

 急に影が差す。
 寝転ぶランディの頭の方から、覗き込む顔が見える。
 五、六歳位の少女だ。

「? 君、誰?」

 問いかけたが返事がない。
 不思議そうに彼を見つめる顔は、見知った者ではない。
 狭い聖地の中など、たかが知れた人数である。彼のようにふらふらと聖地を歩いていれば、大抵どこかで出会うはずであるが、零れそうな程大きな瞳を見開いているこの少女を見た覚えはなかった。

「ねぇ、…君、聖地の子? どこから来たの?」

 ランディはむっくりと起きあがりながらにっこり笑い掛けると、少女と目線を合わせながら問いかけた。

「僕はランディ。……君は?」

「せ……、セシル…」

 向かい合うと、少女ははにかみながらも彼につられてにこっと笑う。

 ─── その時だった。

 爽やかな風が序曲を奏でる。
 二人の側を駆け抜け、懐かしい既視感がランディをからめ取った。

「あっ…、君は……」

 昔、こんな場面を体験したことはなかったか?
 ランディはふいにそう思ったが、すぐさま否定する。
 この少女はどう見ても五、六歳だ。いいところ七歳ぐらいにしかならない。そんな彼女と『昔会ったことがあるかも…』などとは、馬鹿げた発想に過ぎない。
 例え聖地にいる人間とはいえ、確かに普通の人間と自分達の時の流れは遙かに違うのだから、そんな前にこの少女が存在していたとは考えられなかった。
 それでもセピア色の思いは彼にまとわりつき、離れない。

(…いったい何なんだろう…?)

 そんなランディの心の内など知らず、セシルは風と語り合うように目を閉じていた。が、やがて何か納得したように軽く頷くと、ぱっちりと目を開く。

「みつけたっ! ランディ、あいたかった!」

 言うなり、その小さな身体はランディの腕の中に飛び込んだ。

「おっ? おいっ、君? セシル?」

「みつけたっ」

「『見つけた』って、オレは鬼ごっこなんかしてないよ」

「うふふ…、ランディ、みつけた」

 少女は風の守護聖の当惑など意に介さず、あどけない笑顔を彼に向ける。

「……」

 ふわふわに、綿菓子の様にカールしたシルバーブロンドの髪。
 彼のセピア色の思いを写した灰褐色の瞳。
 色素が薄いのか、抜けるように白い肌とピンク色の唇がとても印象的だ。動かずに、ただそこに立っていれば人形の様にも見える。
 あと十年もしない内に、白鳥の様に気高く、神秘的な美しさを備えた少女に成長していくことだろう。
 ランディはふとそんな事を考えてる自分に気付き、僅かに頬を染めた。

「と、ところでセシル」

「? なあに?」

「君、どこの子? あんまり見かけないけど…」

「セシルね…、ここのこだよ」

「聖地の…? じゃあお父さんとお母さんがここで働いているのかい?」

「んー…、……おとうさん? おかあさん?」

「お父さんもお母さんもいるんだろう? お家はどこだい? 送ってあげるよ」

 セシルはランディの言葉が理解出来ないようであった。

「…セシルね……、おとうさんもおかあさんもいないよ…?」

「えっ?」

 こんな幼い子どもを残して、セシルの両親は他界してしまったのか。
 ランディは悪い事を聞いてしまったと後悔した。

「…そう……。じゃあ、えーっと、君はどこに誰と住んでいるの?」

「……? セシルはひとりだよ。ひとりでここにいたの」

「……おうちの場所を憶えているかい?」

「…わかんない」

「じゃあ、隣の人の名前とかは?」

「わかんない」

「どこを通ってここに来たの?」

「わかんない」

 埒があかない。
 セシルは何を聞いても『わかんない』としか言わない。

「困ったなあ…。まあ、聖地の誰かに聞けば知ってるだろう…」

 ランディは頭をかきながらそう呟いた。

「ここに置いていく訳にはいかないし…」

 ちらりセシルの方を見ると、少女はにこにこしながら彼を見上げている。

「オレとおいで。家を探してあげる」

「うんっ! セシル、ランディといっしょにいくっ!」

 そう言うと、ランディの腕にしっかりとしがみつく。

「セシル、ランディだあいすきっ」

「ははは…、ありがとう。オレもセシル大好きだよ」

 他愛のない子どもの言葉にやさしく微笑みながら返事を返すランディであった。




---------交響曲

 空に幾筋かたなびく雲が黄昏色に染まる。
 聖地に夜が訪れようとしていた。
 その頃、風の守護聖ランディは、すっかり途方に暮れて人気の無くなった公園のベンチにセシルと並んで腰掛けていた。

「まいったなぁ……。誰もセシルを知らないなんて…。もうこれ以上探すところなんてないぞ」

 悩んでいるランディをよそに、セシルは公園の入り口で買って貰ったアイスクリームを無心に食べている。

「こうなったらやっぱり警備の人に預けた方がいいのかなぁ…」

 ちらりとセシルを見れば、少女は不思議そうに顔を上げた。

「……? …あれ……?」

 何かが違っている。

「……?」

 ランディは不思議な違和感の原因を突き止めようとセシルの顔をじっと見つめた。

「……セシル……君……」

 シルバーブロンドの髪も灰褐色の瞳も、何一つ変わっていないのに、初めて出会った昼頃の少女と微妙に違っている。

「なあに? どうしたの?」

 無垢な視線もその微風のような声も、変わっていないはずだ。
 何をどう言えばいいのか、ランディには分からなかったが、何かが変わっていた。

「ランディ!」

 その時、彼を呼ぶ、聞き慣れた声が耳に入る。

「マルセル」

 公園の噴水の向こうから現れたのは、緑の守護聖マルセルと鋼の守護聖ゼフェル、そして炎の守護聖オスカーの三人であった。

「何か人捜しをしてるって聞いたけど、どうしたの?」

 マルセルはその菫色の瞳をランディに向けた。

「で? 見つかったのかよ、その探し人は」

 幾分あきれた顔付きのゼフェルが、ランディの影に隠れるようにしているセシルに気付いてひょいっと覗き込む。

「なんだぁ? このチビは」

「ゼフェル、小さな淑女に対してなんて口の効き方だ。……失礼、お嬢ちゃん。俺はオスカー…、君の名前を教えてくれないかい?」

 オスカーが、大抵の女性がそれの虜になってしまうだろう、女性の為だけの笑顔を浮かべて少女の方を覗き込む。
 どうやら、彼には年齢制限はないらしい。
 セシルはびくっとして怯えたようにランディの背に逃げ込んだ。

「おっ、…お嬢ちゃん…」

「へへっ! どうやら嫌われたみたいだな、おっさんよぉ」

「ふんっ、うるさい。俺の魅力はそれ相応の年齢にならないと分からないほどスパイシーなんだ。十歳そこそこのお嬢ちゃんには、まだ早かったようだな」

「けっ、スパイシーだとよ。負け惜しみ言ってら」

 オスカーは取り繕う様に咳払いをすると、風の守護聖に向き直った。

「人捜しって言うのはそのお嬢ちゃんの両親か誰かか?」

 その問いにランディは答えない。
 驚いたようにオスカーの顔をただ見つめているだけだ。

「どうした? ランディ?」

「……オスカー様、今なんて?」

「ん? そのお嬢ちゃんの両親を捜しているのか聞いたんだが…」

「そうじゃなくて! その前です!」

 思いもしない様な激しい口調に、オスカーは怒りより先に戸惑いを感じながらも、一応問いに答える。

「……あぁ?、俺のスパイシーな魅力は、十歳そこそこのお嬢ちゃんには分からないんじゃないかと……」

「十歳……」

「一体なんなんだ? ランディ。何か悪いものでも喰ったのか?」

「……オスカー様…、オスカー様にはこの子、十歳ぐらいに見えたんですか?」

「あっ? …ああ、そのぐらいだと思うが…?」

「マルセルは?」

 ランディは突然緑の守護聖の方に向き直り、やはり彼らしくなく取り乱した口調で問いかけた。

「……んー、僕もそのぐらいに見えるけど……。それがどうかしたの?」

「ゼフェル?」

「ああっ? ガキの年齢なんかわかんねえけどよ、やっぱそのぐらいなんじゃねぇの?」

 一通り意見を聞くと、ランディは難しい顔をして考え込んでしまった。
 三人の守護聖達は一様に目配せすると、マルセルが心得たとばかりに頷いて風の守護聖の額に素早く手を当てる。

「?! なっ、なんだい? マルセル?」

 マルセルの手に、ふっと我に返ったランディが呆けたように言う。

「ランディ、どうしたのさ? 熱でもあるんじゃないの? 何か変だよ?」

「うん、変なんだ…」

 自分のことを言われたと思いもせずに、風の守護聖は相づちを打ち、ゼフェルに思いっきり馬鹿にされてしまった。

「おめえ、やっと自分を変だって認めたのか。…うんうん、やっぱそうだよな。俺と一つぐらいしか違わねえくせに、やたらやれ『態度が悪い』だの『もっと真面目に』とか言いやがるなんて、絶対変なヤツだと思ってたよ。お前がそう素直に言うんなら、俺だって“変なランディ君”にもう少しぐらいは優しくしてやるぜ」

「なっ、何言ってんだゼフェル。俺の言う『変だ』ってのは、この、セシルの事だよ」

 半分ムキになって言い返すランディが振り返ると、名指しされたセシルはきょとんとランディを見上げる。

「このお嬢ちゃんの何が変なんだ?」

「オスカー様…」

 ランディは思案顔で炎の守護聖を見上げた。

「俺が初めてセシルに逢ったのは今日の昼頃で……。それでその時、俺には彼女は五、六歳ぐらいに見えました。……でも…夕方になって、何かさっきと違う違うと思っていたら……今はどう見ても十歳ぐらいに見えるんです」

「やっぱ、変なのはお前の頭じゃねーか」

「ゼフェルってば!」

 マルセルに窘められ、続けてからかおうとしていたゼフェルは舌打ちしつつも、一応口を閉じる。

「お前の気のせいじゃないのか?」

 オスカーに真面目な顔でそう言われると、自分でも自信がなくなってくるランディであった。

「俺、女の子の年なんてよく分からないけど、オスカー様にそう言われるともしかして気のせいかななんて気もして来るし……。でも…やっぱり、よく分かりません…」

 すっかり混乱してしまったランディは、不安げに彼を見ているセシルに気付いて「大丈夫だから」と声を掛けた。
 オスカーは先ほどとは違う目で、女性全般を見るときの賞賛を込めたまなざしではなく、聖地の治安を護る義務を持つ者としての瞳で、あらためてセシルを見つめる。
 綿菓子のような、ふわふわの金銀の髪。けぶった思い出色の瞳。
 しみじみ眺めても、オスカーにはただの少女のようにしか見えない。

「……俺には、普通の少女のようにしか見えないが……。マルセル、何か感じるか?」

「…えっと……、僕は……。何て言うのかな…、初めて会ったような気がしないっていうか、いつも僕の回りにいる友達みたいな感じっていうか……。うーん……」

「マルセルの場合『いつでもどこでも誰とでも友達』みたいなもんじゃねえか」

「そんなことないよ。僕だって苦手な人はいるし…」

「ジュリアスか?」

「ゼフェル!」

 マルセルにきつい瞳で睨まれて、鋼の守護聖は知らん顔を決め込んだ。

「とにかく…だ。日も暮れてきたし、いつまでもここに居るわけにはいかないだろう。取り敢えず警備の者にでもお嬢ちゃんを引き渡して…」

「セシル、ランディと一緒にいる!」

 それまでじっと事の成り行きを聞いていたセシルは、突然に大声を上げた。

『えっ?』

 一同が思わず声をあげる。

「ランディはセシルと一緒に行こうって言ったもの。セシルはずっとランディと一緒にいるの! どこにも行かない!」

 大きな瞳に涙を一杯ためて、そのまま瞳がこぼれ落ちてしまいそうだ。

「でも…セシル…、ここにこのまま居るわけにはいかないし、君の家は見つからない。警備の人に探して貰った方がいいのかもしれないよ」

「家になんか帰らないもん…。セシル、ランディとずっと一緒にいるんだから。ランディだって、一緒においでって言ってくれたじゃない」

「いや……それは、一緒に家を探して上げるっていう意味で…」

 気がつくとセシルはランディのマントをしっかり握りしめていた。
 ちょっとやそっとでは離してくれそうにない。
 ランディは、涙で潤む瞳の奥に不安の色が揺れているのを見つけてしまった。
 心が痛い。
 今、ランディを見上げているセシルの瞳は、まるで捨てられた子猫のようだ。こんな瞳ですがりつかれたら、無碍にすることも出来ない。
 ランディは同情……というよりも、何か大事な物を忘れてきたような思いに捕らわれていた。

「セシル……」

 オスカーがふうっと一つ、溜息をつく。

「しかたない。この小さなレディはお前が責任をもって預かることだ。警備の者には俺が報告しておく、明日にでも誰か保護者が見つかるだろう。…届けが出されてるかもしれないしな。そして……」

 彼はアイスブルーのきつい瞳をランディに向ける。

「……ジュリアス様には、明日にでも知らせれば大丈夫だろう。もしもの事があるとも…思えないからな」

 少しためらった後、オスカーはそう言い捨てるときびすを返して歩き出す。しかし、少しいってから急に立ち止まるとこちらを振り返った。

「……あまり気が進まんが、もしも見つからない時はクラヴィス様にでも頼んでみるといい。……協力してくれればの話だが」

 後ろ向きで手を振りながら再び歩き出す。

「そうそう! ランディ! お嬢ちゃんに悪さするなよ!」

 三度声が飛ぶ。

「なっ! 何言ってんですか! オスカー様じゃあるまいし!」

 顔を沈みゆく夕日よりも紅く染めて、ランディはすでに姿が見えなくなりつつある炎の守護聖に怒鳴り返した。
 その様子を横目で見ていたゼフェルは、にやっと笑いながらマルセルに声をかける。

「俺達も行こうぜ。チビガキは親切な風の守護聖様に任せるとしてよぉ。どーやら、どっかの色ボケのおっさんより手が早かったみたいだぜ」

「えっ? そうなの?」

 マルセルは素直にゼフェルの言葉を信じ込んで、ランディを絶句させる。

「じゃあな、『ランディ様』!」

「僕たちも明日、探すの手伝うからね…、セシル、ランディ」

「あっ、う、うん。ありがとうマルセル」

 立ち去る二人の会話が風に乗って聞こえてくる。

「その『僕たち』ってまさか…俺も入ってんのかよ?」

「……当たり前でしょ…」

「ちぇっ…、勝手に……にしやがってよー……、……」

 二人の姿が見えなくなってくると、会話も途切れ途切れになり、後にはすっかり困惑したランディと涙を浮かべて唇を噛みしめたセシルが取り残された。

「ふうっ……」

 ランディの溜息にびくっとしたセシルは下を向く。

「仕方ない……。俺の屋敷に行こう。君が寝る所ぐらいはあるから…」

 帰り道。丘の上から聞こえてくるヒグラシ達の交響曲が、辺りをしみじみと夜に導いていった。