第壱章其ノ六
「す、すっげえな………。夜なのにこんなに明るいなんて。オレらがいた京とは、本当に随分と違うんだな…」
大きな目をさらに丸くして、イノリは煌びやかなネオンが咲き乱れる界隈にきょろきょろと視線をさ迷わせていた。
純粋に物珍しさで落ち付かないイノリと違い、詩紋はといえば、あからさまな看板や呼び込みの声、客と話す従業員らの声にいたたまれず俯き加減で歩いている。鷹通はといえば、知的な眉を潜め黙っているだけだ。
「おい、見ろよあそこっ。字がどんどん変わって行くぜ。あれはどういうからくりなんだ?」
話しを振られた詩紋は、恥ずかしいのを堪えてしどろもどろに説明する。
イノリはそれを難しい顔でふんふん頷きながら聞いていた。
(…それにしても……)
鷹通は一人別な事に思いはせながら、腕を組み、手を顎に添える。
彼が考え事をする時の癖なのだが、その仕草は生真面目な彼にはよく似合っている。
(どうしてでしょうか……。この地に着いてから、イノリが妙に元気になったような…)
物珍しさが先だって身体の調子など忘れているのかもしれない。
それならば、別段気に病むこともないが、先ほどから炙られるような氣が満ちているのは気のせいだろうか…?
この地が火性だとしても、これほどの禍禍しさは尋常ではない。
京の地で感じられた火氣は、全てのものを浄化させる清めの火氣であった。
しかしここはまるで地獄の釜の底。
轟々と炙りつけられるだけで救いも何も無い。
幾ら鷹通の苦手とする属性だからといって、こんなに異質な氣を感じるものであろうか…?
しかし同属性のイノリはと言うと、さほど異常を感じてる様子は見られなかった。
(私の考え過ぎ………でしょうか?)
─── そう鷹通が己の考えに没頭している時だった。
「お・に・い・さ・んっ」
ふいに、鷹通は後ろから肩に手を置かれ、ビクリッと飛び上がる。
「うわっ! は、は、ははいっっ」
振り向くと栗色のストレートなロングヘアをさらりとなびかせ、小柄な美女が満面に笑みを湛えて立っていた。
身体にぴったりとフィットしたワンピース。肩は剥き出しで、胸元は広く空いており、尚且つ丈はかなりギリギリまでの超ミニで…。
鷹通は目のやり場に困って、僅かに上を向いた。
「わ、私に何かご用でしょうか?」
目を逸らしても、服と同じ色のワインレッドに塗られた唇は、鷹通の目蓋に焼き付いて離れない。
「ね、どこか行く店あるの? もしまだ決まってなかったら、うちに来てよ。たっぷりサービスするからさ」
「い、行く店? サービス??」
呆けのようにオウム返しに答え、しばらくしてからその意味に気が付いた。
例え初めて訪れた異界の繁華街とて、こういう街独特の雰囲気というものはどの世界でも似たり寄ったりだ。おぼろげながらも彼女が、京で言うなら東の市のいかがわしい界隈の客引きのようなものであることが分かる。
「それにね、お兄さんみたいにいけてる人なら、三万で本番OKだけど、…どう? 私みたいな女は、嫌い?」
「ほ、ほんばんっっ!?」
鷹通にとって余りにも刺激が強すぎたのか、思わず目を白黒させて声が裏返ってしまった。
しかし、取り乱したのもほんの僅かな時間で、彼ははっと気付くと彼女の肩をがっちりと捕らえて真剣な眼差しでその濡れたような瞳を見据えた。
「いつまでもそんなことをしていてはいけません。
早くちゃんとした仕事を見付けないと、良き殿方に通って貰うことすら出来なくなりますよ。見るところ、あなたはまだ若く、そんなに……その、う、美しいじゃありませんか。何か事情があるのなら……、私でよければ相談に乗ります」
彼女はぽかんと口を開けて鷹通の顔を見つめていた。
が、いきなりお腹をかかえて笑い出す。
「ぷっ…、あは、あはははっ、やだっ、このお兄さんっ、へん~~~っっ」
「へ、変? 私が……ですか?」
真剣に話しているというのに、あろうことか目尻に涙まで湛えて大笑いされ、鷹通は大いに気分を害し、憮然とした表情を浮かべた。
「今時、ガッコの先生だって、オマワリだって、そんな説教する人いないってっ。あははは……おっかしーーっ」
「がっこのせんせい? おまわり?」
鷹通は覚えたばかりの知識を総動員して彼女の言葉の理解に努める。
(確か、どちらも役人と同じような仕事をしていましたよね……)
厳密に言えば違うが、そう大差はないはずだった。
「……どの世界の役人も、不届きな輩がいる……ということですね…。嘆かわしい…」
そっと眼鏡に手を添え、深い溜息を付く。
その時だった。
「う、うわあっっ! やめろっっ! 助けてくれっっ、詩紋っっ!!」
ほとんど悲鳴に近いイノリの声が賑やかな界隈でも一際高く響いた。
「イノリっ!?」
何時の間にか、そばにいたはずの二人と数十メートルぐらい離れてしまっていた。
只ならぬイノリの声に、反射的に鷹通は駆け出す。
「どうしたんですかっ?」
薄い人込みを掻き分け声の方に近付くと、数人の女性に囲まれてその中心にペッタリと座りこんでいるイノリと、その傍でおろおろと立ち尽くす詩紋がいた。
「イノリ? 詩紋? いったい何があったのです?」
見るところ特別危機が迫っている風でもない。
ましてや少々の危険が迫ったところで悲鳴を上げるイノリなどではないはずだ。
鷹通は困惑して首を傾げ、イノリ達を取り囲む数人の女性に声を掛けた。
「あの………、申し訳ありません。私の連れが何か……?」
「いや~ん、こっちのおにいさんもす・て・き」
鷹通の近くにいた女性が質問に答えようと振り向いた瞬間、彼女はどうやらイノリから鷹通に標的を変えたらしくそう叫ぶと、近寄ってくる。
「えっ? エッ?? うわっ!?」
「ちょっと、『うわっ』てのは酷いんじゃないの~」
「え、あのっ、その、すみませんっ」
うろたえた鷹通は、彼女が近付くに合わせてどんどん後ずさってゆく。
「なんで逃げるのよ~」
「べ、別に、に、逃げている訳では…」
と、いい訳しながらも、鷹通の身体はしっかりと逃げていた。
彼が逃げ腰なのには、ちゃんと訳があった。
後から見て女性だと思っていたその人は、背中までのストレートなロングヘアで、薄いピンク色のスーツに身を包んでいたからだ。少々大柄だ……と思っていた彼女がこちらを振り向いた瞬間、その容貌が目に入ったのである。否、鷹通とて顔の美醜をとやかく言う気持ちなどまったくない。しかし……、その女性、無骨な顔のラインといい、顎の髭の青跡といい………。どこから見ても“男”なのだ。
……いや、個人の趣味をとやかく言うつもりもさらさらないが、無意識に身体が逃げて行くのまでは抑えようもなかった。
「なんか文句あるっての~」
「も、もももん、もんくなど…」
美醜や趣味…などを云々言うレベルではない。
丹念に化粧をしたごつい顔の男(?)となど、お近付きどころか関わりあいたくないと言うのが本音であるが、それを鷹通に言えというのは、酷というものであろう。
己の背中に冷たいモノが流れていくのを感じながら、鷹通はイノリが悲鳴を上げた原因を身を以って知った。
「ちょっとぉ~、彼等、私の知り合いなの」
鷹通の腕がぐいっと引っ張られるように捕られ、幾分低めの、それでいて澄んだ声が隣りから響いた。
「あ、あなた…」
鷹通が驚いて声を発する間を与えず、隣りの人物は鷹通に詰め寄る男(?)ににっこりと微笑みかけた。
「ごめ、ちょっと訳ありでさ~」
「あ~? なんだ、あんたの知り合い? んじゃ、仕方ないわね~。
もー、おにいさん、この娘の知り合いならいつでも歓迎するわ。遊びに来てね。…その時は、そんな風に驚かないことよ。私達だって“乙女心”が傷つくんだから~」
「は? ハ、ハイッ。どうも申し訳ありません…」
真面目な顔で平謝りする鷹通を、先ほどの女性はクスクスと笑いながら眺めていた。
イノリと詩紋の周りにいた女性(???)達もそれぞれ残念そうに声を上げながらも去って行く。
取り残された詩紋は、呆然として座りこんでいるイノリの手を引っ張って立たせ、慌てて鷹通の元に戻ってきたのだった。
「ぷっっっ、…」
イノリと詩紋が二人の元に来た途端、女性が笑い出す。
それにつられて鷹通もまた、口元を押さえて笑い出しそうなのを必死で堪えていた。
「ひ、酷いよ…、笑うなんて…」
「す、すいません。つい…」
イノリと詩紋の顔は、色とりどりの口紅の跡で花盛りだった。
路地裏に入り、女性の案内で水を借りた二人は、顔の口紅を落とし、やっとのことで人心地つく。
「いろいろとありがとうございます。
─── 申し遅れましたが私は藤原……鷹通といいます。こちらはイノリ。そしてこちらは詩紋。失礼ですが、あなたは…?」
「私? 私は……恵梨。この街の人はそう呼んでる。
…ところでさ。貴方達はどう見てもこの街とは不釣合いよ~。どこのど田舎から出てきたのか知らないけど、どうしてこんな所に来たの? この街がどういうところか、知ってるんでしょうね」
腰に両手を当て、背伸びしても鷹通の鼻の辺りまでしか身長のない恵梨は、それでも精一杯威嚇するように胸をそびやかした。
豊かな双丘の盛り上がりが鷹通の目の前にぐいと突き出され、彼は思わず頬を染めて横を向いた。
「わ、私達は、……その、夕刻ににゅーすで言っていた事件を……その調べに来たのです。……すいませんが、この街がどういう所か、までは知らず……。あなたにも、あの方々にも迷惑をかけてしまったようですね」
「別に迷惑なんかじゃないけどさ。
それにあの人達も悪い人達じゃないよ。むしろとっても親切だな~。
─── 本当に怖いのは、店の奥にいる人達よ」
恵梨は肩をすくめ、大げさに両手を広げて見せた。
「それより、事件を調べるって………、あんたたちまさか……刑事?
─── ……って、そんなわけないよね~。詩紋とイノリはどうみても子供だし、鷹通だって、そんな人のいい刑事がいたら日本の事件は何一つ解決しなさそうだもんね~~」
そう言って恵梨はきゃらきゃら笑った。
「え、恵梨さん……」
詩紋は今一つ反応の鈍い鷹通と恵梨の顔を見比べて溜息をつく。
「あの……、事件のあった場所ってわかります?
僕達テレビで見て検討つけて来たんですけど、よく分からなくて…」
「ああ、あそこ~?
知ってるわ。今まだ刑事や警官がたくさんいるわよ~」
「どうやって行くのか、教えてもらえますか?」
恵梨の言葉尻を消すほどの勢いで鷹通が言う。
その迫力に少しだけ目を見開くと、何かおもしろい事を思い付いたように口元を綻ばした。
「教えるなんて、そんな遠慮しないで。ちゃんと案内するわ」
「えっ?」
三人は顔を見合わせた。
一応偵察のつもりだが、何があるのかは分からない。他の人を巻き込む事は出来ない。
「えっと…、恵梨さん。私達はある目的があってそこに行かなければならないのです。何があるか分からないところにあなたを伴う訳には…」
「じゃ、教えないっ♪」
「ほんとに何があるのか分からないんだよ? 危ないよ」
「女は大人しくしてろよ。怪我しても責任は持てないぜ」
「まっ……。イノリってば、子供なのに男なのね~」
恵梨は勢い良くイノリの頭を抱きしめた。
計らずもふくよかな胸に顔を埋める始末となってしまったイノリは、先ほどよりも強い刺激(?)に目を白黒させ、じたばたともがきながら膨らみに塞がれた口でもごもごと抗議の声を上げるのだった。
「と・に・か・くっ。
やばい所を助けてあげたのは私だからね~。一緒に行くぐらいいいじゃないの。いやなら、自力で探すのね~」
「………ふぅ………。仕方ないですね。
でも危ない事があったら、私達に構わず逃げてください。いいですね」
「はぁ~~いっ」
軽いノリの返事に、鷹通は大仰に溜息を付きながらちらりとイノリに目をやった。
思いがけない強い抱擁から未だ抜け出せないイノリが、諦めて硬直している。
それを心のどこかで羨ましいと感じる自分に喝を入れ、ようやく目的地に向かって一行は歩き始めたのである。
今回は鷹通さんスポットです~(^^;;)
オリキャラ登場で、何だか話しが怪しげな方向へ進みそう…(爆)
次回はやっと本命、泰明さんの登場です。第壱章が終結に向かって進みます~