第壱章其ノ五
「逃げるぞっっ!」
本能的に危機を悟った天真が瞬時に叫んだ。
皆異存あるはずもなく、天真に続いてくるりと踵を返し、迫る怨霊とは反対の方向へ走り出す。
…だが。
「くそっ、こっちもかよっ!」
足を向けた先からも同じ姿をした義勇軍の亡霊が数体、こちらに向かって歩んでくる。
四人は舗道の前後から怨霊に挟まれた形になり、その場に立ち往生した。
片側は池、片側は森である。彼らに逡巡している暇はなかった。
「神子殿っ、こちらへっ」
頼久が叫び、あかねはすぐさま彼の後を追って森の中に賭け込む。続いて友雅、天真が追った。
「この森はどこまで続いているのですか?」
低木や繁みをかき分けながら頼久が問う。
普段から鍛えているだけあって、息一つ乱してはいなかった。
「……えっと……、た…ぶん、この先に稲荷神社が……あったと……」
やはり…と思ったが頼久は口にしなかった。
稲荷の神気は往々にして金氣か土氣に属することが多い。
この異様な金氣の中に己の気の源たる木氣を求めるのは無理だと、始めからわかっていたが、闘う術がない……と初めから諦めてしまう訳にはいかない。また、そのつもりもなかったが…。
神子と行動を共にし、その神々しい気を感じられても、やはり彼女から五行を感じることはできなかった。
(このままでは、逃げるしか手はない…)
五行が身の内に流れ込まない以上、現世(うつしよ)に実体を持たぬ怨霊と闘う術はない。それに反し、怨霊は何の守りもない我々の身体をいとも容易く裂くことが出来よう。
唯一の救いは、怨霊の歩みが我々の走りに比べて遅い……ということだけだ。
だが、その救いも天真の叫びに無残にも打ち砕かれる事となった。
「くそっっ! 頼久っ、奴らすぐ後ろに迫ってきてやがるっ! どうやらあちらは、木も繁みもまったく関係ないみたいだぜっ」
頼久と友雅は振りかえった。
木々を容易く通りぬけ、不透明な物体が進んでくる。
彼らはそこに何も存在しないかのように、まっすぐこちらへ向かっていた。
その身体を通して後ろの木々が透けて見え、頼久は自分の考えの浅はかさに軽く舌打ちした。救いどころか、この雑多な繁みが邪魔をして、我々の方が圧倒的に不利である。
このままでは間もなく彼らに追い付かれてしまうだろう。
そう判断すると、その後の頼久の行動は素早かった。
「天真っ、友雅殿っ、神子殿を………!?」
しかし、自分が怨霊を食いとめようと、身を翻し叫んだ瞬間、皆まで言わせず友雅の手が彼を遮った。
「君と天真が神子殿を頼む。
この場は君らの属性には辛い。─── 得意とは言えないが……私の方が適任だろう?」
友雅は華麗に微笑むとあかねに優しい視線を向けた。
「もうすぐそこに神社の屋根が見えている。そこに出たら私が怨霊の注意を引くから、神子殿は逃げなさい。頼久、天真、神子殿を頼むよ」
「や………、何言ってるのっ? そんな自分だけ逃げるなんてやだっ」
「ここで議論している暇はない。─── 頼久」
友雅の意をすぐに理解した頼久は、電光石火であかねのウエストを救い上げると、半ば担ぎ上げて神社を目指して走り始める。
「やだっ、頼久さん、下ろしてよっっ! 友雅さんがっ」
「友雅殿のお気持ちを、察して下さい。
…あなたがするべきことは、怨霊と闘う方法を見つける。─── 違いますか?」
頼久に担がれてジタバタと足掻いていたあかねは、その言葉を聞いて大人しくなった。
身体をギュッと縮こめて、頼久の肩に縋り付く。
(何も出来ない私は……、ただのお荷物でしかないよ…)
頼久の言う通りだ。
自分が今すべきことを思い出し、固く目を閉じる。
(どうやったら闘えるの? どうやったら……)
「神社だっ」
天真の声があかねを現実に引き戻した。
目を開けると間もなく鬱蒼とした森の中から境内へと飛び出した。頼久に続いて天真、そして友雅がそこへ辿り付く。
「行きなさい、頼久っ」
友雅が声を張り上げたその時、三人とは違う方向に顔が向いていたあかねは、思わぬ光景を目にして、頼久の上でぐっと上半身を持ち上げて叫んでいた。
「泰明さんっっ!」
「し、詩紋殿………、鷹通殿……。これ……」
藤姫が震える指で差した先には、またしても不可思議な事件を報道するテレビの画面があった。
「藤姫、この事件がどうしたの……? ま、まさか…?」
詩紋が料理をしていた手を止めて、ダイニングから飛び出してくる。
向かいの大きなガラス窓のそばに設えてあったソファで、借りてきた本を夢中で読んでいた鷹通も、藤姫の常にない声色に驚いて腰を上げた。
テレビは夕刻のニュースが報じられていた。
『S二丁目のビルで女性の惨殺死体が発見されました。この付近では昨日、今日と続いて子供が行方不明になる事件が多発し、管轄署においても充分な警戒がなされている場所でしたが……』
現場から生放送しているらしいキャスターが口から唾を飛ばさんばかりに興奮してまくし立てている。背後にはいかにも風俗店らしい店構えの並ぶ場所と、野次馬の山、そしてロープを張られて隔離されたビルの入り口が映っていた。
「藤姫……、まさかこれも怨霊の仕業?」
「ええ………。
─── それに気付いたんですが、他にも怨霊の気配が……。今日、神子殿が行かれた場所と、この場所ともに異様な五行の高まりが感じられるのです。そう気付いたら、他にも同じように穢れた気が感じられて……」
「他の場所も分かるのですか?」
鷹通も彼らの傍らにやってきて、テレビ画面を覗きこみながらそう尋ねた。
「ええ。ですが、この世界のことはよく分からないので、この場所…とはっきり申し上げることができません」
「…地図があればわかるかな……」
詩紋がぽそりと呟き、すぐさま二階に駆け上がっていった。
と、程なく戻ってきて、手にしていた新聞紙面を二枚ぐらい広げたような大きさの紙をテーブルの上に広げる。それは首都の地図だった。
「これでなんとか分かる?」
詩紋は地図の端の方にかろうじて載っているこの屋敷の場所を赤いペンで丸印をつけると、続いて今日あかね等が出掛けていったU公園の場所、先ほどテレビで報じていた場所に同じように印をつけた。
藤姫はその上に手をかざすと目を閉じる。
「………ええ。少し時間がかかるかもしれませんが、なんとか分かると思います」
「では、私はその間にそのテレビの場所を調べて来たいと思うのですが」
鷹通は地図でその場所を確認しながら言った。
「………この線で行けば、電車を乗り換えなくとも行けますね…」
すでに幾度か外出をしている鷹通は、さほど複雑ではない道筋を確認してほっと肩を下ろした。さすがに一人で外出するのは心細いが、状況が状況である以上そうも言っていられない。
「詩紋殿は藤姫達を頼みます」
「で、でも鷹通さんっ」
「わたくしは大丈夫ですわ。鷹通殿、詩紋殿もご一緒に…」
「ですが藤姫…」
「ここで鷹通殿をお一人で行かせたら、また天真殿に叱られてしまいますわ。
………わたくしとしては皆がお戻りになってから、お出かけになられた方がいいと思うのですが、………何やら、慌しくいろいろと事が起こるような予感がしてなりません。きっとこれはまだ序文に過ぎないと……」
藤姫は戦慄を覚えて身体を震わせた。
冷たい汗が背を伝い、四肢に力が入らない。
「これだけでは終わらない……」
「………藤姫…」
詩紋は彼女の両肩にそっと手を置くと、俯いた面を覗きこんだ。
「大丈夫。きっと大丈夫…。だってみんながこんなに頑張ってるんだもの。絶対に大丈夫だよ?」
詩紋は内心の不安を押し隠して優しく語りかけた。
(大丈夫だよね……、きっと……大丈夫…)
自身に言い聞かせると鷹通と顔を見合わせた。
「行きましょう、鷹通さん」
「おいっ、」
今まさに二人が出かけようとした時、リビングに続く吹き抜けの階段の上から咎めるような声が降ってきた。
声の主は幾分ふら付く身体を手すりで支えながらも、思ったよりしっかりとした足取りで階段を降りてくる。
「いけません、イノリ殿…。まだ寝ていなくては…」
後から必死で纏わりつく永泉の言葉など意に介さず、彼はゆっくり階段を降りると二人の前に立ちはだかった。
「オレも行くからなっ」
「イノリくんっ」
「イノリ…どうして…」
寝疲れて少々やつれてはいたが、その顔色は後ろでおろおろする永泉よりも良いぐらいだ。
「あんなに朝から騒いでりゃ、いやでも聞こえるって。それにさっき、永泉から事情を聞き出したからな…」
「…申し訳ありません。つい……」
永泉はすまなそうに俯いてしまった。
イノリはすっかり現代のティーンスタイルに身を包んで、身支度を整えていた。どうやら寝てばかりの日々にすっかり退屈していたらしく、ギラギラ輝いている瞳は、「誰の何の言葉も聞かないぞ」という強い意思があからさまに見える。
詩紋は大きく溜息をついた。
「イノリくんがこういう顔をしてる時は、誰が何を言っても無駄だね……」
「イノリ、私達は調べに行くのです。決して闘いに行くわけでは…」
「分かってるって。無茶はしねーよ。それぐらいオレだって分かってるぜ。
そんなに簡単なことなら鷹通が留守番してればいいんだよ。…詩紋はいないと、オレ、道わかんねーし、困るけど…」
「ううん、鷹通さんがいないときっとダメだよ」
詩紋が即座に否定した。
「何でだよっ。オレじゃ当てにならねーってことかっ?」
「そうじゃなくて。
今から行く町はこんな時間に子供だけでうろうろしていたら、警察に補導されちゃうよ。18歳以上の、しかも鷹通さんみたいに真面目な人が一緒なら、例え補導員に捕まったとしても何とか言い逃れが出来るから…」
「ふう~ん、そういうことじゃ仕方ねぇな。じゃ、やっぱ三人で行くか」
子供扱いされたことが気に食わなくもなかったが、明確に「18歳以上」と言われたのでイノリはなんとか納得した。そして頑として三人で行く意志を曲げようとはしなかった。
どうにもイノリの意志を翻せないと知った詩紋と鷹通は、藤姫と永泉を屋敷に残し、黄昏た道を駅へ向かって歩き出したのだった。
壁一面に分厚い三重構造の硬化ガラスがはめ込まれた部屋の一角。
最上階のVIP仕様の部屋に相応しい高価そうなチェアに、その男は座っていた。
烏帽子こそ外してはいるが、顔を隠した仮面はそのままだ。
「あ……、アクラムさ…ま」
淫猥な水音とともに零れる途切れ途切れの声。
男の……、アクラムの上に跨り、両足をチェアの肘掛からだらりと垂らして、裸体の女が蠢いていた。
不自然な態勢で貫かれ、痴態を晒している女に対し、アクラムはあくまで冷静なまま窓の外を見つめる。
ランの気が僅かに揺るいでいる。
そしてごく僅かではあるがランの間近から感じられる神々しい気は………。
「やっときたか………」
口の端に薄笑いを浮かべ、今まで女の成す行為に徒然に応えていたアクラムは、ようやく気付いたかのように深く腰を突き入れた。
「はぁぁッ───」
感極まった女の声が広い空間に満ち、汗に光る身体がぐったりとアクラムの胸に倒れこんだ。それでも彼は気持ちの高揚を押さえ切れないのか、その身体に楔を打ち続ける。
「も……、お…ゆるし…ください…ま…せ……」
もう二時間近くも苛まれている。
すでに幾度か達してしまった女…、シリンは、拷問ともいえる強烈な快楽に絶え切れず、荒い息の下から許しを乞う。
それでもアクラムの動きは納まらず、次第に激しくなる動きに朦朧としていた意識さえ何処かに飛ばしてしまい…。
完全に意識を失ったシリンの身体に一際激しく突き入れて、彼は解放した。
その脳裏に浮かんでいるのはただ一人、龍神の神子の姿のみ。
「………今度はおまえが、私の前に膝を屈する番だ……」
神子の事を思うたび、激しい屈辱感と、そして押さえ切れぬ興奮が湧き上がってくる。
もはやあかねを跪かせる為だけに、その歪んだ欲望は暴走し続け、その姿を思い描くとそれだけで足元から痺れるような絶頂感が込み上げてくるのだ。
「この世界で…おまえが出来ること、私の手の平の中でとくと見せてもらうぞ…」
眼下の摩天楼の明かりは大気にくすみ、その中のちっぽけな光など見つけることは難しかった。
またしても泰明さん、名前だけしか出てきませんでした~(^^;;)
それに代えて、都合上アクラムとシリンの濡れ場をちょっと…(爆)
天真、頼久、友雅らが義勇軍の亡霊と対峙するうちに、またしても新たな怨霊が??
次回誰が活躍するのか、お楽しみに~♪
