第壱章其ノ四
「なんだって?? 泰明が一人で出掛けて、その後をあかねと友雅が追ってっただぁ?」
藤姫と詩紋をまるで叱り付けるように大声で言葉を返し、天真は苦々しげに舌打ちした。
昼も過ぎた頃、紙袋一杯、借りられるだけ図書を貸し付けてもらった鷹通と共に屋敷に帰ってみると、何やら不安な表情の一同が居間に集っていたのだ。詩紋から新聞記事を見せられ、尚且つ、泰明やあかねの様子が変だったことなどを聞くと、みるみる天真の顔が不機嫌に歪められた。
「鬼がかかわってるって分かってて、どうして止めなかったんだよ」
「でも……」
「俺達の力である五行が、この世界でどういうことになってるか分かってるだろうがっ」
「だけど……」
「いくら泰明が陰陽以外の術を使ったって、それだってどういうことになるかまるで分からないってのに、お前ら……何考えてんだよ」
「すまない、天真。私が席を外していたせいでもある。あまり詩紋を責めないで欲しい」
頼久が悲壮な表情で詩紋を庇う。
「…ちっ。そう言われたら、俺だってその場にいなかったんだ…。
─── くっそうっっ!」
歯をぎりりと噛み鳴らし、天真はオーク材の大きなテーブルに拳を打ち付けた。
「探してくる…。U公園近辺だな」
「私も連れてってくれ、天真」
部屋を出て行きかけた天真の背後で、頼久が立ちあがった。
修練の時は別だが、今は彼も現代の服で身をつつんでいる。髪はまだ長いままだが、結い上げるでなく、首の後ろ辺りで一つにまとめてあった。もちろん帯剣してなどいない。そのまま連れ立っても違和感のない姿である。
「………こいよ」
出て行く二人の後ろ姿に、居間に残された詩紋、鷹通、永泉、藤姫は、祈るような視線を投げかけるしか出来なかった。
小一時間ほどのち、U駅付近を二人は歩いていた。
平日の午後は、休日のそれが信じられないぐらい静かなところだが、やはり幾許かは動物園や美術館を目指す者もいるのだろう、すれ違う人波は親子連れやカップルが多かった。
「このU駅付近ってな、結構怪談話が多いんだよ。
百年ぐらい前までこの辺は鬱蒼とした山で、狐や狸が一杯いて……。それから後も大きな戦争があったりして……。とにかく幽霊だの妖怪だの、妙な噂が絶えない場所だな」
言われてみなくとも、人々の喧騒に呑まれるようにして、京の怨霊に似た独特の霊気が潜んでいた。
そして怨霊の気とは別に、地の底から突き刺すような氣が、先程からずっと天真と頼久を苛み続けている。これは紛れもなく五行の力。しかし………、五行と呼ぶには余りにも不浄な、歪んだ力…。
「おかしいよな………。
京に行く前にだってこの町に来た事は何度もあるってのに、どうして今はこんなに妙な気を感じるようになっちまったのか…。怪談は俺が八葉になるずっと前からあったのに」
「天真………。ここの氣は我々の属性には辛い。
先程からずっと、下から刺されているようだ」
地の底から湧き上がる尖った霊氣。
この尖った氣は紛れもなく金。
金は金属。
木は樹木。
金属の磨かれた刃物は、樹木を傷つけ、切り倒す…。しかもその氣は穢れている。
「ああ……。気をつけろよ、頼久」
相克の属性ではいたしかたないが、ここら辺の金氣は尋常でない。
これ程の障りは今まで感じたことのないほどだ。
二人は慎重に金氣から精神を遠ざけると、辺りに目を配りながら歩いていった。
動物園、美術館方面、そして顔面だけ現存する仏像の安置してある仏閣や、かつての戦争の英雄の像のある場所、噂の絶えない、猟奇的な事件の起きたU公園を隈なく歩き、求める人影を探したが、どこにも彼らの姿はなかった。
やがて日が蔭り、黄昏た空気があたりを包み出す。
太陽のある間は人々の陽氣に陰を潜めていた別次元のものが、宵の真気を受け動き出す。
そこかしこで蠢き出した妖性のモノが、それらを見極める修行を積んでいない者達にも感じられる程に、はっきりと形を成してゆく。
二人はそれらには頓着せず、ただ目的の人影を探して歩いた。
「そういやぁ、この先の池でも事件が起こったんだよな」
その池にも数々の言伝えがあった。
娘を飲み込んだ池の主の話し。
浮かぶ重箱の話し…。
どこにでもあるといえばその通りだが、調べてみる価値はある。
二人が空と木々の創り出す闇の狭間に足を踏み入れた時、舗道をなぞるように備え付けられた街灯の一つ付近に、見慣れた二つの人影が浮かんでいた。
「ふぅ……。一体どこに行っちゃったんでしょうね。すぐに見付かると思っていたのに…」
「向こうも歩き回っていてすれ違っているんじゃないのかな? まぁ、そんなにあからさまにがっかりしないことだ。………彼は大丈夫だよ」
友雅は傍にある金属製のベンチに優雅に腰掛けると、隣りを指差す。
「少し、休もう。ずっと歩き通しだよ」
そういう彼は少しも疲れた様子などない。あかねの為だけに休息を要求しているのはあきらかだった。
彼女は素直に頷くと、意識的に彼から少し距離をとって隣りに腰掛けた。
「…つれないねぇ…」
あかねの方にずいっと身を乗り出した友雅は、柔らかな色素の髪を一房持ち上げて、それを指先で弄んだ。
「何をそんなに警戒しているの?」
近付かれた瞬間、自分でも滑稽なくらいびくりっとしたあかねは、友雅の気に圧倒されて頬を染めた。
(どうして…? 泰明さん以外の人に、こんなドキドキするなんて…)
初めて会った時から、友雅はこんなふうにあかねをからかってきた。
何か口実を見つけては肩を抱き寄せ、耳元に甘い言葉を囁く。
今に始まったことではないはずなのに、今日の友雅には何故か惹き付けられる。
流れる艶やかな髪。
甘く揺れる視線。
微笑みを作り出している口元。
組んだ長い足、髪にからめる細い指、くつろげた胸元から首筋のライン……。
彼の全てがあかねの神経に触れ、艶めいた指でそれを弾いてゆく。
意識が全て浚われる。
友雅の声が遠く、誰のものか分からないほどぼんやりと霞んで響く。
自分が今どこで何をしているのかも分からない。
「最近………、君は今までにも増して美しく艶やかになった。
この私が放っておけないのも、………君のせいだよ」
友雅の指があかねの顎のラインを捉え、そのまま指先だけを唇へと滑らせる。
何時の間にか腰を抱き寄せられてしまい、霞む意識の中で抵抗を試みたあかねだったが、思うように身体が動いてくれない。友雅から出ている気のようなものに絡み取られ、彼のなすままにされてしまう。
「と……もま……さ……さ…、…や……」
無理矢理唇を動かして抵抗の意を示すが、まるで言葉にならず、それは彼に無視されてしまった。
(やだ……、泰明さんしか…。もう、もう遅いけど、だけど泰明さん以外の人の腕の中なんて、いや…。叶わない望みだとしても…)
奪われていく意識を取り戻そうと、また、友雅の腕の中から逃れようと強く強く願う。
「彼に抱かれたの?
この白い肌に彼の指を、唇を触れさせたのかい?」
唇に触れていた指がゆっくりと首筋に下りてきた。
鎖骨を這う動きに身体が疼き、自分では抑えることの出来ない感覚が体の奥から湧き出でる。一度龍神と情を交わしたせいか、あかねの身体は信じられないぐらい敏感に反応するようになっているようだ。
友雅はあかねの表情を見て切なそうに瞳を細め、ゆっくりと近付き…。
白い首筋に唇を押し付けた。
「っ!? あ…、や……っ」
友雅が頭を上げた時、あかねの肌には薄紅色の花がひとつ、咲いていた。
「…神子…。………!?」
彼があかねの顔に視線を戻した。
その眦には薄っすらと涙が浮かび、きつく噛み締めた唇は色を失っている。羞恥と、思いたくはないが嫌悪に震え、それでも視線だけは友雅の顔を見つめたまま逸らさないでいた。
「神子………私は………何を………? ……」
何かがおかしい。
自分の中の何かが狂ってきている。
友雅はようやく自身の身に起きている変化に気付いた。
あかねと泰明の事は、父のように、兄のようにそして友人として見守っていくつもりだった。未練がないと言えば嘘になるが、こんなことをする気は毛頭なかった。
こっちの世界にきてあかねの変化に気付いた時も、嫉妬したというよりはむしろホッとしたのだ。
(…それなのに何故私は…?)
この地に着いてからだった。
この様に高揚した気分になり、自分を取り巻く森羅万象が己の元に集っていると感じ、そして深層の負の感情が煽られて一気に燃え上がるような感覚を受けたのは…。
自分の中に流れ込んでくる氣が心地よく、余りにも増大過ぎてコントロールできないでいる。そんな全開状態で迫られたあかねは、純粋すぎるゆえに抵抗すらできなかったであろう。事実、その通りのようだ。
うかつだった。
この地から友雅に流れ込む氣が、これほど異常だったことに気付かなかったとは。
おそらく、同属性の氣質だからであろう。今でもひしひしと伝わってくる膨大な力は、輝かしい煌きと、鋭利さ、そして冷たい底深さを湛え、友雅を魅了していた。しかし、それは酷く禍々しさを伴っている。京で感じたような清々しい金氣ではなく、血を吸った刃のような…、妖しい煌き。氣の大きさに惑わされてそれに気付くのが遅かった。
…否、ひょっとして気付きたくなかったのかもしれない。
この氣に全てを委ねてしまえれば、どんなに楽なことであろうかと、友雅は思う。
ふと気がつくと、腕の中のあかねは心配そうな瞳をして友雅を見ていた。
思わず友雅の顔に苦笑が浮かぶ。
先ほどあんな目にあったばかりだというのに、あろうことかその張本人を心配しているのだ。
(まったく……この姫君ときたら…)
「友雅さん……?」
見上げるあかねの瞳に不安が浮かぶ。
理由は分からずとも、友雅の異変に気付いていたに違いない。
「私らしくないことをしたようだ……。謝ってすむことじゃないが、……神子殿……すまない」
あかねは微笑んで首を振る。
「なんかやっぱり変ですよね、この公園付近……。早く泰明さんを探さなくちゃ」
「そのほうがいいみたいだね」
そう言って、二人がベンチから立ち上がりかけたときだった。
「あかねっ、友雅っ」
「神子殿っ」
聞き覚えのある二つの声がかけられ、あかねと友雅は声のした方を振りかえる。
「天真くん、頼久さん」
満面に笑みを湛えて、あかねが二人の方へ走り寄った。
「あかね、泰明は? 見付かったのか? ?……………!!」
最初心配そうにしていた天真の表情が急に固まったかと思うと、視線が一点に集中して止まった。
頼久もまた天真の視線の先にあるものに気付いたらしく、急に表情を硬くする。
「ど、どうしたの? 二人とも…」
突然黙り込んでしまった二人に困惑して、あかねは天真と頼久の顔を交互に見比べた。
「………お前ら、泰明を探しにきたんじゃねぇのかよ」
怒気を孕んで、天真が唸るような声を上げた。
「あぁ? 答えろよっ、あかね。お前の一番大切な奴は泰明じゃなかったのかよっ!」
「きゃっっ」
「天真、よせっ」
今にも殴りかからんばかりにあかねの手首を捉えた天真の腕を、すかさず頼久が捕まえて制止した。
「天真くん、一体なにを………」
「何を、じゃねぇよっ。お前らこそ一体ここで何をしてたんだっ。
泰明がああいうやつで、お前のことちっともかまってくれないから、友雅に乗り換えたってわけかっ? ええっ?」
「そ、そんな……ひどい……」
「何が酷いんだよっ。その通りじゃないかっ。
お前って奴は………優しくしてくれる奴なら、誰とでも寝るんだろうっ!」
「天真っ!!」
頼久が、驚く程の大声で天真の言葉を遮った。
これ程に怒りを露わにした頼久の声を聞くのは、一同初めてのことである。
さすがの天真ですら、びくっとして身体を強張らせた。
「…これ以上、神子殿を侮辱することは、例えそれが天真、お前であろうとも見過ごすわけにはいかない」
「…なんでだ。だってこいつの……」
「天真」
再度の、しかし恐ろしい程の静かな制止に、天真は今度こそ口を噤む。
「神子殿を責めないでやってくれないか。全ては私が悪いのだから…」
友雅があかねを庇うように間に割って入り、二人の視線から彼女を遮った。
「私の気が、土地に狂わされてるようだ。自分が制御出来ないでいる。…決して神子殿が泰明を裏切ったわけではないよ」
「はいそうですか」と納得するには余りにも言葉少なな説明だったが、天真も頼久も、思い当たる節があったので、それ以上追究することはなかった。
「それよりも、何か嫌な予感がします……。神子殿、早く泰明殿を探された方がよいかと」
「そ、そうですね」
頼久の言葉で我に返ったあかねは、今まで何故失念していたのか悔やんだ。
(泰明さん…、無事でいて…)
「手分けして探した方が早いんだろうけどよ、俺もやな感じがする…。みんな一緒に行動したほうが………!!」
余りにもあたり一面瘴気が濃すぎて、それに今やっと気付いた。
こちらに向かって“何か”がやってくる。
微かに聞こえる、金属の擦れる音。
規則正しく地を踏みしめる靴音。
灯りが必要なぐらい闇の濃くなってきた池のほとりに、それらはまるで地底深くからこの場所の出口に向かって行進するかのように、陰々と響く。
「…あ……れは……」
天真の口から掠れた声が洩れた。
昏い草色の詰め襟と反り返った細身の刀、平たい帽子に身を包んだこの世の者でないモノ達。
「あれが義勇軍の亡霊?」
あかねもまた、カラカラに乾いた喉を無理矢理使って、そう言葉を紡いだ。
とうとう怨霊登場です~~(←嬉しそう……(‐‐;;))
それなのに泰明さんは全然出ませんでしたね~(汗)
それにしても天真があかねちゃんを責めた理由、
分からない純真なお嬢ちゃんはメール下さいね(爆笑)