第壱章其ノ二
U駅を出てほどなく歩くと大きな公園が広がる。
公園の南西には大きな池。
北東には仏閣。
公園と池の間には神域が存在し、過去にあった大きな争いの義勇達の魂を慰めるために建立されたという建物や石碑が立っている。
昼間であればそれ相応の人出があり、夜であればひとときのやすらぎを求める者や恋を語らうものたちでひっそりと賑うのであるが、ここ数日でこの公園や池近辺に足を向けるものはほとんどいなくなっていた。
数日前。
人々を震撼させる出来事がTVを始め新聞の一面を飾った。
─── 通り魔の仕業か!? 亡霊のたたりか!?
公園工事作業中の男性ら、刺殺さる ───
その日の新聞のトップはそう語っていた。
公園の東屋を建設中の作業員三名が何者かによって刺殺された。
死体には刀傷と思われる傷が無数にあり、致命傷になった幾つかは、内臓を突き破るほどの深いものだったそうだ。唯一生き延びた一人は完全に錯乱しており、現在身体の傷の治療と精神の治療の為に入院中だという。
錯乱した男はうわ言のように
「───義勇軍の亡霊がっ、亡霊が…」
と、繰り返すのみであった。
そして次の日、警察が必死で捜査中にも関わらず、今度は池の付近を訪れていたアベックが惨殺死体となって見つかった。前日の作業員同様、身体中刀傷だらけだった。
犯人の検討はさっぱりと掴めず、世間は戦慄したのである。
三日目……。
今度は捜査中の警察官二名が、やはり惨殺死体となって見付かった。
もうすでに夜の公園に近付くものは、警察官以外、誰一人としていなくなった…。
「怨霊の仕業……だな」
「ええ……わたくしもそう思います。この紙からでさえ、このように瘴気を漂わせて……」
「早速、動き出したとみえる。─── 敵方とはいえ、勤勉だねぇ」
「友雅殿。不謹慎ですわ」
テーブルに広げた新聞を囲んで、泰明、藤姫、友雅の三人は口々にそれぞれの思いを上らせた。
ここは都市郊外。
S県K市にある古びた屋敷だった。
周りを森に囲まれ、少し足を伸ばせは首都の東側を流れる川の中流に行き当たる。
─── なぜ彼らがこの様なところにいるのか…。
それはあかね達の通う学校の裏庭に時空を越えて辿り付いた時から始まった。
『ようやく、きおったか………。千年ほど待ったぞ……』
「!? その声は…天狗か?」
泰明の呼び掛けに応え、声の主は呵々と声を上げた。
『そのように驚くことはなかろう。儂が長い時を生きるのは、おまえとて承知のはず。のう? 泰明……』
声はするれど姿は見えぬ。
一同は声のする方を見定めようとしてあちこちに目を配ったが、一体どこから聞こえてくるのか……。その場所を特定することは出来なかった。
『……しかし、あまりにも長く生きすぎた。おまえ達が来ることは分かっていたのでいろいろと準備をしてはいたのだが……。もうこれ以上お前達にしてやれることはないだろうな…』
何もない宙から、闇を割ってひらりと一枚の紙片が落ちてくる。
『そこに書いてある場所に行け…。この時代にお前達京の人間が存在するための布石を敷いておいた。詳しくはそこにいる周防という老人に聞くがよい』
「天狗………」
『なんじゃ?』
「世話をかけた」
『さて、お主が儂に礼を言うとはの…』
「天狗さん、ありがとう」
あかねが泰明の横に並び出て、何も見えぬ宙を仰ぐ。
この世界に存在する上での一番の不安、彼らの居場所と戸籍等の手配……。天狗が手を回していてくれたのは、おそらくそんな事だろう。
『神子……。相変わらず、いい表情をしているな』
「天狗さんも元気そう。本当にありがとう、いろいろ骨をおってくれて」
『いいや、大した事は何もしておらぬ。しかしな……、今はもうお前達の前に姿をあらわすことはかなわぬようになってしもうた。
─── この時代は我ら魑魅魍魎にとってはまこと生きにくい。五行の力がほとんど感じられぬ。酷い場所になれば、まるで五行が存在せんわ…。こうしてお前達と言葉を交わすのも、おそらくはもう幾度かが限界じゃろうて……』
「えっ!?」
「…………」
そう言えば…と、泰明は自分を取り巻く大気に己の気の触手を広げてみる。
無味乾燥とした空の中。
内に取りこめるほどの気も、そしてまた世界を生き生きとさせるほどの気の欠片も感じられぬ。代わりにねっとりと纏わりつくのは瘴気にも似た反吐を吐くほどの悪意…。
「うっっ!!」
『………わかったか。お前達の戦いは苦しいものになろう……』
幾分意味ありげな含みが響いたのは、気のせいであろうか。
どくんっと…、あかねの心臓が脈を打った。
あかねはあの夜のことを思い出してギュッと自身の身体を抱きしめる。
震えが止まらない。
龍神に……とは言え、確かにあかねの身体はもう何も知らない乙女ではない。
それを知られるのが怖い……。
好きな者以外に身体を開いた、不貞な女と嫌われるのが何よりも怖い…。
純粋で子供のような心を持つ泰明だからこそ、きっとこんな彼女を受け入れては貰えないであろう。
震えが……………どうしても止まらない。
(泰明さん……)
あかねは足に力が入らず、その場にゆっくりとくず折れてゆく。
「神子!?」
とっさに抱きとめた泰明の腕の中で、あかねは意識を手放した。
『…神子は随分と疲れておるようじゃの。……大丈夫じゃ。ともあれ、はようその紙に示してある場所へゆけ。ここからそれほどは遠くない』
天真と詩紋の案内でその場所に辿り付いたのは、それから二時間ほどのちのことである ──────
「こっちに戻ってきてからもう二週間経ったんだもの…。何らかの動きがあってもおかしくないよ」
詩紋が盆に冷たい飲み物を携えてやってきた。
現代の暦でもすでに六月も終わりを迎え、梅雨の最中にありながらも陽射しはまるで真夏のように厳しい。
汗をかいたグラスを彼らの前において、詩紋は会話に加わった。
「天真先輩と鷹通さんは図書館に出掛けたよ。
イノリくんは─── やっぱりあんまり調子よくないみたいで、今永泉さんがそばについてる。頼久さんは裏の森でいつものトレーニングしてるよ。あかねちゃんは、シャワーを浴びたら下りてくるって」
現代事情に詳しいのと、生来のこまめな性格のせいか、詩紋は一同の管理役のような形になっている。彼が皆の行動を把握していてくれるお陰で連絡が密にとれ、非常に助かっているのだ。何しろ性格がかなり違うもの同士、志を同じくしているとはいえ、普段の生活まで束縛するわけにもいかず、つい居場所を探すはめになる。落ち付いて一ヶ所にいられて………、そして現代と京事情と両方を把握しているものといえば彼しかいない。必然的に皆、詩紋に己の行き先を告げてゆくようになったのだ。
また彼は、この屋敷の管理人周防とあかねとともに食事係も兼ねている。
「……ふぅん…、これはなかなか美味な飲み物だね。何と言うんだい?」
僅かに白く色づいた、ぷつぷつと透明な泡の立つグラスを掲げ、友雅は詩紋に尋ねる。
「レモンスカッシュだよ。…レモンって蜜柑みたいな柑橘類の仲間で、酸味が強くてさっぱりしてるから、今日みたいに暑い日には身体にとってもいいんだ」
「詩紋は…物知りだね」
誉められて嬉しいのか、詩紋はにっこりと微笑む。
「皆がこの世界のことを知らないのはしょうがないよ。……でも僕の作ったものおいしいって言ってくれてありがとう」
「詩紋がいてくれてよかったよ…。我々だけだったら三日と経たずに餓死していただろうねぇ。詩紋の作ったものは本当になんでも美味しいよ。……まぁ、神子殿が作ったものも珍味と思えば食せないこともないけどね」
「友雅さんってばひっどーいっっ」
何時の間にか、あかねが階下に下りてきていた。
薄い色の髪はまだ湿り気を帯び、淡いピンク色のノースリーブシャツにスカートというかなりの軽装だ。それを目にした泰明は、僅かに眉を動かした。
「おやおや……。いつの世も、湯上りの女人はいいね……。趣があって……神子殿?」
言外に含まれた響きの通り、湯上りということも手伝って、あかねは妙に艶やかだった。
「今ごろ褒めたって、もう遅いですからね~~」
ちょっぴり気分を害したあかねは、あどけない仕草で顔をしかめてみせた。
それがまた、危ういバランスで友雅の目を奪う。
現代に来てからというもの、何故かあかねの仕草が艶めいているのにいち早く気付いた友雅は、いつものような軽口でほめのかす。何かあったのだろうと……検討はつけているのだが、よもや龍神……とまでは思い及ばなかった。
この二週間で皆それぞれに現代に馴染んでいった。
衣装に凝るもの、書物に凝るもの意趣様々ではあったが、皆好奇心旺盛で、瞬く間にこちらの世界の知識を吸収して行く。一週間も経つ頃にはすでに、皆普通の生活は滞り無くこなせるようになっていた。
「藤姫も今日はとってもかわいい洋服を着てるね。とってもよく似合ってるよ」
素直な詩紋の賞賛に、藤姫はうっすらと朱を上らせた。
「ま、あの……ありがとうございます…。でもまだかなり………恥ずかしいですわ…」
こちらはブルーの半袖のワンピースに身を包んでいた。
スカート丈は配慮してあるのかくるぶしまで届くほどの長さだ。
豊かな黒髪がそのまま後ろに流され、生来持つ気品も相俟ってどこぞのご令嬢と言っても疑うものなどいないであろう。
そんな藤姫を見つめる詩紋の視線に、やはり友雅だけが早々と気付いていた。
「詩紋もすみにおけないねぇ。大輪の牡丹の蕾に、目を奪われるとは…」
「えっ? あっ……その…」
たちまちに頬を染めた詩紋に微笑ましげな視線を送りながら、友雅はスラックスをはいた足を優雅に組み替える。
「かわいらしい恋人達をみてるとこちらまで微笑ましくなるね。ね?……神子殿?」
話を振られたあかねは、詩紋と藤姫の顔を代わる代わる見比べる。
「えっ? えっ? そうなの? そうだったの? へえ~~」
「あかねちゃんっっ」
あからさまなからかいに困り切った詩紋が声を上げた。
その時、今まで黙って飲み物を口に運んでいた泰明がすっくりと立ちあがる。
「あっ、泰明さん、どうしたの?」
「出掛けてくる」
「えっ? 出掛けるって……一体どこへ…」
まだこの世界には、泰明一人で足を向けるような場所などなかったはずだった。
「ここだ」
泰明の指は、先程見ていた新聞の一面を指し示している。
「U公園………」
U駅のすぐ近くにある公園。そばには有名な動物園もある場所だ。
「ひょっとしてこの事件……」
「そうだ。鬼がかかわっている」
「じゃあ下調べに行くの?」
「必要とあらば、破邪するまで」
泰明はそうあっさりと言うが、この世界に五行の力がほとんどないことは初日から明白だ。陰陽の術を得意とする泰明ですら苦戦を強いることは間違いない。
『お前が五行を生み出すのだ』
龍神の言葉が痛みとともに蘇る。
泰明一人で行かせるわけにはいかない。
「私も行くよ。だって泰明さん一人じゃ心配だもの」
そう言い出したあかねを、泰明は無表情に上から下まで眺める。
この世界に着いて間もなく、顔の封印は消えてしまった。
泰明の力で再度施していたものなので、泰明の五行が弱まると同時に封印も効力が薄れ、彼本来の持つ呪力の力を抑え切れなくなったのだ。
今は琥珀色の双眸となった彼の瞳が無遠慮にあかねの晒された肌に注がれた。
「………問題ない。私一人で行く」
「泰明さん!?」
U駅まではここから電車ですぐだとは言え、彼は知識で知るだけで今だ電車やバスなどに乗ったことはない。
(「問題ない」って言われたってっっ)
そういわれても、「はいそうですか」と放っておくわけにはいかない。ましてそれが想い人であるなら尚更のことだ。
それにしても泰明の様子が少しおかしいのにあかねは気付いた。
ぶっきらぼうな言い方はそのままだが、僅かに視線を逸らせ、話していてさえあかねと目を合わせようとはしない。
あかねは戸惑いながらも、尚も言い募る。
「駄目だよ泰明さん。天狗さんも言ってたじゃない。この世界には五行がほとんど感じられないって。それに幾ら泰明さんだって電車も乗ったことないのに一人でなんて……あっ………」
あかねの話しが終わらぬうちに、すっと背を向けた泰明はスタスタとリビングを出ていってしまった。
「や、泰明さん……」
(避けられてる?……)
何処かいつもと違う泰明の態度に、あかねは深く傷つく。
何故かは分からないが、この世界に来てからというもの、確かに泰明の態度には何か不自然なものがあった。
しょんぼりとしてしまったあかねを見て軽く溜息をついた友雅は、すっと立ちあがり彼女の腕を取る。
「行き先は分かってるんだ。そんなにがっかりすることないと思うけどね?」
微笑みながら囁く友雅の顔を見上げ、あかねは僅かに潤んだ瞳をむけた。
「何だか私もこの場所を見たくなってしまってね。初めての冒険だ。一緒に行ってくれないか?」
艶やかに視線を投げる友雅。
その心遣いが嬉しくて、あかねもにっこりと笑い返した。
「はい。ありがとうございます」
「─── …と、言うわけだ。藤姫、詩紋、行って来るよ。れもんすかっしゅ、ご馳走様」
部屋を出て行く二人の背を見送って、詩紋は眉根を寄せながら呟いた。
「…泰明さんも、あかねちゃんも………、なんか変だよね…」
「詩紋殿…」
残された二人は顔を見合わせ、心配そうに溜息をついた。
────── ようやくあかね達が動き出したその頃、S区、T区、そしてB区でも何やら不穏な動きが始まりつつあった。
とうとう動き出したアクラム達。
なんだか、変な感じの泰明さん。
やーね……。何か自分で書いてるのに、先が見えなかったり……(滝汗)
