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菊花抄  ~悠久なる時空を超えて~


第壱章其ノ一


 どんよりと重い雲が立ち込めた空。
 雨が降ってきそうな気配だが、今の所ときおり風が強く吹くだけでそれらしきものはない。

「……これほど……とはな…」

 高い ───

 その場所は首都のシンボルとも言える高い塔の上であった。
 正確に言えば塔にいるわけではない。
 塔の最先端のほぼ近く。何もないはずの宙に彼の姿は浮いていたのだ。
 そこから見る風景はまさに彼にとって脅威とも驚愕とも言えるものであるが、それ以上の興味が彼の全てを支配する。
 塔の周りには幾つか高層ビルが林立する。
 少し離れた所にもまた、今彼がいる場所とほとんど変わらないぐらいの建物が立ち並び、それらを目にした彼 ─── アクラムはうっすらと口の端に笑みを上らせた。
 宙に立つ、古の衣装を纏った仮面の男。
 それは異様な光景であった。
 しかし、異様と言うのならば、今この都市を取り巻く大気ほど異様なものはない。
 あえていうのであれば、黒龍が呼ぶ瘴気とほぼ同じもの。
 その中にいるだけで息苦しく、憎しみ、悲しみ、そしてあらゆる負の感情を増幅させるような、そんな感覚 ───。
 蘭が……、黒龍がこの世界に来たことでそれは一層力をつけ、都市と人々を蝕んでいた。

「この憎悪が我らに力を与える。………あのようなちっぽけな京にこだわっていたなぞ……。おかしなものだな…」

 例え神子が追ってきたとしても、この世界ではおそらく彼の方に分がある。世界の全てが彼に力を与えている。人々の歪んだ思い全てが、彼と蘭、シリンの力となる。
 刻一刻と空気が淀んでいく中、アクラムは飽かずにその摩天楼を見下ろしていた。









「神子殿…。お目覚めになられましたか?」

 気だるい思考の中で藤姫の声が聞こえ、あかねはうっすらと目を開けた。
 何時の間に眠っていたのだろうか?
 彼女はしばし空白の時間を探ったが、すぐさま夕べの出来事を思い出し、慌てて自分の身体を上から下まで眺めた。
 床に着く前は確かに来ていたはずの薄衣が、何故か彼女の脇に脱ぎ捨ててあり…。そして身体を動かすと下半身に走る僅かな痛み。気力体力ともすっかり回復しているようだが、いつもと違う、自分を取り巻く大気。
 それらが確実に夕べの出来事を夢ではないと告げる。
 格子から差し込む眩しい昼の陽が、二重に隔てられた几帳の向こうに藤姫の姿を映し出し、あかねは急いで衣を羽織る。

「藤姫、おはよう。もう朝なの? 早いね」

「神子様。もう午の三つどき(正午)も過ぎましたわ」

 くすくすという軽い笑い声とともに、藤姫が優雅に几帳をよけて膝を進めてきた。

「本当はもう少ししてからお起こししようと思ったのですが、皆様朝からお揃いで、痺れを切らしてきたようなので…」

 通常貴人との対面には相当の時間がかかるが、この時代の人間でないあかねにはそういう概念がないのだ。藤姫が取り次ぎするのですらじれったい。
 永泉、友雅、鷹通、頼久あたりはきっとじっと待っているのだろうが、あかねと同じく待たされることになれていない者達が騒ぎ始めているのだろう。おそらくは、天真やイノリあたりだろうか。
 あかねは藤姫と顔を見合わせて微笑を交わした。

「じゃあ早くみんなの前に顔を出さないと、暴れ出す人もいるかもしれないね」

 藤姫に手伝ってもらいながらすっかり身支度を整えると、あかねは借り物の銅鏡を取りだし、小指で唇に紅を履く。
 おそらく、今日がこの時代にいる最後の日。
 力を貸してくれた人達と過ごせる最後の日。
 一番きれいな自分を見せたかった。
 彼らの追憶の中で『元宮あかね』という自分をずっと残しておくために。
 それに…。

(泰明さん………)

 胸が苦しい。
 切なくて痛くて、もう息も出来なくなりそうだ。
 あかねは一瞬だけ目を閉じると、藤姫と視線を合わせ……。そして鮮やかに笑ってみせた。

「神子様…」

 一番辛いであろう時に笑ってみせるこのやさしさと強さ。
 藤姫は憧憬のまなざしであかねを見つめ、そして寝殿へと促した。
 左大臣の計らいで、今日のこの屋敷の主人はあかねとなっていた。




「今まで本当にお世話になりました。もう……きっと会うこともないと思いますがどうぞ、お元気で…」

 あかねの精一杯の別れの言葉に左大臣も涙ぐみながら口上を返した。
 屋敷の者達もこの愛らしい神子にそれぞれに別れを告げ、広い南庇に残された主だった者達はしばし誰もが言葉を発しようとはしなかった。
 皆待っていたのだ。
 龍神の神子の……、あかねの言葉を。

「今夜、アクラムを追いかけて行きます」

 皆それぞれにくつろぎながら、それでもあかねを中心に気がまとまっているのが分かる。これも暫しの間志を同じくして行動を共にした証しであろう。
 あかねはそんな彼らを頼もしくも寂しくも思いながら、そして自分の想いが顔に出てしまわないよう精一杯繕いながら言葉を続けた。

「京に平和は戻ったけど、私はアクラムをほっとく訳にはいかないから…」

 『さよなら』を言わなくてはいけないと思いつつも、その一言が出てこない。
 どう別れの言葉を紡ごうか迷っているうちに、抑えつけていた感情が溢れそうになり必死で笑顔を張り付けて震える手をぎゅっと握り締める。

「だから、だからみんな………」

「………夏虫の身をいたづらになす事も ひとつ思ひによりてなりけり ─── ………か」

「?? 友雅さん?」

 静寂の中を流れるように、艶を含んだ声が歌を詠む。

「先人の歌だよ。……いや、この方の気持ちが今はよく分かるね。これも神子のおかげかな?」

 鮮やかにウィンクを投げる友雅に、あかねはその歌の意味を考えてみながら取りあえず微笑み返した。

「友雅殿……。意見が合いましたね。私も同じ気持です」

「おや、鷹通も……か。ということは、君もとうとう恋に目覚めたのかな?」

「こ、こいっ…。私はですね、純粋に歌の意味を考えて…」

 ふふふ…と笑いながら鷹通の耳元に顔を寄せた友雅は、あかねには聞こえぬほどの声で囁く。

「報われぬ…という意味もあるのだがね?」

「友雅殿…」

 鷹通は微笑を浮かべながら目を伏せた。

「よかった……私も仲間にいれてください」

「永泉様……。よいのですか?」

 鷹通は驚きのあまりずり落ちそうになる眼鏡を抑えながら言った。

「ええ。………いけませんか?」

「なんなんだよっ、虫がどうしたって?」

 歌を嗜むことをしないイノリが意味を測り兼ねて、詩紋に食ってかかる。

「あのね、イノリ君、友雅さんも鷹通さんも永泉さんも、危険を承知であかねちゃんと一緒に行くって、そう言ってるんだよ」

 歌の意味を思いっきり、いやほとんど端折って、詩紋がイノリに説明する。
 回りくどいことを好まないイノリには、一番効果的な説明だ。

「なんだよ、おまえら。行くか行かないか迷ってたのか? そんなの迷うことねーじゃん。俺達は龍神の神子の八葉なんだろ?」

「イノリくん…」

 あかねが驚きのあまり目を丸くした。

「頼久はどうなんだ? 俺達と一緒に来るのか?」

 天真が黙って成り行きを見守っている頼久にニヤリと笑いかける。

「…言わずと知れたこと。神子のいらっしゃる場所が私のいる場所。説くまでもない」

 同じく笑い返す頼久。

「そうこなくっちゃ」

「頼久さんまで……」

 あかねは嬉しさで涙が出そうになるのを必死でこらえ、残る一人に視線を向けた。 本当は一番来て欲しい人……。諦めようと思ってもどこか心の片隅で一緒に来てもらいたいと思っていた自分に気付いてあかねは恥ずかしくなった。
 視線を受けた泰明はすっくりと立ちあがり、あかねを見下ろす。

「話しは済んだか? ─── では行くぞ」

「泰明さん?」

 一瞬、あかねはドキッとした。
 『話しが終わったなら、帰る』という意味だと思ったのだ。

「必要な者達と別れの挨拶は済ませたのだろう? ならば夜まで待つ必要はない。私の用意はすでに整えてある。
 ─── あの異空間に繋がる神泉苑の歪みは夕べ調べておいた。後数日はもつとは思うが、早ければそれにこしたことはない」

「泰明さん……、それじゃあ一緒に行ってくれるの?」

「当たり前だ。なぜそんな事を聞く?」

 そこまでがあかねの限界だった。
 ついに涙を堪え切れなくなって両手で顔を覆ってしまった。小さな手で受け止め切れない滴が指の隙間からぽたぽたと流れている。

「神子!? なぜ泣く? 皆が一緒に行くと言っている。問題ないはずだ」

「問題ないはずないよっ、多分もうここに帰ってこれないんだよ? 何があるか分からないんだよ?」

 顔を覆っているせいで幾分くぐもっているが、その言葉は八葉、そして藤姫の耳にもしっかりと届いた。
 誰もが意を翻すことはなかった。
 そんなことは先刻承知である。それでも彼女と行動を共にすること…、それを選んでくれたのだ。

「わたくしは………、もうここには必要の無いものです。どこまでも神子様と共に…」

 静かに微笑んで、藤姫がそう言った。

「!! 藤姫までっ」

 十歳という年若でありながら、あかねよりもしっかりとした考えを持っていた藤姫。彼女までがこんな先の見えない、しかも片道の旅路に共するという…。
 あかねは感極まって藤姫の小さな身体を抱きしめた。
 やさしく艶やかな荷葉の香。
 僅かな間に離れがたいほどの絆を感じた、小さな心の妹。

「神子様……。神子様がここにおいでになられた時、わたくしは『帰りたい』と言うあなた様の心を無理矢理抑えつけ、理不尽にもこの京を守ってくれるよう強制しました。本来ならば、怒り狂い、わたくしどもを傷つけても、わたくし達は何も言える立場ではなかったのですわ。それを神子様は………。
 ─── 神子様のやさしさにつけこんだこと、お許し下さいませ」

 あかねは無言のまま首を振る。
 こんなに小さいのに、そこまで考えていたという事実にあらためて胸の奥が温かくなる。

「わたくし…、戦うことに何のお役にも立てないけれど……。いいえ、きっと神子様の足手まといになってしまう……。だから本当はわたくしなどおそばに居ない方がいいのかもしれません。でも、─── ですが必ず、私のこの能力がお役に立つと、そんな予感がするのですわ」

「藤姫……」

 あかねはゆっくり藤姫の身体を離すと、その小さな手をそっと握り締めた。

「ありがとう……。ほんとにありがとう。
 ─── みんな本当にありがとう……。嬉しいよ」

 そう言って新たに涙の軌跡を頬に描いた。

「泣く必要はないと理解したか?
 ……まだ泣いているのか? 私はいつも神子とともにある。それは己の意思だ。神子が気に病むことはない。ここにいる者達皆が己の意思でそれを決めたはずだ」

 自分は神子の道具であると公言していた泰明が、初めて使った「己の意思」という言葉。その言葉の重みをあかねはしっかりと噛みしめる。
 泰明が、にこりと笑った。
 その笑顔があかねの心を優しく包む。
 彼の笑顔がどれほどあかねの心を暖めているか……。そしてその反対に泰明の心のほとんどを占めるあかねの笑顔が、彼だけでなく八葉すべての者に強さをもたらしていること。そのことをその場にいる全員が肌で感じていた。
 高揚する気が、新たな何かを生み出し彼等を包んだこと。
 その変化に気付いたのは泰明と永泉、そして藤姫であった。

(………これは………?)

 無表情のまま、泰明がふっと宙に目を凝らす。

(………この気は神子の……?)

 その日の夕刻。
 あかねと八葉ら、そして藤姫が神泉苑の時空の歪みから悠久を越え、あかね達の入学した学校の裏手の井戸に辿り付いたのは、星の明かりどころか月さえもようよう見えぬ、暗い、しかし、どこか異様に明るい夜の帳の中であった。




やっと、一部を除く全ての人を現代に移すことが出来ました。
今度の舞台は某都市。
冒頭の表現で分かる人はわかりますよね~♪