第参章其ノ二
「や、泰明さんっ? 大丈夫?」
駆け寄ったあかねと永泉に泰明は抱き起こされ、口の端から滲んだ血を拭う。
「………………天真」
両脇から添えられた手を振り払って、泰明は自分を殴りつけた地の青龍を睨み付けた。
「…説明してほしい。なぜお前に殴られねばならぬのか…」
「なっ!? なぜだとぉっ!?」
そこで友雅がとめなければ、きっと天真は再び泰明を殴っていた事だろう。
「天真、よさないか」
素早く天真と泰明の間に割って入り、やんわりと天真を静止すると友雅はあかねの表情を伺った。
青ざめて、酷くショックを受けた後遺症かやや憔悴して見えたが……。
(……大丈夫…、我等の姫君は私が思っているよりも…………強い…)
あかねも泰明の異常に気づいているようだった。
ああまで泰明に傷つけられても彼を気遣うその姿勢は、友雅にもそして唇をかみ締めて成り行きを見守っていた鷹通にも、そして恵梨にすらも深い悲哀を与えた。
「頼久、泰明殿を休ませた方がいいね…。頼めるかな?」
「……はい」
「その必要はない。私は大丈夫だ」
差し伸べられた頼久の手をも払いのけながら、泰明は立ち上がろうとするが、どうやっても自力で立ち上がることが出来なかった。足にも手にも力が入らない。
泰明は諦めて幾度目かに差し伸べられた頼久の手に素直に従った。
「…休む必要はない……。先ほども話したように、事態は一刻を争う。……早く天地の朱雀を……」
「泰明殿、あなたのお話は分かりました。───が、この場は一先ず身体を休めるのが先です」
「だが…っ」
さすがに頼久も問答無用で連れて行ってしまうわけにもいかず、なんとか泰明を諭そうとするが、尚も泰明は言い募る。
しかし、それも友雅によって遮られた。
「泰明殿、詩紋とイノリは私達が必ず探しだすよ。それに………頼久から、君に何か話があるようだが…」
頼久の眉が微かに寄せられる。
それを見てとった泰明は、諦めたようにため息をつき、促されるままに部屋を出て行ったのだった。
「……さて、神子殿。どうする?」
友雅が何事もなかったかのように微笑を零す。
「えっ? ……あの……私……」
見渡すと、部屋には行方不明の詩紋とイノリ、そして先ほど出ていった泰明と頼久を除く全員が集まっている。
泰明の発言を皆、聞いているはずであった……。
「……えっと……」
やっと現実に戻ってきたかのように、躊躇する。
そしてもう自分にほとんど『羞恥』という感覚がなくなってきているのに気づいて再び戸惑う。
あれだけ心を痛め、迷っていた現実に恥ずかしいとすら思わなくなってしまい……、そんな自分が悲しくなってきた。
けれど先ほどの泰明の言動にある事を確信したあかねは、心のどこかでほっとして。
そして、迷っていた一切を………諦めてしまった自分を知った。
まるで今の泰明は、初めて京であった頃の彼に戻ってしまったかのようだった。
いや明らかに泰明は、あかねと二人で築き上げた今までのものを失ってしまっていた。
それは一番あかねが拠り所としていたところ。
……心のかけら。
─── 愛とも呼べるもの……。
『……泰明さん……』
失ってしまった大切なもの……。
どうしてそういう事になってしまったのか分からないが、先ほどの泰明のあかねを見る目……。そこに‘あかね’という存在は映っていなかった。ついこの間まではどんなに目を伏せようと、辛そうに瞳を揺らそうと、確かに‘あかね’は彼の中に存在していたはずなのに、今の泰明の瞳に映っているのは明らかに‘龍神の神子’だった。おそらくアクラムの術によってまた、心のかけらを奪われてしまったとしか考えられない。
(でもそれで良かったのかも…)
あかねと八葉としての立場の狭間で、泰明が苦しむことはない……。
恋慕をよせるからこその痛みもなくなる。
そして、‘あかね’を見つめる泰明の瞳も、心も……。
泰明の心は奪われてしまったけれど、せめて、…せめてこの世界と大切な人達だけは守りたい……。
そう願わずにはいられなかった。
「…泰明さんは多分…また、心のかけらを奪われたんだと思う。
泰明さんにとって一番大切な部分を……。
でもね、なんか私、ほっとしてる。─── 酷い子かもしれないけど、泰明さんが私とのことを忘れてくれて、とってもほっとしてるよ……」
(苦しむのは、私だけで充分だもん。泰明さんの苦しみが一つでも減るんなら………それでいいや)
床に落としていた視線をぐいっと上げ、心配そうに見守る一同に微笑みかける。
久しぶりにみせた、晴れやかな笑顔だった。
けれど、すぐに表情を引き締めて小さな拳を握り締める。
「イノリくんと詩紋くんを探し出すよ…。絶対に」
あかねの言葉に深く頷きながらも、不安げに永泉は問い掛けた。
「ええ………。けれど神子殿……、いったいどうやって…」
「私にもはっきりとは分からないけど……。…そうだ、永泉さん、藤姫を手伝って何の気も感じられない方向を探してみることは出来ますか?」
「何の気も感じられない方向……ですか…?」
「ええ」
藤姫と永泉は顔を見合わす。
「これは想像だけれど、二人の気を探ってまったく感じられないって事は、反対に全然他の気がないところを探してみれば、何か手がかりがあるかもしれない」
「…なるほど。姫君のいうことも一理あるかもしれないね」
友雅と鷹通が視線を交わす。
「それはいい考えかもしれませんね。結界か何かに二人の気が阻まれているとしたら、その結界がある場所には他の気もあるはずがない」
「分かりましたわ、神子様。永泉殿、お手伝い願えますか?」
「分かりました」
天真が差し出す地図に向かい、藤姫と永泉が集中し始める。しかし、程なくして永泉の顔色が傍目にも分かるほどに青ざめ、呼吸が乱れてきた。
……明らかに気の力が不足しているのだ。
もうこの世界にきてから暫く経つ。
身の内に溜まっていた五行の力などすでに使い果たしているのだろう。
占いの能力を生まれ持った藤姫と違い、永泉は八葉となったことでその力が増幅されていたのだ。本来、彼が持っていたのは浄化の力…。五行の力を補充できなければ、八葉としての力を発揮することも不可能だ。
「永泉さん…」
力が不足している事が原因か、身体にも影響が出てきている。これ以上力を使うことは危険だ。
「やっぱり、やめよう。今度は永泉さんが倒れちゃう」
「い、いいえ……。まだ大丈夫です」
「だめだよ。そんな青い顔をして。…無理させちゃって、ごめんね」
「! そんな、神子殿のせいではありません。私が……、私の力が足りないばかりに…こんな………!?」
地図の上に両手をついて俯く永泉の目が、何かを捉えて大きく見開かれた。
目の前にあるのは首都圏とそこをとりまく幾つかの県の地域図。
首都圏各地で雑多な事件は起きているものの、その中でも鬼がからんでいると思われる異常な性質の事件が起こった場所には赤く丸印がつけられている。通常の怨霊がらみの事件は黒丸だ。
そして………
(泰明殿は先ほど何とおっしゃいました…? ‘四神の結界が崩れてきている’と………)
四神の結界のことは永泉も先から承知していた。
この屋敷のある辺りは北。玄武が守護している。そして首都の東にあたるE区に青龍の結界。西のS区に白虎の結界。南のS区O町付近には朱雀を使った結界があった。今や朱雀の結界は崩れ始め、首都にわだかまった異様な氣は溢れて、少しずつ流れ出している。地図の黒丸はそれを如実に表していた。

(ではこの赤い印は………)
T区U公園の義勇軍の怨霊、S区S二丁目の閻魔、T区魚市場付近の海坊主、B区S坂の夜泣き石、……そして泰明に何事かあったと思われるM区A付近の墓地周辺。
一見、無造作に散らばった五つの赤い丸印。
その個所を繋ぐと………。
「もう一つの…………結界!?」
四神の結界は首都の上に現われている、いうなれば天の結界。
そしてこの五行の結界は地に眠る怨霊を使った地の結界…。
「結界が二重に張られていたのですね」
怨霊の活性化によって地の結界も崩れかけている。
─── そのほぼ中心にあるのは…。
どきどきと脈打つ心の臓を無理やり落ち着け、地上でなく、深い深い地の底に意識を集中した。
(………集まっている……。この場所に…)
「どしたんだ? 永泉?」
先ほどから奇妙な言動を繰り返す永泉に天真が首をかしげた。
「何かあるのですか? 永泉様?」
藤姫の言葉も、耳に届いていない。
永泉は泰明の言葉を心の中で反芻し、考えてみる。
果たして、このことは泰明も気づいているのだろうか…?
(天の結界が現し代の均衡を破壊するものであるならば、この隠された地の結界はおそらく…)
そこまで考えて永泉はようやく顔を上げ、皆を見渡した。
(泰明殿があのような状態のままで………、いったい私に何が出来るのでしょうか……?)
少しずつ形が見え出し、このストーリーも佳境に入ろうか…といったところです。
しかし…、更新おっそいですねーーー(--;;
我ながら情けなくなってしまいます。
仕事が忙しくなってしまっている事が大きな理由ですが、
実はこれ書いてる今は、熱があったりして…(^^;;
「寝てろよなー」と自分で突っ込みいれながらやってたりして(爆笑)