第弐章其ノ十
(入り口が無人で良かった………;;;)
もうほどんど残っていない、緑色の明かりがついているボタンを押して、下から出てきたキーをもって部屋に向かった。
あかねが見付けた幾つかの明かりの一つは、いわゆるこういうところ…………であった。
従業員やホテル側の心配りで、極力人に会わないような仕組みになっているのだ。
もちろんあかねは、こういった所に入るのは初めてで、自分の年齢や頼久の状態をみたら断られてしまうのではないかと内心ひやひやしていた。けれど客のプライバシーを一番に考えて整えられた体制は、“ホテル体験初心者”であることを除いても不審な二人に、幸いしたのだった。
薄暗い廊下にもエレベーターにも誰もいない。
二人はずぶ濡れで満身創痍の状態を誰にも見咎められることなく部屋まで辿り付くことが出来た。
部屋に入るとドアはガチャリと自然にロックし、濡れた靴を脱いだりタオルを探したりしている間にベッドサイドの電話がなる。
まだ入り口にしか明かりは付いていない。
奥の闇の中に明滅するランプがけたたましい音を立てて催促していた。
「ど、どうしよ…」
頼久を見ると、息が上がって壁によりかかり、目を閉じて一生懸命に失われた体力を取り戻そうとしているらしく、身体が小刻みに震えている。立っているのももう、やっとのことらしい。
意を決して暗闇の中、あかねは音の発生源に辿り付くと躊躇いがちに受話器を取った。
「……はい」
受話器の向こうの声は女性だった。
柔らかな声で休憩か泊まりか尋ねた後に、すぐ料金を取りに行く旨を告げ、お決まりの言葉を添え付ける。
『どうぞ、ごゆっくり』
「あ、あのっっ、」
『はい?』
「ここから外へ、電話をかけたいんですけど…」
『もうしわけありません。この電話は内線にしか通じてないんです。公衆電話なら、橋を渡った一つ目の交差点にありますが』
「そ、そうですか…」
二人の状態も状況も何も分かっていない女性は、悠長にそう言った後電話を切った。
「困ったな……。どうやって連絡をとろう」
お金は、充分持たされている。
ここで休む費用に困りはしないが、連絡する手段がないことにはどうする事も出来ないではないか。
そうこう悩んでいるうちに、チャイムが鳴った。
あかねはポケットの財布からびしょ濡れのお札を取り出すと慌てて入り口に向かう。
ドアの脇に小さな窓があって、どうやらそこから互いに顔を見ることなく料金の受け渡しができるようになっているらしかった。
「あの………っっ?!」
「……何か?」
壁の向こうから響く声を聞いて、あかねは目を見開いた。
事務所の電話でも何でも使わせて貰おうと、再度頼もうと思いきや、なんと料金を受け取りに来た人は先ほどの女性とは違う、渋い声の男性だったのだ。
男性は差し出されたびしょ濡れの札を何の戸惑いもなく受け取ったが、去り際に声をかけられて、さすがに不審そうな声をしていた。
瞬間、あかねは軽いパニックに陥った。
初めて入ったので慣れているはずもなく、女性がくるのだろうと思っていたのが男性で……。
恥ずかしいやら何やらで、無理にでも頼もうと思っていたことなどすっかり消し飛び、どもりながらもようやく口にした言葉は、まったく別のことであった。
「ぬ、濡れた服…………、そ、そのー……、か、乾かせますか?」
「…乾燥だけでよろしければ、お時間が終わるまでにしておきますが?」
「じ、じゃあ、あのっ…、お願いしますっ」
とまで言って、自分達がまだ濡れた服を着たままだということに気付く。
「あ、あ、ふ…服、まだ……」
「十分後に、取りに来ますので」
男性の言葉にあかねはコクコク頷くと、脱衣所に飛びこんで備え付けのローブに着替える。そして、頼久のシャツを脱がし、ジーンズを脱がすと ─── さすがにジーンズを脱がす時は恥ずかしかったが、頼久が気力を振り絞って協力してくれた ─── 、言葉通りきっかり十分後に取りに来た男性に服を渡した。
“パタン”と小窓が閉じられた後、あかねは大きな溜息とともにその場にへたり込んでしまったのだった。
(バカバカバカバカバカ…………、私のバカぁ~~)
今更また、フロントに電話をかけなおす気力など全然ない。
(もぉっっ、しょうがない…。………とにかく、服は乾かしてくれるんだから、時間まで頼久さんを休ませてあげないと)
ようやく気を取り直して、腰にバスタオルを巻き付けただけの頼久を真っ赤な顔で支え、ベットまで引き摺るように連れて行って休ませた。
「大丈夫? 頼久さん?」
「……は……い。……」
柔らかな、薄手の羽布団をかけてやると、頼久は肩で大きく溜息を付き、目を閉じる。
「ほ、ホントはお風呂につかったほうが身体が温まると思うんだけど、………今は少し休んだ方がいいよね。……私、シャワー浴びてくるから…………。ゆっくり寝てて」
「…………わかりました…」
頼久の声はほとんど聞き取れないぐらいだった。
目を閉じたまま開こうともしない彼に、あかねは心配になったが、『休めば…少しよくなるかも…』と自分を納得させ、明かりも付けてない部屋の中を脱衣所の方に向かっていった。
(ふう……)
脱衣所に入って衣類を全て脱ぎ去ると、バスルームの明かりをつけて中に入った。
ようやくの一人きりの空間に、今まで張り詰めていたあかねの精神はすっかり緩む。熱いシャワーを浴びながら身体も一息つくと、自然と心につかえていた重荷が蘇ってきた。
そう、……今では重荷になってしまっている。
何とかして、八葉のみんなに五行の力を分け与えること ───
“口付けや身体の交わりで気を分け与える”
皆のことが嫌いなわけではないが、口付けは好きな人だけのもの……。身体などもっての他だ。
普通の女の子であれば当然の感情であると思う。
けれど、龍神の神子である以上、自分のせいでこの世界にアクラムを招いてしまった以上、どうにかしなければいけないと思ってもいる。
それが例え自分の身体を奉げなければならないとしても……だ。
(……泰明さんが、私を愛してる…って……。もう龍神に抱かれちゃった身体でも、それでも好きだって抱きしめてくれて………。それでいいよね。その思い出があれば、もういいよね……)
噛みしめた唇が震えている。
じわりっと湧いてくる涙をシャワーで紛らわせて、何かを降り切るように手早く身体を洗うとバスルームを出る。
(でも……)
ローブを羽織って大きめの鏡に向かい合う。
酷く辛そうな、悲しそうな表情をした自分の姿が映っていた。
(でも……どうしてこんなに苦しいんだろ……)
訳がわからないままバスルームを出ると部屋は何故かぼんやりと明るかった。頼久が明かりをつけたのだろうか?
ふとベットの方に目をやると、頼久がベットによりかかるようにして床に座りこんでいるではないか。
「頼久さんっ!?」
慌てて彼のそばに駆け寄ると、視界の端の方に部屋をぼんやりと照らしている光源が映る。
(えっ? ……ひ、ひょっとしてこの明かり………、バス…ルーム…?)
振り向いたあかねの視線の先には暗い中にくっきりと浮かび上がるバスルームがあった。
「や、やだ…、もしかしてマジックミラーだった……の…?」
出る時に消し忘れた明かりは、今まであかねが使っていたシャワーも、床に置かれた椅子や桶、シャンプーなどに至るまで全部、明々と照らし出しているのだ。
(み、見られちゃった…よね…? やっぱり…)
頼久の方をちらりと見ると、彼はまだ床に座りこんだまま肩で息をしている。
ひょっとして何も知らずにシャワーを浴びているあかねに知らせる為にベッドから出て、そのままここで力尽きてしまったのかもしれない…。
そう思ったあかねは、ひとまず羞恥心はさておいて、頼久の身体を再び休ませることにした。
「よ、頼久さん。ともかくここじゃ身体が休まらないから、ベッドで寝よ?」
そう言って、頼久の腕を取ろうとした時だった。
「っ!? 頼久さん?」
反対に、のばした両腕を掴みとられた。
そのままぐっと腕を引っ張られてあかねは床に膝をつき、そして頼久はゆっくりと頭を上げた。
「……」
紫紺の瞳が深く煌きあかねを見つめる。
彼の額には幾筋かしわが刻まれ、唇はぎゅっと噛み締められて、苦悩の表情を作り出していた。
「あっ」
彼の手に掴まれた両腕に力が加わった。
先ほどまで死の縁をさ迷っていたとはいえ、やはり男性の力。
あかねの腕は痺れるように痛み出す。
(頼久さん…?)
そのまま、あかねは視線を逸らすことも出来ずに黙ったまま彼の顔を見つめつづけていた。
やがて沈黙に耐えかねたのか、先に声をかけたのは頼久であった。
「………あなたのその苦しそうな顔は…、泰明殿のせい…ですか…?」
「えっ?」
「それとも、意に染まぬ相手に力を分け与えねばならぬという…………、いえ、私に力を分け与えねばならぬという…、嫌悪から……ですか?」
「よ、頼久さん…」
さすがの頼久も、もう悟っていた。
あかねの、五行の力を分け与える方法が、一体どんなものかを。
ゆらゆらと海の中で意識が遠くなりかけた時、唇に触れたあの温もり。
そこから流れこんできた穏やかで温かい、けれど力強い熱い塊。
次の瞬間、真っ暗な世界に放りこまれ、再び意識を取り戻した時に残っていた唇の感触。そして、その力と同じ温かさに抱擁された、土砂降りの雨の中……。
注ぎ込まれた五行の力は身体の芯に集まり、自由にならない手足や身体と裏腹に、心だけを燃え立たせた。
必死で暴走しそうになる心を抑えつけ、元凶となる小さな身体に支えられながらもここまできて、ようやく離れて心を静めようとした矢先、嘲る様に目に飛び込んできた目映い肢体……。
そしてそのなだらかな曲線を描く肢体に心を奪われつつも、酷く憂えたあかねの表情を見た時、己のままならぬ身体のことも忘れて起き上がっていたのだ。
“神子殿に、あんな悲痛な表情をさせるなどっ”
限界だった。
もうこれ以上…耐えられなかった。
「それほどに私のことを厭うておいでですか?」
「そうじゃないよっ、そうじゃなくて……」
自分以上に傷ついた瞳の頼久に、あかねはとっさに首を横に振った。
(そうじゃない……? 泰明さん以外の人にキスしてもいいってこと…??)
自分で口走ってしまった言葉にあかねは息を飲む。
「泰明殿は…、神子殿に何とおっしゃったのですか?」
「………」
“泰明”という名前を聞いて、あかねの身体がぴくりっと震えた。
(やはり神子殿の憂いの原因は………)
我慢ならずに頼久は全身の力を振り絞ってあかねを引き寄せた。
「あ…!?」
「……鬼に挑むには神子殿を八葉皆に、奉げなければならない……と?」
再び、あかねの身体が震える。
「神子殿…。お願いです。この頼久に…………力をお与え下さい…。
他の誰にも……、もうその身を奉げなくていい。私が全てをかけて……、この命に代えてもあなたを守る…。鬼を討ち果たします…。
ですから、もうそんなに憂えたお顔はなさらないでください……」
言葉の終わらぬうち、頼久はあかねの唇を塞いでいた。
一瞬目を見開いたあかねが逃れるべく抵抗するが、難なくその身体を封じ込める。
「神子殿……。お慕いして……おります…」
ようやく抵抗らしき抵抗の出来なくなった彼女の身体を抱き上げた。
今まで自分のもののような気がしなかった頼久の身体が、その口付けだけで大分回復しているのがわかる。
頼久はそっとあかねの身体をベッドの上に横たえると、その上に覆い被さった。
「神子…殿…」
「急急如律令!」
─── ザジュッツ!!
と荒々しい音を立てて、僅かに青味を帯びた発光体がそのまま後の地面にぶちあたる。
そして無情にもその一撃は地面に当たって粉々に消し飛んだ。
「くっ…」
(やはり……か)
先ほどから雨は叩き付けるように泰明達を襲っているのに、ずぶ濡れの泰明とは対照的にアクラムは泥はねひとつ、付いていない。
守られているのだった。
それも圧倒的な負の気に……。
「どうした…? おまえの力はこの程度だったか?」
息一つ乱さぬまま、アクラムは余裕の笑みを浮かべる。
「神子に、…気を分け与えてもらったのだろう? ………クックック…。さもあろう? 陰陽師」
「!!」
(アクラムは知っている!?)
正しき五行が失われつつあるこの地で、ただ一つ無尽蔵に力を生み出すあかねのことを、アクラムは知っているのだ。
知りつつも尚且つこうして猫が鼠を弄ぶように、あかねと八葉たちを掌の上で躍らせているのだ。
「分かったであろう? おまえ一人ごときの力で私を倒すなど…出来ぬわ。今度は皆で歯向かってみてはどうだ? おぉ、もちろん、皆神子に気を分け与えて貰わねばな」
「黙れっ!!」
アクラムの言葉に泰明はカッとなる。
叫びとともにとっさに放たれた気弾がアクラムの真正面に向かって飛び、彼のほんの僅か手前で…パチンッと音を立てながら弾けた。
「無駄だ……………っ?!」
相変わらず余裕の笑みを浮かべているはずのアクラムの口がほんの僅か引き攣った。
つっ…と頬に走る微かな痛み。
手を伸ばすと微かに血が滲んでいた。
(……馬鹿な……)
しばしの間、手に付いた己の血と泰明の顔を見比べていたアクラムだったが、何かを思い付いたか口の端を上げてにやりと笑った。
「余興だ……。陰陽師よ」
彼がすっと片手をかざした。
と、その瞬間 ───
「くっ!? うっ、あぁっっ!」
突然泰明は苦しみ出し、その身体を金色の光が包む。
その光は彼の身体から溢れ出していた。
その黄金色の光が集まって、アクラムの手の中に収まってゆく。そして、一通り零れた光を収集したところで、その光の塊はすっと、雨の降る暗い中空目掛けて上り、…消えた。
光を失った泰明は、そのままどさりとぬかるみの中に倒れこむ。
どんどん意識が遠くなってゆく。
その中で、妙にアクラムの声が意識の中に木霊していた。
『さて、どうする…? 龍神の神子よ…』
・・・第弐章 完
ようやく第弐章、一段落しました。
一応章ごとにテーマがありまして、前にも書きましたがこの章は“炎(赤)の章”
そして別名“情熱の章”(笑) ま、参考に第壱章は“紫の章”別名“疑惑の章”
それからそれから次回からの第参章は“白の章”別名“空白の章”
テーマからこの先の展開を想像して見て下さいな。ひょっとしてバレバレかも;;;
しかし、あかねちゃん、とうとう頼久さんもゲット!だね(^^;;)
>…って、そういうお話か??? コレは?