第弐章其ノ四
「!! て、天真くん……」
充分に与えてる……とはいえないものの、キスするよりはマシなくらいの五行を注ぐことに夢中になっていたあかねは、自分の腰に伸ばされた腕に気付かずふいに抱き寄せられ、驚愕に目を見開いて顔を上げた。
宝玉のある腕がベットの向こう側にあったせいで、天真の上に馬乗りになっていた彼女は、引き寄せられてそのまま覆い被さるように倒れこんでしまったのである。
「あ、あの……、えっと~、……気がついたの?」
言葉が見つからずに、恥ずかしさで視線を彷徨わせながらあかねは的外れな言葉をかけた。
天真の目は大きく見開かれ、唇はぎゅっと引き結ばれている。
…まるで何かを必死でこらえているかのように。
返事をする気配もない天真を不信に思いつつも、自分が今まで何をしていたか思い出し、あかねは慌てて身体を起こす。
「!?」
両手をベッドに突っ張った途端、また天真の胸に引き戻された。
今度は両方の腕でしっかりと抱きしめられ、顔を上げることすらままならない。
「て、天真くん、」
「何してんだ………おまえ…、一体どういうつもりだ……」
無理矢理裸の胸に頬を押し付けられ、その異性の放つ匂いと消毒薬の臭いに眩暈を覚えながら、あかねは一生懸命言い訳を考えていた。
彼の声が酷くしわがれたように掠れ、鼓動が早鐘のように乱れていることなどこれっぽっちも気付かなかった。
(ど、どうしようっ、天真くんになんて言えばいいの?
目が覚めるなんて思ってなかったから、何にも考えてないよ~)
「俺…、助かったのか…?
でもなんで、おまえが俺の宝玉に………キスしてんだよ…」
怨霊の攻撃の前にあかねと泰明を庇って立ったこと……。それから今までの記憶は当然ない。
傷の痛みはもうほとんど無かった。
ただ身体の力が全て抜けてしまったような脱力感と、酷い眩暈が彼を襲っている。
それに加え、天真を深い眠りの底から引き上げた、痺れるような感覚…。
左腕の宝玉から注がれたその感覚は、彼の中の煮えたぎる感情を呼び起こし、消そうとしても益々燃え上がってくる。
(……熱い…身体が……。
くそっ、こんなに身体に力がはいらねぇのに、どうして………こんなふうになるんだよっ!)
例え衰弱していようとも、非力なあかねを逃さないぐらいの力はあるが…。
しかも「それ」はもっと激しく何かを求めて、いよいよ熱く燃えたぎる。
「く…そっ、……いったい何だってん…だ…」
何も分からない焦燥感も手伝って、コントロールのきかない自分の身体に苛々がつのる。
辺りかまわず当り散らしてしまいそうな心を押さえつけているが為に、元々制御出来なかった自分の身体が勝手に動き出していた。
「あっ? や、あ、て、天真くん!?」
あかねの頭を押さえつけていた手がゆっくりと背中を辿り、細いウエストの辺りを彷徨う。
しかしすぐに目標を見つけ、なだらかな丘を伝うとそれを手のひらで包み込んでギュッと力を込めた。
びくんっと身体を震わせたあかねが、一生懸命顔を上げ、天真の顔を仰ぎ見る。
熱く潤んだ瞳とぶつかって、彼の瞳の中に潜む想いを読み取り、あかねは瞬時に顔を朱に染め上げた。
覚えのある………、男性を意識させる表情。
そうなることを望んでいた訳ではないのに、何故か心臓がどきんっと大きく一つ脈打った。
無言のまま、天真が大きく肩で息をした。
あかねが彼の腕から逃れようと動こうとしたとき、丘を包んでいた手のひらが足の付け根まで下がって、円を描くように揺れ始める。
彼の指先が秘めたる場所の近くギリギリを何度も掠め、上半身を起こしかけていたあかねの身体が無条件に反射して仰け反った。
「あっ………」
思わず漏らした艶めいた吐息とともに、幾ばくかの光の粒子が半開きの唇から零れ、それを見た天真は余りの美しさに一瞬動くことも忘れて魅入る。
かくんと項垂れ、あかねはほっとしたようにため息をついた。
「天真くん…、」
けれど紡いだ言葉の先は、天真の唇に遮られた。
想いの全てをぶつけるかのような天真のキスに、あかねの頭が白く霞んでゆく。
深く、激しくあかねを絡め取るような口付けは、彼女の身体の奥に潜む無限の力を溢れさせてゆく…。
(あっ……五行が…)
泰明の時ほど急激ではないが、ゆっくりと、満ちてゆく。
先程宝玉に口付けた時と同じぐらいか、それよりも僅かに多いぐらいの五行の力が、確実に天真に注ぎ込まれているのが分かる。
天真は自身に流入してくる力を認めた。
脱力していた身体がどんどん力を取り戻す。
貧血状態だった意識がはっきりしてくる。
はっきりしてくるにつれ、益々昂ぶってゆく身体の熱を、しかしそれでもどうにも出来ずに貪るようにあかねの口を蹂躙する。
どんどん激しくなる口付けに、あかねは朦朧とした意識の片隅でもう抵抗しようという気持ちすら失いかけていた。
天真が元気になるように願って最初に仕掛けたのは彼女だ。
あかねの心は抵抗していても、神子である心は納得している。
愛する人にしか触れられたくない………。
けれど、何故か必要以上に敏感に反応してしまうこの身体がどうしようもなかった。
放心してぐったりと力の抜けたあかねの身体を、今度は天真が組み敷いた。
乱れた胸元に唇を這わせ、胸の双丘に手を置いただけで艶かしい表情を浮かべて喘ぎ、……そして又、口から光が零れる。
しかし次の瞬間、失われた天真の理性を瞬時にして取り戻すほどの言葉があかねの唇から漏れた。
「……や………あ…き…さ……」
あかねはいきなり開放された。
自由になった、けれどそれでも重い身体を必死で起こして、あかねは何が起きているのか理解できないで、きつく拳を握り締めて俯く天真を見つめた。
「………きしょー…、何やってんだ……おれは…。
何やってんだよっ、お前はっっ」
「て、天真くん、これには訳が……」
「聞きたくねえっ」
「お願いだから、聞いて、ね…」
「知るかっ!」
「きゃっ、」
説明しようと天真の腕に縋りついたあかねを、邪険に振り払う。
はずみであかねはベッドに投げ出され、その拍子でスカートの裾が乱れて蠱惑的な白い足が天真の視線を奪った。
収まるはずの無い熱が、またしても激しく燃え上がってくるのを感じて、天真は乱暴に立ち上がって椅子にかけてあった綿シャツを素肌に纏い、身支度を整える。
「…………すまない…。
おれ、ちょっと頭冷やしてくる」
そう言い捨てると、回復したばかりの、しかも未練たっぷりに疼く身体を無理矢理引きずって、部屋を出ていった。
(やはり、泰明殿に聞いた方がよいのでしょうか………?)
結局、持ち戻ってしまった、トレイの上の水差しと、詩紋が作っておいてくれたサンドイッチをキッチンのテーブルに置きながら、永泉は考え込んでいた。
あかねの行動は不可解すぎる。
初めてあった時から、京の人間には理解できないことを仕出かしてきたあかねであったが…。
泰明と想い合っていたのではなかったのか?
はっきりとそう公言された訳ではなかったが、誰がどう見ても二人がお互いを好きあっていると分かってしまう。
繋がり、絡みあった、目に見えぬ糸。
細いけれどそれはキラキラと煌いて、何ものにも絶つことは適わない…。
少なくとも永泉はそう思っていた。
(私の思い違いだったのでしょうか……?
けれど……それなら何の為に私は彼女を諦めたのか……)
あかねの瞳が泰明だけを見つめていて…。
それを見返す泰明の瞳がこの上もなく優しいものだと気付いた時、自分の淡い恋は終わったと、そう思ってきた。
彼女の慈愛は全てに注がれるものと知っていても、それを自分だけに向けて欲しかった。
それを勝ち得たのは、己の半身ともいえるべき存在。
喜んでいいのか悲しんでいいのか、迷ったのは、決して永泉だけではないと思う。
そんな気持ちを納得させて、ようやく心から二人を祝福できると、そう思えてきたというのに、今になって何故、あかねは泰明を裏切るような行動を取るのか理解できなかった。
(泰明殿は……怒るでしょうね…きっと…)
永泉は、その向こうに泰明がいるはずの壁を凝視した。
(私ならば……余りの悲しみに心が壊れてしまうかもしれません………。私ならば……)
そう考えて、彼は己の考えにぎょっとして強くかぶりを振った。
いつの間にか彼は、『もしもあかねが自分の恋人だったならば…』と想定していろいろと思い巡らせていたのである。
潔癖症の永泉にとって、それはもっとも犯してはならない禁忌だ。
犯せば願ってしまう。
願えばその想いに心全てが奪われ、どうしようもなくなる。
しまいにはきっと、どのような手段を用いようとも、手に入れずにはいられなくなる……。
自分の中に眠る激しい思いに、永泉は身震いした。
このまま真実を避け続けていれば、願ってしまう。
いつかは彼女をこの腕に抱き、その柔らかな身体の中に自分の全てを与え………。
(…いけない…。そんなことは…………。
やはり、はっきりとさせなければ……)
たっぷりと迷ってようやく、泰明に問いただす勇気を奮い起こすと彼がいるはずの居間に向かった。
その時だった。
リビングの電話が軽やかな音を立てて鳴り響いたのは……。
──────
「…はい、ええそうですの。
………今は大丈夫です。よく眠ってらっしゃいますわ。
─── ええ分かりました。こちらは心配ありませんから、詩紋殿の方こそ気をつけてくださいませ。はい。それでは ───」
チン…と、柔らかな音を立てて、藤姫がアンティークな形をした受話器を置いた。
最初こそ、この遠方の人と会話が出来る箱に驚きはしたが、今ではすっかり慣れて何の抵抗もなく使いこなしている。
少女はほうっと安堵のため息をつくと、振り返った。
「三人とも、ご無事ですわ。
もうすぐ“しゅうでん”とやらがなくなりそうなので、今夜は帰らないで明日になりそうだと申しておりました。
何やらお知り合いになった方がいらっしゃったようで、その方がいろいろと案内して下さるそうです。
─── 良かったですわ。心配することもなくて…」
彼らの身に何が起こるのか、想像することすらかなわない藤姫は何も知らずに肩の荷をおろした。
後は天真の回復を待つだけだ。
鬼が仕掛けた事件は未だその意図も図式も分からないが、八葉が無事で、何より龍神の神子さえいれば……と藤姫は思っていた。
「…あら? 永泉様…」
幾分青ざめた顔付きの永泉が、入り口に立っていた。
何か思いつめ、真っ直ぐに、ソファの上に先程からずっと結跏趺坐し続けている泰明を見つめている。
「…永泉様?」
小首を傾げ、不思議そうに彼を見やるが、その視線に気付かずにただ泰明だけをじっと見ている。
ここまできたもののまだ迷っていた。
しかし、その迷いをようやく振り切ると、永泉はゆっくりと泰明に近づいていった。
「あの……泰明殿。…ちょっと、お聞きしたいことが…」
泰明は微動だにせず、ただ白い頬に影を落とす長い睫毛だけを僅かに開いた。
「神子殿のことなのですが……………」
視線を床に落としたまま泰明は返事もしなかった。
先程からの気の乱れ。
神子が何をしにいったのか、泰明は手にとるようにわかっていた。
そしてその後の永泉、天真の動揺が、回復した五行の力もあってはっきりと感じられる。
だから永泉がそう言った時、すぐに返事が出来なかった。
苦しくて………。
瞑想して意識的にその考えを締め切っていなければ、際限ない苦痛に飲み込まれていきそうだったのだ。
「………ふうん……」
少し離れた場所で雑誌に目を落としていた友雅が、興味深げに顔を上げた。
付き合いの浅いものが見ればほとんど変わらぬ泰明の無表情も、さすがに苦難を共にしている友雅などが見れば、ほんの微かに苦悶の色が現れているのがわかる。
友雅は雑誌を傍らに置いて、苦笑を浮かべた。
「どうやら予想通りのようだね……」
これは多分、京の人間が現代に来ることよりも、難しい問題になりそうだった。
介入すべきか否か、友雅が迷っていると、乱暴に階段を下りてくる音が聞こえ…。
「天真殿っ!?」
藤姫の驚声があがった。
「………わり、ちょっと出掛けてくる。
ちょこちょこ連絡入れるから、………心配しないでくれ」
「で、ですが、天真殿、お身体は…」
「大丈夫だっ」
「天真殿っ!」
藤姫の制止も聞かず、天真は手近にあった上着を肩に引っ掛けると飛び出していった。
ようやくあかねちゃんに戻ってまいりました
しょっぱなからかなり妖しげな展開で…(--;;)
それにやっぱり永泉さんは悩んじゃってるし~~♪
天真くんはあのまま出てって平気なのでしょうか??(爆)
どーも、私、笑いを取りそうになるのを必死で堪えてるみたいだな…。
時々突っ込みいれたくなってしまう…