第弐章其ノ一
ひとつ 火の粉を吹きりゃれや
ふたつ 故里のじじばばは
みっつ 見えぬまなこにうつすかりゃ……
目に見えぬ炎が燃え上がる
地を焦がし、天を炙り
「もう帰りな、」
仮面の男の膝にしなだれかかった妖艶な美女が、言い捨てる。
柔らかそうな栗色の髪。
透き通るほどに蒼く、しかしどこか妖しい光を放つ瞳が、くっきりとした目鼻立ちに一際美を添えている。
「で、では、私達はこれで……」
きちんとした身成の初老の男が二人、その美女の言葉に肩の力を抜いてあからさまにホッとした表情になった。
己の職場ではいつも権力をかさにきて威張り散らしている男達であろうが、長椅子にゆるりと寝そべる仮面の男の前では皆一様に怯えた表情を見せるのだ。
仮面の男 ───
もちろん、アクラムであった。
そして逃げるように出て行く初老の男達を蔑んだ視線で送りながら、アクラムの膝に頬を摺り寄せているのはシリン。
黒レザーのマイクロミニと同じ素材のビスチェ。上からシースルーのブラウスを羽織っている。
その姿は現代にすっかり溶け込んで、彼女が遥か古の都から訪れたなどと想像することなどかなわない。
「あれが日の本の頭達とはねぇ…」
艶かしい顔立ちからは想像もつかない程きつい声が、真っ赤に彩られた唇から漏れた。
「つまらぬ。
面白くもない戯れ言に付き合わされたわ…」
アクラムは気だるげに溜息をついた。
先ほどの彼らは日本の政治の中枢にいる男達だ。
男達を幾度かテレビで目にしたことのある彼女は、主の顔色を伺いみる。
………すでに日本の中枢は、アクラムの手中に落ちたといっても過言ではない。
只人の権力者など、問題ではなかった。
そう、問題は…………いま二つ……。
「ふっ………。………その力、まだ足元にも及ばぬ……」
“問題”のうちの一つ、龍神の神子に気を合わせながら、アクラムは冷たい微笑を浮かべた。
「ランが戻ってきたようです。
また封印が解けかけているみたいだねぇ……。……いかがいたしましょう?」
アクラムはシリンの問い掛けに無言の冷笑を返して、摩天楼を見下ろすオープンウォールの強化ガラスの向こうへ視線を投げた。
「もう少し力をつけてもらわねばつまらぬな…………。
─── シリン、」
アクラムはシリンの細い腰を抱き寄せると、彼女の耳元に何事か囁いた。
(神子は、「五行の力を生み出すことが出来た事」は言っても良いと言った。…しかし、その方法についてはまだ言わないで欲しいと……)
その意図が今一つ呑み込めぬ泰明は、それでも神子の言った通りその方法について以外の事は藤姫を始めその場にいた友雅、頼久、永泉に伝えた。
元来、“言わない”ことには慣れている泰明だが、“言うべきこと”も言わないのはどうか…と思う。
けれど彼等を前にして「神子を抱け」と言わないですむことに、ホッとしている自分に気付いたのだった。
望んで彼女を差し出す訳ではない。
断じて違う。
それでも……。
扱いなれない複雑な心境に戸惑いながら、泰明は口を閉ざした。
(後は神子の…………思いのままに……)
泰明の不完全な説明に、やはり彼等はもっとも話したくないことについて質問をしてきたが、すべて「分からない」ですませた。
あかねも何も言わず、二階に休ませている天真の元へと向かった。
「でも、神子様が五行の力を生み出せると分かっただけでも良かったですわ。きっとその方法もすぐ見つかるはずです」
「そうですね。わたくしもそう思います」
藤姫と永泉が安心したように微笑みを交わした。
友雅もすぐ隣りで腕を組み、謎めいた微笑を浮かべながら泰明をじっと見つめている。
「神子殿の力が、瀕死だった君を完全に回復させた……という訳か。
さすがは神子殿」
「………」
意味ありげな友雅の言葉。
ほとんどの者はさほど気にしていないようだったが、彼だけは何かを感じているようだった。
外見と上辺に騙されて気付きにくいが、友雅は鋭い。
ほどなく泰明が口を閉ざしていることを感づいてしまうことだろう。
泰明は部屋の端の長椅子の上で結跏趺坐し、呼吸を整えながら瞑想を始めた。
そこで改めて話題が鷹通らの方へと向かったのであった。
「……様子を見てくるだけにしては遅いですわ」
「もうかれこれ………3じかん…ほど経っていますね。何かあったのでしょうか…」
永泉が慣れぬ現代時刻を口にしながら俯く。
「まぁ、鷹通と詩紋がいるのだから、それほど心配はないと思いますが、もう少ししても戻らないようであれば、私が捜しに行きましょう」
「私もお供いたします」
「そうして頂けますか? 友雅殿、頼久」
友雅が頷いたので、藤姫はまたしても一安心したようであった。
しかし、永泉のその表情が僅かに曇っていた。
永泉はゆっくり彼等の傍を離れると、ダイニングへと足を向け、その中へ姿を消したのだった。
「天真くん……」
疲れきった表情で天真がベッドに横たわっていた。
血を流しすぎたせいで顔色は青白く、僅かに苦悶の表情を浮かべている。
意識は未だ……戻っていない。
「ごめんね……。私が不甲斐なくて、こんな酷い怪我させちゃって……」
刀傷なので病院に運ぶことは出来ず、周防が医者に頼んで往診してもらった。
元々周防が使えるこの屋敷の主は、日本の裏のトップ……とでも言おうか。
古より神の子である天子に遣え、一頃は表舞台にも顔を出し、連綿と続く日の本の歴史を陰乍ら支えてきた一族であった。その長い歴史の中には、崇高な使命の為に次元をも超えた者すら存在するという…。
………かつて、「星の一族」と呼ばれた者たちの末裔である。
その者たちが現世にあるもので手配出来ぬものは、皆無…に等しい。
警察沙汰にすることの出来ない怪我を専門にしている医者を探すなど、また、彼らのお抱えの医者を差し向けるなど造作もないことであった。
天真の傷は深かったが回復符のおかげでほとんど塞がっており、後は失われた血の補充をしてしばらく安静にしていれば、若さも手伝って早いうちに回復するだろう………との事だった。
痛々しい彼の姿に、あかねは思わずギュッと目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、あの時、泰明と彼女をかばって立ち塞がった天真の後ろ姿。
座り込んだ場所から見上げた、彼の後姿は、不動のようにそびえ立ち、そして不吉を感じるほどに大きく見えた。
「…………」
そっと指を伸ばし、天真の唇に触れてみる。
冷たい…、感触。
あかねはベットの上に片膝を乗せて、彼の顔を覗き込む。
まだ当分目覚めそうにもなく、弱々しい呼吸音が僅かに響いているだけだった。
─── あの時。
逝きそうになる泰明に口付けを送った時、まるで交わっているかのようなエクスタシーを感じて力が注がれた。
あかねはギュッと目を瞑り、震える唇で囁く。
「…………、泰明さん…」
そのままゆっくりと顔を近付け、天真の冷たい唇に触れた。
(天真くん、私の力を持っていって…)
何かが身体の中から込み上げてくるような気がする。
しかしそれは泰明との口付けの時とは違っていた。
「……?」
僅かに注がれているような感じはするものの、あの時のような、奔流となって溢れ出すような感覚は全然ない。
少しばかりの光の粒子がシーツの上にコロコロと転がり落ちるのが目に入った。
(やっぱり………、………しないと駄目なの…?)
泰明と口付けた時は、自分でも驚くぐらいに感じてしまい、意識しなくとも力がどんどん流出していた。
あの時は、口付けの他に何かしたのだろうか?
一生懸命思い出しているうちに、ふと思い出した事がある。
(確か……、八葉の宝玉にもキスしたんだっけ…)
天真の意識がまだ戻らないのを確認すると、あかねはそっと上掛けをめくり上げ、包帯の巻かれた肩を悲痛な表情で見つめた後、蒼く輝いている宝玉に再び口付けた。
「!?」
宝玉に吸い取られていくかのように、あかねの唇から光が流れ出している。
唇でなくても、十分な量ではないが流入してゆく。
(そっか、宝玉も、OKなんだっ!)
ピクンッと天真の身体が震えた。
あかねが夢中で宝玉に口付けている間に、天真の腕がゆっくりと動いて彼女の細い腰を捕らえる。
「!! て、天真くん……」
驚いて顔を上げたあかねの瞳に、あかねに負けないくらい驚愕に顔を歪めた天真が映っていた。
(神子っ!? ……あなたは一体何を考えて……)
あかねが天真に五行の力を与える事に夢中になっていた時、彼女は全く気がつかなかったが、少しばかり開かれた扉から覗く者があった。
天真に馬乗りになり唇を重ね、そして更に宝玉へと口付ける瞬間を目にしてしまった者…。それは天真が目覚めた時に軽く口に出来るものと水を手にした永泉だった。
入ることも、否、動くことも出来ずにその光景を見つめていた彼は、天真の腕がゆっくりと動くのを目にしてはっと我に返った。
「あ………」
微かな呻き声を漏らすと、永泉は音を立てぬよう踵を返し、混乱した思考のままその場を後にした。
第弐章の開始です~~(^^)
ちょっと美味しい役どころの天真くんと、訳わかんない状態の永泉さん。
ああ…、また永泉さん悩んじゃうよ…。
あんまり悩むと綺麗なおぐしが抜けるって………(^^;;)