SUJY-Fantasy-Factory ~アンジェリーク、遥かなる時空の中で等の二次創作と、オリジナル小説のサイトです。

朝露~泰明side~


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 私は今何を……?
 神子の手を払いのけたのか…?
 触れられたくなかった。
 ………否っ、違う。
 触れられるのが怖かった。
 何かが崩れてしまいそうで、怖かった。
 …怖い?
 この私が、人ではない私が怖いと………思った……のか?

『これ、泰明! 女性には優しくしろと、何べんも言うておろうが』

「………」

 そうだ。
 神子は「人間の女性」だ…。
 まして龍神の力をその身に宿す触媒なのだから、気安く触れることなど出来ようはずがない。
 そう考えて突然湧いた「恐怖」というものの説明をつけようとするが、納得しない自分がこの器のどこかに存在している。

『神子よ…、許してやってくれ。儂が無理を言って神子をここまで連れてきて貰ったのじゃ。
 これは可哀想な奴での。“幸せ”を知らぬ…………』

「幸せを知らない………?」

 神子が微かに震える声で天狗の言葉を繰り返す。
 “幸せ”が一体なんだと言うのだろう。
 それを知ることは、陰陽を学ぶ上においても、京の怨霊と戦うにしても、まるで必要のないものだ。だから私が幸せを知らなくとも、問題はない。
 けれど神子は言った。
 酷く悲しげな顔をして呟いた…。

“泰明さんは…幸せじゃないの…?”

 震える声。
 今にも泣き出しそうな神子の顔。
 私が幸せじゃないということが……お前にそんな顔をさせているのか?

『幸せでないとは言っていない。“幸せを知らぬ”と言ったんじゃ』

「幸せを知らない……って、じゃあ幸せじゃないからあんな哀しそうな顔をしていた訳じゃないのね」

 神子………………。
 神子の言葉に衝撃を受ける。
 私が「幸せを知らない」と「幸せじゃない」。
 それが………それほどに問題なのだろうか……。
 では、人が「幸せ」であるということは、一体どういうことだ?
 分からない…。
 何も分からない。

 『ふぉっふぉっふぉ…。そなたなら泰明に“幸せ”を教えてやることが出来るかもしれんの』

 天狗の気配が動く。

『ではまたな。“龍神の神子”』

 それきり、天狗はその場から立ち去ったようだった。
 “教え”られるものなのか…?
 幸せというのは…。
 人の身ならぬ私にも、それを理解できる日はくるのだろうか。
 沈黙が流れる。
 神子は黙って私を見つめているようだった。
 私は俯いたまま、“幸せ”について考えてみる。

「泰明さん……」

 ……その時だった。
 沈黙を破り、ようやく、神子が口を開きかけたその時だ。
 私は突然何か熱いものが身の内に流れ込むのを感じ、驚いて顔を上げた。

「泰明さん??」

「これは………………心のかけら?」

 ふわり ───

 柔らかな気が辺りを包み、それが私に集中してゆく。
 そこがあたかもその気の帰る場所であったかのごとく……………。
 そしてその感覚も冷めやらぬ間に、

「! ……また…」

 もう一つの心のかけらが私の中に吸い込まれ、融けていった。




 ─── 私では…教えられぬものがある。
人ならぬ身のお前が、人になるための最後にして最大の封印………
それは ───

“それは……?”

 ─── 心

“………心…”

 ─── 怒り、哀れみ、恐怖、楽しみ、喜び、痛みを感じ、そして……愛する。

“愛する…”

 ─── そうだ。愛しいという気持ちを知ったときこそ…、その時こそ………おまえが ───






 そうか。
 確かにお師匠様はそう言っていた。
 何故、今まで忘れていたのだろう。
 心のかけら………のせいか。

「そういうことか…」

「え? えっ? 何が「そういうこと」?
 心のかけらが戻ってきたんでしょ? 一体どうなったの?」

 ……。
 相変わらず神子は質問ばかりだ。

「…問題ない」

 お師匠の言葉を知ったからといって、私がそれを持っているという証にはならない。
 神子は私の言葉を納得していないようだが、心のかけらは私の“記憶のかけら”にすぎないものだと思う。
 ならば、今僅かな記憶を取り戻したとしても、何も………変わらない。
 けれど………何故なのだろう。
 私はきちんと納得しているはずなのに、どうしてこんなに胸が締め付けられるように苦しくなる…?

「問題ないはずないじゃない。
 さっきまであんなに苦しそうな顔してて、いきなり二つも心のかけらが戻ってきて、「私は悩んでるんです」って顔してっ」

 悩んでる……?
 違う。悩んでなどいない。
 私が悩む必要などないのだ。
 八葉として怨霊を封じ、京を、そして神子を守る。
 それだけだ。
 悩んでなど………。

「全然何も話さないで、自分の中でだけ解決しちゃうなんてっ。
 あんな表情を見せておいて私の心を乱すだけ乱してっ!
 だったら最初からそんな悲しそうな顔しないでっ」

 悲しそうな顔……。
 今にも飛び掛りそうな勢いで、神子が言う。
 私には納得できないことを。
 何故そんな風に見えたのか。
 感情のない私が、表情に感情を表すなど、決してあるはずがないというのに。
 乱しているのは神子の方だ。
 神子といると、私の思考が乱れる。
 考える必要のないことを考えさせられる。
 結論の出ない問いを、ずっと繰り返させられる。
 けれども、私は自分の考えが間違っていたのかもしれないと思い始めていた。
 なぜなら神子は………、思いもつかぬ事はするけれども、思慮の足りない行動もするけれども、決して嘘などついたことがない。

「…私は……そんなに苦しそうな顔をしていたのか?」

「……えっ?」

「悲しそうな顔をしていたのか?」

「泰明さ…ん?」

「それが何故……、神子の心を乱すのだ…?」

 どうしてだ!?
 どうして神子は、私が出した結論を否定する?
 考えないようにしていた私の矛盾に、そんなにもこだわる!?
 今そんな事に関わっている暇などないっ。
 私に感情があるかないかなど、……そんなこと、……そんなことなどっ!

「苦しそうな顔など、していない。
 悲しそうな顔など、するはずがないっ。
 神子が気にすることなど、何一つないっ!」

 そうだ。
 神子は気にする必要などないのだ。
 私は道具に過ぎないのだからっ。
 だからもう…私に関わらないで欲しいっ。
 もう、自分でも何を考えているのかわからなかった。
 こんなふうに一つのことに対して深くこだわる事…。
 そのこと自体が、私が変化している証だというのに。

「そんなこと、あるはずがないっ!
 悲しそうな顔をするはずなど、絶対に有り得ない!」

「なんで、そんなに怒るのよっ。
 人間だもの、悲しい時だって苦しい時だって、あるじゃない。
 そんなに怒らなくてもいいでしょっ」

 またかっ!
 感情がないのだから、怒るはずなどない。
 神子は、神子はどうしてっ!?

「怒ってなどいないっ!
 怒るはずなどないのだ、私はっ……!?」

 とうとう堪えきれなくなって、私は神子を振り返った。
 そして言葉を失った。
 キラキラと…。
 怒りに燃えて輝く瞳は、真っ直ぐ私を見つめている。
 私だけを…。

「それのどこが怒ってないのよっ。
 目一杯、怒ってるじゃないのっっ」

「………」

 胸が痛い……。
 神子の瞳から零れ落ちる涙。
 私の為に、………涙が…。
 “美しい”と、その時初めてその言葉が浮かんだ。
 その美しさは私の胸に痛みをもたらす。
 人は悲しいとき涙を流すという。
 私が………神子を悲しませたのか?

「や、泰明さん……」

「怒ってなど………いない……。だから、…」

 数歩、神子の元に近づくと、より深く、神子の涙が胸に染みた。
 今の私は何故か神子の顔を直視できず、唇を噛んで目を逸らす。

「………だから、泣くな……」

 私がそう言って、初めて神子は自分が泣いていたことに気付いたらしい。
 一気に頬に朱を上らせ、視線を泳がす。
 羞恥か、それも逡巡か。
 所在なさげにうろたえる神子は、何故か酷く小さく見えて。
 私は思わず手を伸ばしかけた。
 それに気付いた神子が目を見開いて私を見つめる。
 ………馬鹿な。
 私は今、何をしようとした?
 迷い子のように身の置き所なく戸惑う神子を………。
 私のせいで傷付いた彼女を、この腕に抱きしめ、なぐさめてやりたいと…。
 そう。
 今の私は確かにそう思っている。
 けれど、私には、………その資格はない。
 彼女は龍神の神子であり、私は彼女を守る道具なのだ。
 道具が主を抱きしめるなど、そんな不条理は、あってならない。
 そしてまた、私は神子から顔を背けた。
 再び胸が痛んだ。

「お前が泣く必要はない。
 私のことでお前が気にとめることなど何一つないのだ。
 ………私は“人”ではない。
 だから私が怒るはずはないのだ。悲しむことも……」

 神子の涙に惑わされたのだろうか…。
 私は己の素性を、知らぬ間に口の端に上らせていたのだ。

「私は二年前、お師匠、…安倍晴明様とこの北山の天狗の術によって創られた存在だ。
 だから人のように怒ることも悲しむことも…ない」

「創られた存在?
 怒らない悲しまない…って、感情が無いってこと?」

「そうだ」

 神子を見ることが出来ない。
 私の話を聞いて、他の者のように嫌悪の目で私を見ていることだろう。
 ………これでいい。
 これできっと神子も納得するはずだ。
 私が本当に神子の道具であるということ。
 私の心を乱すことを、口にする必要がなくなるだろう。
 私のことなど、………気にもかけぬように……なるだろう。
 …?
 私は今何を思った?




 ─── ワタシノココロヲミダス………?




「感情がない?
 そんな嘘ばっかりっ。
 あんなに悲しい顔して、あんなに怒った顔して、馬鹿な事言わないでっ。
 泰明さんには、ちゃんと感情があるじゃないのっっ」

 ─── 感情が…………ある…?

「そんな傷付いた眼で私のこと見て、私に「気にするな」って言うの?
 そんなの無理に決まってるじゃないっ」

 傷付いている?
 私が……?
 この胸の痛みは、心が傷付いているというのか……?
 そんな馬鹿な。
 そんなことは……ありえない。

「だが、事実だ…」

 それでも私は神子の言葉を受け入れられなかった。
 神子が私のことを不浄なものを見るような目で見なかったことも信じられないというのに、どうして私に感情があるなどと思えよう?
 けれど、神子の言葉は真実…………なのかもしれない。
 真実だと………思いたい。
 怒り………。
 そう、私は怒りを感じていたに違いない。
 ままならぬ己に対して。
 哀れみ…。
 それも知っている。
 恐怖も、楽しみも、喜びも、全てこの、私を振り回す神子がもたらしてくれた。
 何度も繰り返した答えの出ない自問自答は、“心”ゆえに起こされたものだったのか。
 この胸の痛みも……。
 本当に私には感情があるのか……?




なんか、泰明さん強情ですね~(爆)
いつまでもごにょごにょ言ってないで、神子ちゃんを信じればいいんですって
でもこのお話、収拾つくんでしょうか……;;;;
なんかどんどん長くなる…