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飛空都市湯煙事件簿



 子守歌

「ロザリア! ロザリア! いるぅ?」

 けたたましい音を立てて少女が飛び込んで来た。
 静かな午後のひとときを、優雅に紅茶をすすりながら過ごしていたロザリアは、驚いて琥珀色の液体をドレスにこぼす。

「な、なんですの? 大きな声を出して」

 レースのハンカチでドレスを拭きながら、ロザリアは露骨に不機嫌そうな顔をした。

「まぁったく、いつまでたっても女王候補の自覚がないんだから…」

 ぶつぶつ言うロザリアなぞ意にかいさず、駆け込んできた少女、アンジェリークは満面の笑みを浮かべながらロザリアににじりよった。
 この宇宙を統べる現女王。彼女の力の減退によって、次期女王を決める為の試験を行うことになり、二人の女王候補がこの聖地を模して作られた飛空都市に呼び寄せられた。そして大陸を育てるという試験が始まり、彼女たちは世界を構成する九つの力を持つ守護聖たちの力を注ぐことによって大陸を育成してきた。
 それは、飛空都市にも慣れ、試験も半ば過ぎた頃の出来事であった。

「温泉よ、ロザリア」

「はぁ?」

「この間、『入りたい』って言ってたじゃない」

「え、ええ…、それがいったいどうかして?」

 普段はロザリアのお嬢様口調に押されぎみのアンジェリークだが、今日は随分生き生きとしてロザリアを圧倒している。

「あるんだって、温泉! この飛空都市にも」

「ま、まあ、あんたってば…。冗談はおよしなさい。このロザリアを担ごうだなんて、十年、いいえ、百年早くてよ」

「冗談じゃないんだってば」

「えっ?」

「マルセル様から聞いたの。聖地のジュリアス様の邸宅の近くに温泉があるんですって」

「聖地ですって? あんた、ここは飛空都市よ。まったく早とちりなんだから」

「早とちりはロザリアよ。ねぇ、聞いて。マルセル様が聖地にあるんだから、もしかしたら飛空都市にもあるかもしれないって見に行ったんですって。そしたらね…ふふふっ」

「あったの?」

「ええ。聖地と同じように温泉が湧き出ていたんですって。小動物たちがやってきて疲れを癒していくそうよ」

「まあ……」

 ロザリアは半ば夢見るように指を組み、宙を見上げた。
「美しい樹々に囲まれた露天風呂…。そしてそこに、日々いたらないライバルの為に心身ともに疲れきった美女が独り、憂いて疲れを癒すの…」

「あの…、もしもし、ロザリア…? いたらないライバルって私のこと? 独りって…?」

「そうよ、完璧な女王候補である私は下々の者のことまで気を配らなきゃいけないんだわ。…そんな傷心な私を癒してくれる柔らかで温かい水…、樹々のざわめき、小動物たちの慰め。…そして少しだけ落ち着いた私にオスカー様が優しく声をかけてくださるの…。『お姫様…、頬がピンク色に染まって、まるで朝露を浴びた一輪の真紅のバラのようだ』って…」

「ロザリア? もしもし、ロザリア、もしもーし…」

 すっかりいってしまったロザリアは、アンジェリークの弱々しい呼びかけなど聞こえていない。

「ロザリアってば…、ねえ、」

「いくわよ! アンジェリーク!」

「えっ?」

「まったく、あんたってばトロいんだから…、さぁ、いざ、温泉よ!」







 とはいったものの、二人は正確な温泉の位置を知らず、場所を聞こうにも肝心のマルセルは女王陛下の御用でゼフェルやルヴァとともに一時聖地に帰っていた。
 アンジェリークは三人が帰ってきたら、と止めたが、ロザリアがどうしてもこの土、日の曜日の間に入るんだと言って聞かず、結局根負けしたアンジェリークは、オリヴィエに相談することを提案した。

「あ~ぁ、あの温泉ね…。いいわよぉー、あのお湯は。一回入っただけでお肌つるっつるのピッカピカ。まさに至高の温泉よね」

「まぁぁぁ、オリヴィエ様っ! ロザリアも入りたいですわ! お願い、連れていって下さいまし、ロザリア、一生のお願いです」

「別に一生のお願いしなくたって、連れてってあげるわよぉ。ん~、だけどねぇ」

「何か問題でも?」

 ちょっとだけ考え込んだオリヴィエにロザリアが詰め寄った。
 アンジェリークも不安になり、彼に問いかける。

「まさかオリヴィエ様…、その温泉、熊でも出るんですか?」

 アンジェリークの頭の中には、温泉=山奥=熊の図式が見事に出来上がっている。

「へっ? や、やぁねぇ、アンジェリーク。飛空都市にそんな危険な動物がいるわけないじゃないのさ…。まったくあんたってば面白い子ね」

 オリヴィエはケラケラ笑いながら説明してくれた。
 なんでもその温泉の場所はジュリアスの邸宅の近く、ジュリアスとオスカーが遠乗りによく訪れる崖の下にあるそうで、道が細くて馬車が入れないという。そこに行くには馬か、歩くかしかないのだが、女の子の足ではちょっとキツイかもしれないとの事。

「かまいませんわ、私、温泉のためなら少しぐらいの苦難も我慢いたしますわ」

 拳を握りしめ言い切ったロザリアに、さすがのオリヴィエも苦笑いを浮かべた。

「まあ、ちょっとお待ちよロザリア。私はもちろん馬に乗れるから、護衛と見張りを兼ねて一緒に行くとして、あと一人だれかを連れていけば問題ないだろう? 馬の三人乗りはカナシイけど、二人乗りなら美しいからね。…さて、クラヴィスとリュミエールは論外として、ジュリアスはダメね」

「えっ、どうしてですか?」

 アンジェリークが不思議そうに首を傾げる。

「ジュリアスに知れたら、『女王試験中にそんな俗な事に心奪われてどうする』とかなんか言っちゃって、温泉に行けなくなっちゃうかもしれないよ。うーん、そうすると残るはランディとオスカーなんだけど…」

「オスカー様がいいですわっ!」

「……。残るはランディとオスカーなんだけど、……ひょっとしてここでランディに声をかけちゃったりしたら、凄いことになるわね……」

「オスカー様と二人……、温泉に行けるなんて……」

 ロザリアは頬を染めながらピンク色のため息をつく。

「もしもーし、ロザリア? ……あーあ、ロザリアってば、またいっちゃった…」

 オリヴィエもあきらめのため息をついた。

「…あたしとしてはあんな危険な奴に声を掛けるんなて、露天風呂が金庫に入っていたとしてもいやなんだけど……。…こりゃもう何をいってもだめだわ……」

 そういう訳でオスカーのもとを訪れた三人に、彼はもちろん色好い返事をくれた。

「お嬢ちゃんとお姫様たってのお願いだ。喜んで護衛させてもらうよ」

「あんたの場合、護衛に見張りが必要ねぇ」

「うるさい。お前の方こそ下心が見え見えじゃなか、極楽鳥」

「あーら、失礼ね。あたしはどっかの“女ならば大抵OK”の誰かさんと違って、アンジェの真珠のような柔肌を見てみたい撫でてみたいなんて、これっぽっちも、ゼフェルの脳味噌ほども思っちゃいないんだからね」

「……語るに落ちたな」

「…オリヴィエ様、そんな事考えてたんですか?」

「だぁー、アンジェまでなんて事言うのよ。全然考えてないって言ってるでしょーが」

 オスカーはさりげなくアンジェリークの肩に手を置いて囁いた。

「オリヴィエはな、いつも俺のことをどーとか言ってるけど、本当はあいつの方が何倍も女好きなんだぜ。気をつけなよ、お嬢ちゃん」

「あんたってば、ほんとーぉぉに、嫌な奴ね。ちょっと! そのばっちい手! 早くどけなさいよっ!」

「オスカー様!」

 オリヴィエがオスカーの手からアンジェリークを奪い取るより早く、ロザリアが彼女を押しのけるようにしてオスカーににじりよった。

「な、なんだい? お姫様…」

「私…、楽しみですわ。オスカー様と二人で馬に乗って…出かけられるなんて」

 うっとりと見上げるロザリアに、オスカーは思わずにっこりほほえんでしまった。

「よ、喜んでくれて、…俺も嬉しいよ……」

「はい、これでき・ま・り。明日を楽しみにね、アンジェ」

「はい、オリヴィエ様」

 あたりかまわずハートをまき散らすロザリアを前に、すっかり思惑のはずれたオスカーはこっそりため息をついたのだった。