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闇の獣  ~the beast of dusk~ 


vol.9


“賭けはやっぱり、僕の勝ち…………だね”

 獣の形をした闇は、あざ笑うかのように微笑んだ。
 つられて捩れた周りの闇が、彼の笑いに同調して不愉快な無言のざわめきを立てる。

『……………』

 もう、どのくらいそうしているのだろうか。
 全ての感覚が途絶えてしまったような彼の魂に、時間の経過など分かるはずもなかった。
 肌に食い込み、じわじわと血を流し続けるイバラ。
 朦朧とした意識に囁きかける闇の甘い誘惑。

“あなたの身体はもう見放されたみたいだよ。……そりゃそうさ、だって闇のサクリアさえ引き出せれば、後は何の価値もないものね”

 クラヴィスは目を閉じたままピクリともしなかった。
 ディザイアの話しすら果たして聞こえているのかいないのか……。
 どろりとした闇に浮かぶ彼の姿は、壮絶な悲壮感とともに一種カリスマ的な、見るものを引きこまずにはいられない美を湛えている。
 闇の獣は余りにも無反応なクラヴィスを見て、軽く舌打ちすると、苛立たしげに蹄を鳴らした。

“……聞こえてる? あの天使はあなたの身体の元に通うのをやめて女王になったんだよ? たとえあなたが戻ってももう、天使はあなたの前に降り立たないんだ”

 ようやく、クラヴィスの目蓋が二、三度痙攣したあとにゆっくり開かれた。

『………何をそう焦って……いる?』

 気だるげに動く唇とは裏腹に、口調は以外にもしっかりとしたものだ。
 ディザイアは予想外の彼の様子に歯をむきだして顔をしかめた。

“焦る?? ……この僕が?”

『私には……そう見える』

“この僕が焦ってるって? ……まさか、そんな訳ないだろう?
 あの天使はあなたのことをいつまで待っていられるのか……。その賭けに勝ったのは僕だ。あなたはもう見放されたんだよ? 魂は僕の手の中にある。そんな僕が何故焦らなきゃならないんだ?”

 話しているうちに興奮してきたのか、ディザイアはもともと不確かな輪郭をさらにぶるぶると震わせ始めた。暗い炎のたてがみもゆらゆら揺れながらぶれてしまい、まるで滲んだインクのように、闇の空間に溶ける。

『何を欲している。………闇の獣よ。
 手に入らぬものをねだる幼子のような我が侭は、もういいかげんにしたらどうだ?
 ……手にした…と思ったものは、思いもよらぬものだったのだろう?』

“うるさいっ! あなたこそ悪あがきはやめろっっ。もうあなたに帰る場所はない。ここに……、この孤独な闇の中にいつまでも漂い続けるか、僕と一つになるか……。それしかないんだっ”

『私と一つになっても、お前は決して孤独から逃れられない…。お前が本当に欲しがっているものは、もうお前の手に入ることはないだろう……。お前が後ろを振り返らぬ限り……な』

“なっ…、あなたは一体何を……?”

 いまやディザイアはその姿を留めてはいなかった。ぶよぶよと定まらぬ身体を懸命に集めようと足掻いているようにも見え、また、自らを崩壊させているようにも思えた。

『自分が何故、何を欲していたのか……。振り返ることも時には必要だ』

 軟体動物のように、その心理状態のままに身体の輪郭を崩したディザイアは、返す言葉もなく蠢き続けていた。





「待つんだ、アンジェリークっ」

 回廊を躊躇いなく歩んでゆく彼女の背後から、オスカーが声かける。
 アンジェリークが振り向くと同時に数歩で追い付いた彼は、息を整えてから彼女を真正面に見据えた。

「…………」

 アンジェリークを呼びとめたものの、オスカーは何と言って良いのか分からずにただじっと瞳を見つめた。
 言いたいことはたくさんあった。が、すぐには言葉にならない。
 言葉を飲み込んで立ち尽くすオスカーの遠く後ろの方には、ジュリアスやオリヴィエ、その他の守護聖の姿も、そして女王に即位したばかりのロザリアの姿も見える。
 そんなオスカー達の心中を察したのか、アンジェリークは静かに語り始めた。

「……私……、待たないことにしたんです。
 どんなに表面で強がってクラヴィス様のお世話をしていても、心の中でいつも泣いていたんじゃクラヴィス様の負担になるだけだもの。
 そう思って私は女王になりました……。
 あの人を……、全ての人々を救うために。皆に幸せになってほしかったから。
 クラヴィス様を助けるのは私しかいないって…、そう思ったから、女王のサクリアが発動したの。もう私の中に残る力はすべてあの人の為にあるもの。ロザリアから女王のサクリアが消えずに残っていたのも、きっと私がこうすることを、宇宙は知っていたんだわ」

 穏やかな微笑を湛えた顔。
 もう何の憂いも迷いも感じられない。

「………やっぱり君は……」

(俺に何の相談もしてくれなかったんだな……)

 オスカーは心の中でそう囁く。
 痛いほど解っていた彼の者への久遠の愛。
 例え魂が無理矢理分かたれていても、引き合う心を止められるものなどありはしない。
 ……そう、オスカーの心のように。

「……君は…、強いな」

 いつものように甘やかな光を湛えた瞳でオスカーが言う。
 アンジェリークの最上級の笑顔の為に、必然な事…。
 手を貸すことは出来ずとも、それを願うことは出来る。

「……強くなりたいと……そう思ってます。大好きな人達を、愛する人を守れる程に」

「何か策はあるのか?」

 何時の間にか二人のもとに近付いてきていた守護聖達。彼らを代表するかのように筆頭であるジュリアスが険しい面持ちのまま問いかける。

「……いいえ」

 そのようなもの、もとよりあるはずもない。
 解りきっていても聞かずにはいられないジュリアスの心境を慮って、ルヴァが一歩前に歩み出た。

「…えー……仮にも、知恵を与える守護聖といわれながら、あなたに何の助言もしてやれない私を……その、許してくださいね。…余りにも不確定要素が多すぎて、私にもどう判断していいものかわからないでいるんですよ。
 ……でもですね、きっとあなたなら、分かるんじゃないか、何かを見出すことが出来るんじゃないか……と、そう思うんです。
 あっ、これはその知恵とか知識とかとはまるきり別の感じなんですがね。……第六感とでも言っておきましょうかね~。

 無責任に聞こえるかもしれませんが、私達には何ともしがたい。
 えっと……、でもあなたなら、素直な心で物事を見、そしてそのー…全てを抱擁できる心の美しさがあれば……、大丈夫。
 きっと全てがうまくいくと、……そう思いますよ」

 ルヴァの言葉に他の守護聖達も一応に頷く。
 微かに涙ぐみかけたアンジェリークの頭を、オリヴィエがぽんぽんと軽く叩いた。

「帰ってくるんだよ……。あの、寝太郎を連れてね」






“ボクガ、ホッスルモノ…………”

 ぶよぶよと輪郭を変えつづけていた闇の獣は、とうとう物質としての確かな輪郭を保つことが出来なくなってアメーバ状に流れていた。
 クラヴィスが与えた疑問…。

《自分が何故、何を欲していたのか、過去を振りかえってみよ》

 その言葉がディザイアに与えた衝撃は相当のものだった。
 過去に何があったのか……、そして何故ディザイアとなって孤独を埋め尽くさなければならなかったのか…。その本当の理由はディザイア自身も分かっていないのだ。


『見えるか……。昔………お前がディザイアとならねばならなかった過去が…』

 戒められたままであっても彼の目の輝きは失われていない。
 ふっと意識を飛ばせばディザイア自身すらも分からないでいる彼の過去がありありと脳裏に浮かぶ。

 ぶわりっ──────

 と、ディザイアの輪郭が倍以上に膨れ……。
 そして次の瞬間、中間から大きな黒い塊を弾き出した。

“…………クラヴィス…”

『…!? アンジェリーク? お前は………来てしまったのか……』

 黒い塊が人型を形作ってゆく。
 その姿は前女王であるアンジェリークであった。いや、正確にいえば前々女王なのであるが。
 素直な金の髪も、その闇色をした身体では分かるはずもなかったが、しっかりとした意志の宿ったまなざし…。クラヴィスが忘れることなどあろうはずもなかった。

『何故…、……こんなところに来た? お前はもう……』

“女王じゃない? そうよ、私はただのアンジェリーク。女王候補でもなければ女王でもない…”

 屈託のない笑顔。
 かつて彼の愛したアンジェリークそのままに、彼女はそこに、いた。
 クラヴィスは厳しく引き締めていた顔を、ここにきてようやく和ませた。
 それを見たアンジェリークはふふっと笑いを零す。

“もうすぐ………あなたの愛する「アンジェリーク」が来るわ。私はただ……忘れ物をとりにきただけ”

『忘れ物……か。そうだな……そうかもしれぬ』

“あの頃の私は全然余裕なんてなかった。この……私が置いてきた想いが、時が経つにつれこんなに優しい想いに変わるなんて気付きもしなかった。一番苦しい時を、忘れる事で逃げていたの…”

 闇色のアンジェリークはその姿を徐々に周りの優しい闇に溶け込ませてゆく。

“あなたが私の置き忘れた心の呪縛を解いてくれるのと、あの子の力が弾ける瞬間を待ってたの…。もう二度と会うこともないと思うけど……、さよならは言わないでおくわ”

 話している間にもその姿は薄れ、どんどん周りに同化して行く。

“閉ざされた宇宙がどう変わってゆくか……楽しみにしていてね…”

 意味ありげな言葉を残し、前々女王であったアンジェリークの姿は完全に消えた。それとともに闇の彼方から輝く光の軌跡が見え…。

『アンジェリーク…』

 わずかに緩んだイバラの戒めを振りほどこうと、クラヴィスが身じろぎした時であった。

“まだ…、あなたを離さない…”

 緩んでいたイバラが再びクラヴィスの身体を捕え、彼は痛みで呻き声を漏らした。

『……とうとうお前と会えたな……。お前は誰だ? 何のために私を捕える…』

 苦しげな息の下からさえも毅然と顔を上げ、クラヴィスは問う。

“僕? ……僕は誰? ……分からない………僕は誰……?”

 アンジェリークの想いが消えたせいでその大きさも半分以下になってしまった闇色の塊は、徐々に本来の姿を取り戻しつつあった。

“僕はどうしてここにいるの? ……あなたのそばにいるの……。離れないの……。だって……あなたの傍にいれば、あの人が来てくれる…。あの人? ……優しい……僕のあの人……”

 自分自身に問い掛けるうちに、彼はその姿をはっきりと表した。
 子供……だった……。
 まだ幼い…、あどけない子供。

『おまえはっ!?』

 彼の正体を悟って、クラヴィスは声を上げた。

『そうか……アンジェリークの想いに取り込まれたな……。いや。……自ずから同化したのであろう…』

 闇色の子供はビクっと身体をすくませ、怯えて涙を零し始める。

“だって……だって……”

『………泣かずともよい…。今、お前の求めるものが……そこに』

『クラヴィス様っっ』

 あたりが、真昼に変わったかのように思われた。
 それほどに強い魂の輝きが闇の中に浮かび上がり、戒められたクラヴィスをイバラごと抱きしめる。

『大丈夫ですか?』

『ああ……』

“……天使さま……?”

 その声にアンジェリークは彼に気付いた。

『あなたは……』

“やっと来てくれたの……? でもその人のため? そうだよね……僕は…ボクハ……”

 子供の輪郭が先程と同様に崩れはじめる。
 何か不穏な響きを帯びた声色に、クラヴィスがとっさに叫んだ。

『駄目だっ、己をしっかり持てっ。お前の天使はここにいるっ』

 その一言でアンジェリークは全てを悟った。
 かつて大陸で唯一アンジェリーク達の姿が見え、そして幼くして死ななければならなかった小さい魂。
 アンジェリークはほっ……と肩の力を抜くと、彼に向かって手を差し伸べる。

『おいで……。遅くなってごめんね…』

 ビクンッと子供の身体が震えた。
 涙でくしゃくしゃになった顔のまま、その子供はアンジェリークに向かって駆け出す。

“あっ、あっ…”

 泣きじゃくりながらアンジェリークに駆け寄り、その腕の中に飛び込むと、……彼の姿はアンジェリークの中に溶け込むようにして消えて行った。

『あっ……』

 アンジェリークの上げた、短い叫び。

“…………おかあ……さん……”

 彼女の腕の中に消える時、その子供は確かにそう言っていた。





「しっかし不思議よね~~。なんか輪廻っていっても……何というかこう……、定められたものを感じるわ~~」

 椅子に腰掛け、尚且つもう一つの椅子に両足を組んで乗せて、あまり行儀良いとはいえぬ格好でオリヴィエは呟いた。
 テーブルの上には香り高いハーブティーが置かれ、向かいにはルヴァとリュミエールがそれぞれ本とハープを手に微笑んでいる。

「運命……って奴か?」

 庭の方からテラスの階段を上ってオスカーが姿を現した。

「オスカー…っ。やーね~~、急にわいて出ないでよっ」

「人をボーフラみたいに言うなっ」

「クラヴィス様もアンジェリークも……本当にお幸せそうで…。何よりです」

 二人の騒ぎなど意に介さず、リュミエールがほうっと溜息をついた。

「思いっきり…無視したな、こいつ」

「なんか……ムカツク…」

「まあまあ、いいじゃないですか。皆がこんなに笑える日がくるなんて、そうですね~、あの時には思いもしませんでしたねぇ~~…」

「あ~ら、私は信じてたわよ。なんたって、あのアンジェリークだもの」

「そうだな。お嬢ちゃんならやると思ってたぜ」

「オスカー、今は『お嬢ちゃん』ではありませんよ。れっきとしたクラヴィス様、闇の守護聖の奥方なんですから」

「…おっと…。これは失言だったな」

「よお~~しっっ、今日は祝杯よ~~~っっ」

「…って、オリヴィエ、祝杯って一体何のだ?」

「やーね、祝杯上げるのに、理由がなくちゃいけないの?」

「いや別にそんなことはないが……」

「聖地の平和と、無の空間に新たに生まれた球体の意志に………ではいけませんか?」

「リュミちゃんっ、それい~~~い」

「では、私はあ~~、日本酒がいいですねぇ~」

「る、ルヴァも混ざる気?」

「ええもちろん。何か不都合でも?」

 オリヴィエはすっくりと立ちあがり、意気揚揚とテーブルを叩いた。

「よぉーーーしっっ、こうなったら皆を呼んで、宴会といきましょうっっ」






「─── あれは眠ったのか?」

「ええ」

 レース越しの柔らかな光の下で物思いにふけていたクラヴィスは、そばに近付いてきたアンジェリークの腰を抱き寄せながら囁いた。

「あの子に……、ルゥに闇のサクリアが芽生えているというのは本当なの?」

「そうだ…」

「あの子はまだ一つにもなってないわ」

 アンジェリークは悲しげにクラヴィスの胸に頬を寄せる。

「私の闇のサクリアが衰えた訳ではない。もしそうだとしても……、あの子が納得するまでは、我々がこの聖地に留まることを、陛下は約束してくださった」

「陛下が……?」

 クラヴィスは微笑んで頷いた。

「そして何も無かった元の宇宙に……何らかの意志が芽生えた……ということだ」

「まぁっ、それは、きっと………」



────── 閉ざされた宇宙がどう変わってゆくか……
楽しみにしていてね… ──────


 それから間もなく女王試験が行われ、何もなかった空間に新たな宇宙が誕生したのである。





Postscript
お待たせしました(--;;) ようやく最終回を迎え……。
最後は急いで風呂敷をたたんだんで、ひょっとしてご不満な方もいらっしゃるかもしれませんが…
いろいろと……思い出深い作品になってしまいました。
この最終回はかなり苦しんで書いたんですよ~(T_T)
でも、アンジェもクラ様も……みんな幸せになってくれるといいな…