第参章其ノ四
「ん……っ」
身体がどんどん熱くなる。
何かが身体の奥底で膨らんで、そこから熱いものが溢れ出てゆくこの感覚…。
未だ異性を知らぬ身体であるならば、この熱をどうやって静めるものかあかねは不思議に思った。
宝玉に触れる回数が増えるたび、どんどんこの熱はエスカレートしてゆくようだ。全身の感覚が研ぎ澄まされ、空気が触れさえしても疼く。キラキラ光る粒子が友雅の服の上を滑るように零れ、俯いている彼の長い髪が宝玉に口付けているあかねを隠すかのように広がっている。
(これはっ…)
さすがの友雅もこの押し寄せる五行の力の奔流には、思わず我を飲み込まれてしまいそうになった。
五行の力の広がる感覚は、急激にそれの収まる場所を探して狭い入り口から一息に押し込まれているかのようだ。息をつくひまも与えられない。瞬く間に五行は欲望の熱と変化し、彼女の中に意識が引きずり込まれていくような、奇妙な感覚が友雅を襲った。
そしてそれはあかねの方も同じようで、次第に自分が何をしているかすら判別つかなくなり、ほてった身体を友雅に押し付ける。柔らかな肉の感触は、女人の身体に免疫のある友雅でさえ眩暈をおこさせる程に暖かで、そして体臭は危険な程に甘やかだ。
しかし……。
この誘惑に屈する訳にはいかなかった。
彼女が失っている神子としての自信と、そして何より、大切なものを失った傷を広げぬために。
友雅は自制のきくうちにあかねの肩を掴んでぐいっと自分から離れさせた。
「……神子…殿……」
声が欲望に掠れるのまで抑えることは出来なかったものの、うっとりと艶やに瞳を潤ませるあかねの顔に視線を合わせ、正気づけるかのように名を呼ぶ。
「神子……、あかね殿、」
「あ……」
名残惜しげに友雅にすがりつこうとしていたあかねは、だんだんに視線の焦点を結びはじめる。そして、ほんの僅かだけ正気に戻ったらしく、ほてった身体を両手で抱きしめながら震えるため息をついた。
「……神子殿…?」
友雅の呼びかけがまるで淫靡な誘いに聞こえ、引き離された身体が温もりと快楽を求めて震える。
「友雅さ…」
友雅の、僅かに熱を帯びた瞳が心配そうにあかねの顔を覗き込む。
そこから確かに漂う欲望の陰りが、ようやく彼女を正気に引き戻していった。
「あ……、私……」
「大丈夫かい?」
まだ意識があいまいなままではあるが、友雅の、今まで見たことのない程の瞳の揺らめきから、彼の動揺と優しさが伝わった。
なんとか抑えきれたのだ、彼は…。
安堵と、未だくすぶり続ける熱い熱を帯びたため息が、あかねの口を震えながら出ていった。
「ありがとう…、神子殿…。おかげでかなり力が回復したよ」
さすがに、自制を失うまでに五行の力の流入を許していないせいかわずか物足りないような感はあるものの、先日までの飢えた感覚はない。
十分怨霊と対峙できる程に回復している。
「友雅さん………………うん」
友雅はゆっくりと体を離すと、乱れた髪をかきあげた。
その仕草が艶やかで、思わずあかねは息をのむ。
うっとりと見上げる彼女の瞳に吸い寄せられそうになり、友雅は苦笑した。
「神子殿…、そんな目で見ないでくれないか。私にも限界というものが、あるのだからね」
そう呟き、掌であかねの頬を包み込んだ。
「みなが私と同じであるとは限らない。……が、神子殿が私たちを案じてくれているように、私たちも神子殿のことを大切に思っていることは違えようのない事実だ。
…おのおのが、必ず、何か方法をみつけだしてくれると、私は思うけどね」
そう言って友雅はまた、艶やかに微笑んだ。
ゆっくりと…。
人々がそれと気づかぬうちに、都市は徐々に何か不穏なものに包まれていた。
先からの怨霊がからんだ不可思議な事件の影響だけではなく、都市全体が重い。日中太陽が顔をのぞかせていてさえ、まるで黒い霧がかかっているかのような重い陰鬱な空気がそこら中に充満しているようだった。
「………」
アクラムは高層マンションの最上階から、身じろぎ一つせずにそんな都市の様相を見下ろしていた。
仮面をつけてはいるが、彼一人きりで周りには誰もいない。
いまやこの日の本の国が、彼の手中に収まろうとしている。現し世の制覇など他愛もない。いたる所に溢れ渦巻く陰の氣をもってすれば、己の欲望にしか興味のない現代の民草を意のままに操ることなど容易かった。
『地の封印はもはや崩れ落ちた…。天の封印も朱雀が崩れ、残る三箇所も時を経ずして自滅してゆくだろうな………』
四神の結解が無くなれば、すでに放たれた五行の封印は砕け、そして地に眠る龍が………。
己が思い描いた通りの結果に満足して、今や圧倒的な勝利感に酔いしれているはずであった。
しかし仮面から見えている口の端は、満足の笑みを浮かべるどころではなく…。何かを無理やり飲み込もうとしているかのように引き結ばれている。眼下に広がる世界はほぼ、彼の思い通りに動き始めているというのに、心の底の方に晴れぬわだかまりが渦巻いていた。
始まりは自分たちを蔑み追いやった京の人々への復讐だった。
上手くいっていたのだ、あの時は。
何の疑いもなく自分の勝利に酔いしれ、恐怖する京の民を嘲笑い、全てが手中に入ると信じて疑わなかった。そう、心の底から満足していたのだ。…龍神の神子が現れるまでは。
『龍神の神子が現れてからだ。全てが思い通りにゆかなくなったのは…』
認めてしまうのは癪だが、京で追い詰められたことは確かだ。
今はあの時よりも遥かに、状況はアクラムに味方しているはずだった。
負の氣が渦巻き、神子の力に頼らずとも黒龍の力は増している。それにひきかえ、白龍の力はその源を見失い、もはや風前の灯だった。白龍の神子なぞ、恐るるに足らない存在と成り果てた。
………が、なぜ未だ龍神の神子を手中に収めようとする?………
彼の心中に突如疑問が投げかけられた。
己の中に別の人格が存在するかのように、その言葉はアクラムの意識とは遠い別の所から響いてくる。
………何ゆえ、白龍の神子を欲している?………
『……欲してなぞ、おらぬ。我は白龍の神子が苦しみ足掻く様を見、足元に這いつくばらせ、京での溜飲を下げたいだけよ…』
…………ならば今すぐここに龍神の神子を連れ、思う存分いたぶればよいのではないのか? 我にはもうそれだけの力がある。力が………
遠きよりの声はやがて耳元で轟々と響くほどとなり、アクラムの思考全てを奪う。
…………“愛”などというものに溺れ、心の拠りどころを無くした龍神の神子を拉致するなぞ、結解を破るより簡単なことよ。思うが侭に嬲り、陵辱の限りを尽くし、ズタズタにしてしまえばいいではないか………
その考えが正論として彼の頭の中を占めてゆく。
占めていった・・・・・はずだ。
しかし、奥底に達する前になぜか、黒い扉に阻まれ、一抹の迷いを生み出す。
『なぜだ……?』
アクラムの思考を遮って、背後の扉が静かに開かれた。
白の単衣姿のランが足音も立てずに部屋の中に滑り込む。
そっと後ろ手に扉を閉めて、彼女は忠実な子犬のようにアクラムを見返す。
…じっと、見つめたまま命令を待っていた。
「呼んでなぞおらぬ」
「………?」
ふと、アクラムは以前にも同じようなことがあったことを思い出した。
(そういえば以前も…同じようにランが訪れたが…)
その時も確か、出せぬ疑問に心奪われていた時だった。
ランの顔をじっと見つめる。
「ありえぬ・・・」
己の心に迷いが生じたとき、無意識にランを呼ばわってるとでもいうのか?
「………?」
何も言わずにじっと見つめ続けるランの瞳の奥が微かに揺れている。
封印が解けかけているまま何もせずに放っておいたせいか、しかし、解ける様子もなく、今までと何も変わらずランはアクラムの傍にあり続けている。従順な様子は以前と変わりなく、記憶が戻っているようでもない。
深い黒色の瞳は光の加減で薄く茶色に輝く時もあり、その色は哀れむでもなく、縋るでもなく、不思議に静かな、すべてを受け入れたかの様な落ち着きをもっていた。
その色がアクラムには心地よい。
(私は何を迷っているのか・・・)
そう思いながらも、彼の表情からは一切の感情は読み取れない。
白い仮面は彼の顔だけでなく、すべてを覆い隠してしまっているのだ。
「支えである地の玄武の心・・・・・・・・・・・。お前はさぞ、傷ついていることだろう。もう、その身体だけでなく、心までも蹂躙されてしまいそうな程に・・・。」
その声音からは何一つ伺うことはできなかった。
ランはそのまま躊躇せずにアクラムのすぐ前まで歩み寄り、見上げたまま指示をまっていた。
しばし静かに時間だけが流れ。
肩の力をふっと抜き視線をはずしたのはアクラムの方だった。
視線をはずしたままランの肩を抱き寄せると、ゆっくりと仮面を取り、床に投げ捨てた。
人差し指で顎を持ち上げて顔を仰向かせ、少し強引なぐらいに唇を奪った。
ランの身体が僅かに揺らぐ。
(これを初めて抱いた時は、兄に会ったとかで封印が解けてしまった時だったな・・・)
記憶の混乱と感情の噴流に翻弄されていたランを、強引に組み敷き、押し開いた。
それにどんな意味があるのか・・・。ランを己のベッドに運び横たえながら、アクラムは追憶の中に身を委ねてみた。
「この辺りかな、一番の有力候補地は・・・」
少し前を歩いていた恵梨がくるっと振り返りながら、鷹通に語りかける。
「イノリと詩紋が消えたあの閻魔像のところから、さほど離れていませんね。それにここは緑が沢山あるのですね。」
人混みと威圧的な高い建物に囲まれた路地を抜けると、視界に鮮やかな緑の公園が広がっていたのだった。今あかねと八葉等が身を寄せている屋敷は、郊外ということもあって今みている公園と変わらないぐらいの木々と広さを備えており、豊かな木々は皆を穏やかな気持ちにさせていたが、石の建物ばかりだと思っていた街に突然開けたその場所は、屋敷と変わらぬぐらい、いやそれ以上ひどく新鮮に、とても安心した気持ちを鷹通にもたらした。
この公園は皇室の庭園として作られたものであったが、その後一般に開放されたものである。お昼には周りのオフィスの人々の昼食の場になったり、ジョギングをしたりと憩いの場となっていた。
木立が落とす影がまだらな道を二人歩きながら、あちこちと眺めてみる。
「んーーー、昼間だからなのかな・・・? 怪しい場所といっても、どこが怪しいのかまったくわからないわ・・・」
真剣な顔であたりを見回す恵梨に、鷹通が苦笑いをもらした。
「目で見て、怪しいと思えるような場所ではないと思いますよ。おそらく、気のまったく通わない場所・・・これだけの木々や土のあるところならば、他のところよりも気は満ちていると思いますが、この淀んだ氣に溢れたなかで、正常な気の流れを辿るのはなかなか骨が折れますね。」
まして今探しているのは、その僅かな気がまったく通わない場所なのだ。ともすれば淀んだ氣に惑わされて、己の中の気が圧倒され、麻痺してしまう。
「このあたりは火の属性なのでしょうか。あの閻魔像の所もそうでしたが、炙られるような、、、気を許すと熱気でぼぅとしてしまいそうな気がします。」
つぶやく鷹通をみて、恵梨が不思議そうに首をかしげた。
「・・・・・・気?」
「そう。この世は、すべて陰と陽に分けることができます。、男性と女性や太陽と月のように。そしてまた五つの気によって成り立っているのです。この世界にあるものはすべて、その気の影響を受け、またその気を身の内に保ちながら生きています。それは陰陽五行説といいます。」
大変お待たせしました。
いや、そろそろ鬼の方々も鬼につかまってる(?)方々も
どーなっているのやら気になっているところと思います。
え? 永泉はどーしたって…?
彼はぼーさんですから(^^;;
そのうちじっくりと…(爆笑)>違うだろっ!