gift for torino
「アンジェリーク……。これからは毎日楽しい夢を見せてあげるよ。じゃなかった……。楽しい夢は……二人で見よう……。ねっ」
夢の守護聖オリヴィエと、女王候補であったアンジェリーク・リモージュが互いの気持ちを確かめあい新たに愛を誓い合ったのはついこの間のこと。
皆それぞれに祝福してくれ(…表面は…?)、女王試験自体はその時点で終了したが、育成中の大陸の民を中の島に導くために、今度はロザリアとアンジェリークがその育成を共同して進めることになった。現女王の次元の星々を救うためでもあり、又、二人が女王・補佐官として初めて行う仕事でもあった。それまではもちろん、結婚式はお預け……ということになってしまったが…。
アンジェリークとオリヴィエの結婚式……であるからには相当なお祭り騒ぎになるであろうと、飛空都市中はその噂でもちきりである。
一見恋愛事にはあんまり関連性がないように見える年少組の間でも、それは祝い事として、刺激の少ない彼らの絶好の話題のタネであった。
今日も忙しいアンジェリークを捕まえ、聖殿の中庭の木陰で肴にしている。
「…だから…、やっぱりブーケは白いてっぽうゆりがいいよ。綺麗で、なんかとっても透明なイメージがあるし…」
「だぁぁっ、マルセル、アンジェリークはあのオリヴィエと並ぶんだぜ。アンジェリークだけ清く美しく…なんて飾ったってよー、……うっ…似合わねぇ~…」
「でもオリヴィエ様だって、黙っていればとっても綺麗じゃないか」
「…ランディ…、全然フォローになってない……」
車座になった少年三人と少女一人は、当事者である少女が口を出す暇もないぐらい盛り上がっている。
「俺に言わせりゃオリヴィエのイメージはやっぱり“極楽鳥”だよなぁ…。どっかの血流量の多いおっさんの真似するわけじゃねーけどよぉ。どー見たって極彩色派手派手化粧おばけってとこだもんな…。真っ白で“清く正しく”なんて柄じゃないぜ、ありゃあ」
「もぅ、ゼフェルってば本当に口が悪いんだから…。結婚式なんだからね。“柄”や“普段の行い”で衣装選ぶんじゃないんだよ」
「マルセルも……それってフォロー……?」
「ランディ野郎は喋るんじゃねえっ。ただでさえマルセルのでろでろな少女趣味に付き合わされて脳みそが腐りかけてるんだ。お前が喋ると発酵しちまうぜっっ」
「何っ! お前の脳みそのことは元からじゃないかっ! どーしてそう何でも人のせいにするんだっ!」
「何だとっ、こぉらぁっ!!」
「ちょっとちょっと二人とも……」
「お二人ともやめて下さいっ」
仲介に入ろうとしたマルセルの言葉を遮って、ようやく少女が口を開いた。
「皆さんの気持ちは嬉しいけど、結婚式のことはオリヴィエ様と二人でコーディネイトしますから…。……ホントは私……、結婚式なんていいって言ったんですけど、オリヴィエ様が…「一生に一度のことだヨ」っておっしゃるから…だから…」
さりげなく頬を染めて言うアンジェリーク。
「……あっ…そう。ははっ、…そうだよね」
「けっ。…へいへい」
喧嘩を止めようとして言い出したことであるが、しまいにはすっかりのろけになってしまう。
現在熱愛進行中の二人を話のネタにするのは紙一重である。
恥ずかしがるか、のろけるか…。
経験不足の年少組は、そのことを身を以て知ったのであった。
しかし、面白くないのはゼフェルであった。
実は彼、密かにアンジェリークに恋心を抱いていた。が、自分でもそう認識しないうちに横からオリヴィエにさらわれた形になり、二人が両思いだと知ってからというもの、彼自身訳が分からずにむしゃくしゃしている。つい、意地悪を言ってしまいたくなるのも仕方のないことであろう。
「でもよ……、やっぱり二人とも、行くとこまでいったんだろう?」
「えっ!?」
これでピンと来るのはやっぱり女の子である。
アンジェリークは耳まで真っ赤に染めて、何も言えずに俯いてしまう。
そんな様子を見て、してやったりとニヤリっと笑うゼフェルであった。
「行くって……どこへ??」
間接的な表現に今ひとつピントがずれるランディ。
「………!? ぜ、ぜっ、ゼフェルってばっ! い、いきなり何いいだすのっ」
暫くの間をおいて理解したマルセルは、赤くなってどもりながら非難の声を上げる。
「だってもう一緒に住んでるんだぜ。…こーんなお熱い二人がなんにもないなんてなぁ? 信じられるわけないよなぁ?」
「だから、そういう問題じゃなくて、どーしてここでそんな話になるのォ!」
マルセルの声はほとんど悲鳴に近い。
からかわれたアンジェリークよりも取り乱しているのは確かである。
「なあ? アンジェリーク? …オリヴィエって上手いのか?」
「……何もしてません」
「はぁ?? 聞こえねぇなぁ…」
「…何もしてないですっ」
「そんな訳ないだろっ。“あの”オリヴィエだぜ?」
ほとんど、通りすがりにいんねんをつけるチンピラよろしく、ゼフェルは意地悪く聞いてくる。
「ホントに何もしてないんですってばっ! 二回キスしただけで…あっ…」
ゼフェルの執拗な追求につい口を滑らせてしまったアンジェリークは、慌てて手で口を塞いだ。しかし時既に遅く、ゼフェルや他の二人の耳にもそれは届いてしまっている。
「…なんだよ。やっぱり何かはしてるんじゃねーか。そーだよなっ、婚約してるし一緒にも住んでるんだもんな~~」
恥ずかしさで唇を噛みしめ、幾分下を向いたアンジェリークはその大きな瞳に涙を浮かばせる。
「ゼフェルってばっ! もうやめなよっ」
マルセルが赤い顔のままギュッと目を閉じてゼフェルにしがみついた。
やっとの事で話の主旨を理解したランディは、口をパクパク金魚のように動かすだけで何も言えない。
しかしゼフェルは、マルセルの制止にも関わらずさらに言い募った。
「でもよォ、あのオリヴィエがキスだけしかしないなんて変だよな。……もしかしておめえ、じらしてんのかぁ? それともオリヴィエの奴、他に女でもいるとか……。あぁ、ひょっとしたらあいつ同性愛に走ってるんじゃねぇの?」
「ゼフェルっ!!」
「っ……」
堪えきれなくなったアンジェリークは、大粒の涙をぽろぽろこぼしながら走っていってしまった。
「ゼフェルっ!!」
「お前っ!! 何て事言うんだっ!!」
「うっせえっ!!! ちっくしょうっ!! 俺に話しかけんじゃねぇっ!」
ゼフェルを咎める二人の声と、後悔しながらも邪険にどなりちらす声がどんどん遠くなっていった。
『…他に女でも…』
ボロボロ泣きながら家に戻ったアンジェリークの頭にその言葉がリフレインする。
そんな事は絶対にないと思いながらも、「それならどうしてキス以上はしようとしないの?」と悪循環な思考に陥る。
自分ではじらしてるつもりはもちろん無いし、そうなりそうな雰囲気というものが今一つ分からない。
オリヴィエはいつも優しい。
そしてアンジェリークはそんな彼に安心して身も心も委ねているつもりである。
実はオリヴィエにすればそこが問題なのであるが、当の本人はそんな事露ほども思わない。
何も知らずに無邪気に身体を委ねられればなおさらのこと、おいそれと簡単にことを済ませてしまうわけにはいかない。
当然アンジェリークは経験がないから、いいムード(…とアンジェはそう思っている)になってからリードするのはオリヴィエである。…が、オリヴィエがそれ以上何もしてこないところを見ると、自分は女性としての魅力に欠けているのではないか……などと思ってしまう。
たとえ守護聖であっても、その特殊な力と環境を除けば普通の青年である。
「恋人同士なら…」と、彼女が悪循環な思考に陥ってしまった原因はそれであった。
アンジェリークは部屋の外がすっかり暗くなってしまったのも気付かずに、ベッドに身を投げ出したまましゃくり上げていた。
「たっだいま~~。帰ったよ~~」
オリヴィエが上機嫌で家についた頃は、もうすでに星が瞬き初めていた。
「……??」
いつもなら、帰宅の挨拶をするより早くアンジェリークが飛び出してきて出迎えてくれるのだが、何故か今日は足音すら聞こえない。
ロザリアの計らいで、アンジェリークが帰宅する時間はオリヴィエのそれよりも一、二時間早い。
「あれ……? まだ帰ってないのかな?」
出迎えた使用人にアンジェの在宅を確かめる。
「あの………アンジェリーク様は帰ってらっしゃいます…が……その…、部屋に閉じこもってしまって……」
「……」
オリヴィエは視線を流して顎に手を当て、ちょっとの間何か思案すると
「大丈夫、大丈夫…」
そう言ってアンジェリークの部屋に向かった。
アンジェリークの部屋の大きな扉が僅かに開いている。
その隙間からそっと中を覗くと、オリヴィエは大きな溜息を付いた。
(灯りもつけないで……一体何があったんだろうねぇ…)
今朝はいつもと同じ、笑顔で送り出してくれた。
その微笑みに思わず“今日は休んでしまおうか…”とも考えたが、自分を抑え、極上の笑顔で出掛けたオリヴィエであった。
(何かあったとすれば昼間だよね…)
微かにすすり泣く声が漏れてくる。
「……」
月明かりにうっすらと照らされたベットの上に、うつぶせになったまま泣いているアンジェリークの姿が見える。
彼女を泣かした犯人を見付けたら…ただじゃおかないよ……、などと考えつつ、オリヴィエは音を立てぬようそっとベットに近づいていった。
端に腰掛けるとギシリッとスプリングが軋む。
…と同時にアンジェリークの身体がビクリッと跳ねる。
そっと金糸の流れに手を沿わせると、オリヴィエは優しく囁いた。
「ただいま……」
「お……かえ……なさ…い」
いつ頃から泣いていたのだろう、すっかり声は掠れてしまって、しんと静まった部屋の中であっても注意していないとよく聞こえない。
オリヴィエは胸を痛ませながら、アンジェリークの背にゆっくりと己の上半身を重ねた。
「…あんたの可愛い声…、すっかりガラガラになっちゃったね……」
耳元で囁く声とともに、ぬくもりが背に伝わる。
柔らかく抱きしめられて、安心感と、そして不安感とがごちゃまぜになってしまったアンジェリークは、涙は止まったものの身体が硬直したようであった。オリヴィエの問いには何も答えずに黙ったままだった。
「きっと顔もすっごい状態になってるだろうね……、目なんか真っ赤になっちゃって…」
頬に当たる柔らかな少女の髪が心地よい。
オリヴィエは頬を擦り寄せながら、耳に口付ける。
「さ…、顔を洗っておいで…。夕食にしようよ」
何も聞こうとはしないオリヴィエに、何故か不安がこみ上げてきたアンジェリークは、身体を動かして泣きはらした顔を彼に向けた。
顔はすっかりむくんでしまい、目はかなり真っ赤に充血している。
そんな顔を彼に見せたくはなかったが、今を逃すときっと何も言えなくなってしまう。優しさに甘えるようだが、そうでもしなければ勇気が出ない。
(きっと……、バカなことだと笑われるわ…。ひょっとしたら、呆れて嫌われてしまうかもしれない。……そんな……他の人の言葉で、オリヴィエ様の心を疑うなんて…)
それでも、この不安の中でこのまま生活していくなんて…、まして結婚式なんて出来はしない。
アンジェリークはそれほどに思い詰めていた。
俗に言う「マリッジ・ブルー」なのかもしれない。
いろいろな不安材料が知らない間に蓄積されていて、ゼフェルの言葉で一気に吹き出してしまったのだろう。
自分の方を向いたアンジェリークに覆い被さるようにして、オリヴィエはその顔をじっと見つめていた。
(これほど顔が腫れるなんて……、一体何時間ぐらい泣いてたんだろうね、この子は)
一つにまとめた長い髪がアンジェリークの頬の脇に垂れている。
彼女はその髪をそっと掴んだ。
「オリヴィエ様は……私の………、………どこが好きなんですか? 私なんか……全然いいところ無いし…、………その………こ、子供だし……。きっとオリヴィエ様が今までに付き合ってきた人達と…比べたら………、まるで魅力なんて……。…そのっ、……本当に……私と………」
再び溢れてくる涙。
オリヴィエはしばしその煌めきに心を奪われてから、優しくそれを拭った。
(そんなことか……)
何となくほっとする。
おそらくはゼフェルあたりにからかわれてそれを真に受けてしまったのだろうが、多感な年齢で、しかも結婚直前となれば、ちょっとしたことでも必要以上に反応してしまったとしても仕方ない。
「じゃあさ……、アンジェリークは私のどこが好きなの? 顔? 性格?
私もちっとも良いところ無いよ。大雑把だし、気まぐれだし……。それに守護聖なんかしてるしねぇ~。聖地にだって、下界にだって、私以上の男はたくさんいると思うよ」
「そんなことないですっ! だってオリヴィエ様はオリヴィエ様だもの、他の人に代えられない。顔も身体も性格だって……、全部含めてオリヴィエ様なんだから、だから…」
「そう……だから……」
オリヴィエはアンジェの両手首を捕まえ、コツンッと額を寄せる。
「私も…アンジェリークだから好きになった…。ずっと……この生が終わるまで、あんたと夢を紡いで行きたいと思った。どんな小さな事にだって夢を見いだせる、希望を見付けられるあんただから……だから好きになった。この小さな身体に……溢れて零れるくらいの夢を持ち続けられるあんただから…」
「でもっ、……でも……」
(それならどうしてキス以上のことをしようとはしないの?)
そこまでは言えない。
ましてこんなボロボロの顔で、今さらながらに恥ずかしくなる。
「私はね…、今までそれなりに生きて、色々やってきた。人格者でもないし、聖人君子でもない。だから、過去のことどうこう言い訳するつもりもないけど…。
私はあんたを誰とも比べてやしないよ。
だってさ、ピンク色の美しい夢とラベンダーの優しい夢……。「どっちがいい?」って聞かれたって、判定なんて出来ないからね。“選ぶ”ってのは自分と共鳴できる夢を探すことだろう? どっちが優れているかって批判することじゃない。
……あんたがいいんだ…アンジェリーク……。
私と同じ色の夢を紡ぐ、あんたが。あんたじゃなきゃダメなんだ。
どうしてなんだろうね……? どうしてこんなに…。
あんたが疑問に思うのと同じように私も不思議に思うよ。
こんな私でいいんだろうかって…。
あんたに相応しい…、男だろうかってね…」
「オリヴィエ様…」
「恥ずかしいけど…。あんたがさ、他の守護聖達と楽しそうにしている所を見ると…、急いで走っていってギュッと抱きしめて、『私ンだよ、見ないで』とかなんとか言いそうになっちゃうのさ。でもほら、私って見栄っ張りだから…。やせ我慢して…余裕の表情なんかしてみたりして。
今もそう……。ほら……こんなに心臓がドキドキいってる。
内心、あんたに触れたくて…、あんたのこと、直接肌で感じたくて狂ったようになってるってのに…。
一生懸命自分に言い聞かせるんだ。
もう少し…。アンジェの人生最高の舞台までもう少し…。
名実ともに私の元に来て…そして、全てを分かち合える日まで、もう少し…ってね」
淡雪のように…。
不安がとけてゆく。
オリヴィエがそんな風に考えていたなどと、思いもよらないアンジェリークであった。
いつも余裕で自信たっぷりで、不安で自分を顧みることなんてほとんどしないと思っていた。自分よりも遙かに大人なんだと…。
彼が自分と同じように不安を感じ、そして求めていたとは…。
「オリヴィエ様…、」
アンジェリークはオリヴィエの首に手を巻き付けて抱擁をねだる。
それに応えてオリヴィエも彼女を強く抱きしめた。
「……好き……」
吐息のように吐き出された言葉がオリヴィエの全身を駆け巡り、熱くする。
強く自分を戒めてから抱擁を解くと、オリヴィエはアンジェリークの額をつんと指で押した。
「こらこら…、言ってるそばから誘惑しないように。
今までの私の涙ぐましい努力を無駄にしないでおくれ…」
そしてそっと額にキスを贈ると、アンジェリークを促して夕食の席に向かった。
二人が待ち望む結婚式の日まで、あと二ヶ月余りである…。
・・・Fin