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Over The Rainbow


「あまりここへは来ない方がいいんではないですか?」

「えっ?」

 一瞬、言われた言葉が理解できなくて、アンジェリークはきょとんとした顔をしてエルンストを見つめた。

「…そのー…。あなたも試験でお忙しいし、……日の曜日ごとにここに来ていて変に誤解されても……」

 彼は意識してか、視線を合わせようとせずに、手にしたデータの束を忙しくなくめくっている。

「……」

 アンジェリークはそのままじっとエルンストを見つめていた。
 唇が言葉を紡ぎだそうとして上下に動く。
 見開かれた瞳は僅かに潤み、切なげに何かを訴えかけていたが、顔を逸らしていたエルンストはそれに気付くことなく言葉を続けた。

「あなたは……女王候補なのですから」

 無機的な部屋に冷たく響くその言葉。

「……はい」

 消え入りそうな声でアンジェリークはやっとそれだけ言ったが、とうとう堪えきれずに目尻から涙を伝わせた。

「………すいませんでした……。御迷惑をお掛けして…」

 あまりにも悲痛なその声に、エルンストははっとしてやっとアンジェリークの顔を見たのである。

「あっ、……」

 ショックで声が出ない。
 いつも明るく、笑顔を絶やした事のない彼女が…。
 困難な試験にも果敢に挑み、元気で可憐な仕草と不思議な生命の輝きで周囲を魅了し続けている彼女が…。
 そんな彼女の涙をエルンストは初めて見た。
 少女の悲しそうな顔が、その宝石にも似た涙が、どうしてこうも自分の胸を痛ませるのか…。
 分かっているようで完全に理解しきれないその思いにエルンストは翻弄される。
 だが、少女に涙させたこと……。
 それを痛切に後悔した。
 アンジェリークはいたたまれなくなってその場を飛び出した。
 今日は雨が降っていた。
 気候の変化の少ない聖地に季節をもたらしたのは現在の女王陛下である。移りゆく季節の美しさを堪能するために……。
 普段のアンジェリークなら、この生命の息吹に活力を与える美しい雨を、嬉しそうに堪能したに違いない。
 でも今日の雨は、アンジェリークには冷たかった。
 しとしとと、銀糸のように降り注ぐ。
 雨足はさほど強くないものの、わずかな時間でじっとりと身体が濡れてしまう……。
 そんな雨だ。
 行く場所を失った少女はあてどなく歩き、いつしか湖のほとりへと来ていた。
 ここは、エルンストと幾度か逢瀬を重ねた場所。
 研究院と寮の自室の往復以外、時々正殿に報告に行くぐらいで、ほとんど外出しない彼との……、唯一の思い出の場所であった。
 アンジェリークは彼に恋していた。
 いや、それどころか今はもう女王試験よりも何よりも……大切な失いたくないものになってしまっていた。
 瞳を輝かせ、宇宙の神秘を熱心に語る彼。
 難しい言葉を一生懸命砕いて彼女に説明し、理解を得ては嬉しそうに微笑んでくれた。
 彼が対等に話をしてくれることが嬉しかった。
 そんな自分が誇らしかった。
 彼の夢を自分の夢とだぶらせて、共通点を見つけては微笑む自分が好きだった。
 それがなぜ、急にあんなことを言い出したのか……。
 アンジェリークにはさっぱり検討がつかない。

(もしかしたら……)

 自分はきっと勘違いをしていたのでは……と思う。
 エルンストが自分の過去や夢をアンジェリークに語ってくれたのは、想いを共有できる友人が欲しかったからで、もちろん、彼女をそんなふうにしか思ってなくて…。
 彼の優しさは友人に向けられたもので、異性としてアンジェリークを見たことなどなかったのであろう。
 彼も自分を好きだと思ってあまり馴れ馴れしくしすぎたから…。
 だから、彼は明け透けな彼女の気持ちにうんざりして、あんな風にいったのであろう。むろん彼のことだから、女王試験の先行きも本当に心配しているに違いない。
 アンジェリークは、今はもうずぶぬれで、雨の滴か涙かも分からないぐらいになってしまった顔を仰向いて、そう思った。

(ごめんなさい…エルンストさん…。迷惑かけて……。急に泣いちゃったから、きっとびっくりしただろうな……。大丈夫……明日からは……いつもの……私に……。だから……今は……、今は泣いてもいいよね…)

 そのまま煙る水際に立ちつくし、雨に打たれていた。
 顔に当たる雨は白い首筋を伝い、すでにしっとり濡れたブラウスに染み込んで彼女の身体を包む。
 雨の落ちる音以外には何も聞こえない。
 水音に吸い込まれたその他の音は……聞こえない。
 ……が。

─── …………ク…… ───

 雨音に混じり、何か別の音が聞こえた気がした。
 何も聞きたくないはずの耳が捉えた、音。

─── ……アン……リー…ク… ───

 今度は先程よりもはっきりと、声が聞こえた。
 驚いたアンジェリークが振り向くと、森の小径に人の姿が見えた。

「……アンジェ……リーク」

「エ…ルンスト…さん」

 まさか彼が追ってくるとは夢にも思わず、アンジェリークはその場に硬直した。
 どうすればいいのか分からない。
 まだ……、まだ立ち直ってない。
 自分が見せた意外な反応に驚いて、心配して後を追ってきてくれたのだろう。
 その彼の友人としての優しさが嬉しい反面、今は、女性としてのアンジェリークは彼に一番会いたくなかった。
 彼が後三メールほどの所まで近づいた時だった。
 はっと我に返ったアンジェリークはクルリと背を向け走り出す。
 そちらは庭園に向かう道とは反対の方だ。深い森へと続く道である。
 逃げても行くところなどない道であるが、今のアンジェリークはそんな事も判断出来ない。

「待って! アンジェリーク! 待って下さい!」

 自分が追い詰めているのにも気付かず、エルンストは慌てて後を追う。
 濡れた下草や灌木の間をすり抜け、前を行く少女を捕まえるのは簡単であった。

「!!」

 その細い腕を捉えた瞬間…。

「エルンストさんっ?」

 エルンストはアンジェリークの細い身体を強く抱きしめていた。

「………」

 頬やむき出しの手足に当たる濡れた衣服は冷たいが、あまりにも突然の展開にアンジェリークは何することも出来ないでいた。

(何? ……どうして?)

 エルンストの口から、あの言葉を聞いたのはつい先程のことだ。
 抱擁の意味が理解できずにアンジェリークは目を閉じる。

(…これは……彼のやさしさ…? それとも……同情? ……………罪悪…感…?)

 身体が震え出す。
 濡れた衣類がもたらす悪寒のせいではなかった。

「エルンスト…さん。……お願い……一人にして……」

 震えるアンジェリークの言葉を聞いても、彼は腕の力を緩めようとはしなかった。
 それどころか、尚一層力を込めてギュッと抱きしめ、濡れそぼった栗色の髪をなで始める。

「エルンストさんは…何も……、何も変なこと言ってない……。私が……いけないから」

「………」

 雨足が一際強くなる。
 まるで、最後の力を振り絞ってその全てを地上に与えるかのように。
 ほとんど視界が効かないぐらいの雨の勢いに、森の木々も傘の役目を果たさずにいた。雨の一粒一粒が身体に刺さるようで、だがしかし、エルンストの抱擁はそれからアンジェリークを守るように包み込んでいて……。

「………い…」

「えっ?」

 轟音の雨音を掻き消して、耳元に囁かれる言葉。

「どんなに言葉で修正しようとしても……、自分の心から逃れられない」

「エルンストさん……?」

「……教えてください。いえ、私は分かっているんです。
 自分の心を認めれば、真っ直ぐあなたを見つめられるようになれると…。
 けれど……私は……恐れている。………もしあなたの口から……私の存在を否定する言葉が囁かれたら……。だから修正しようとした。私と……あなたの元の関係は“女王候補と協力者”…だ。そうだったはずです、最初は…。
 ……………。
 ………いえ、違った……。あなたは最初から………違っていた」

 アンジェリークは胸が痛んだ。
 真面目な彼は、こんなにも悩んでいたのだ。
 アンジェリークが無邪気にも彼との逢瀬に胸をときめかせていたとき、協力者としての彼は自分の立場をわきまえようと本当の心を押さえつけて。

「…ご…めんなさい……」

 今度は、エルンストにも彼女が泣いているのがわかった。
 アンジェリークが顔を埋めている胸の部分が熱い。
 熱くて、苦しくて……、そして愛おしい。

「…泣かないでください…。私はあなたに泣かれると……狂いそうになる…。謝るのは私の方です。…“愛”という感情を“理性”で押さえつけようとした私がいけないんです。……結果は、分かり切っているのに」

 エルンストはやっと腕の力を緩めると、アンジェリークの顔を仰向かせた。そして頬に張り付いた髪を指ですくって後ろに撫で付けると、己の、肌の熱気で曇った眼鏡をはずす。

「すいません。
 あなたを傷つけてしまった。
 ……許してくれますか?」

 アンジェリークはすぐに実感出来なかった。
 それでも彼の言葉をゆっくり反芻し、その意味を理解しようと努める。

(エルンストさんが私を…? ………“愛”…?)

 それから許しを乞われたことに、素直に頷いた。

「…ありがとう……。
 そして……もう一つ。
 待っていて下さい。………この試験が終わるまで…。
 あなたと私、この任務を終えてしまうまで。
 これからずっとあなたと一緒にいるために…」

 言葉の一つ一つが身体に染み込んでゆく。
 彼の精一杯の愛情が、心に染みる。
 ここまで真剣に考えていてくれたことが嬉しくて、アンジェリークは再び涙していた。

「あっ、…そのっ、い、いやですか? すいません、その…」

「いいえっ、違います! ……私、嬉しくて」

 アンジェリークはそれだけをやっと口にすると、両手で顔を隠して本格的に泣き始めてしまった。

「あっ、アンジェリークっ? アンジェリークっ、…っ、あの…、」

 狼狽えるエルンストと、嬉し泣きし続けるアンジェリークの上に降る雨は、次第に弱くなっていた。
 明るくなってきた空はもうすぐ雨が上がる兆し。
 濡れた緑が光る聖地の空には、きっと虹がかかるであろう。





Postscript
さわやかカップル第二弾。
果たしてこの爽やかさはどこまで続くのか?(むっふっふ……)
余談ですが、「Over the Rainbow」好きなんです。オズ…。