SUJY-Fantasy-Factory ~アンジェリーク、遥かなる時空の中で等の二次創作と、オリジナル小説のサイトです。

星の歌声



「……近くまで来たのだが……ふと、お前のことを思い出した。今出られるか……? お前と星空を見るのも悪くないと思ったのでな…」

 夜間、突然訪ねてきた闇の守護聖は、そう切り出した。
 今の今まで時間を忘れてエリューシオンの育成記録と格闘していたアンジェリークは、クラヴィスの訪れでやっと時を取り戻す。
 もうすでに寝る時間を過ぎているが、そんなことは露ほども考えずに黄金色の頭を僅かに傾げて、即答した。

「はいっ。行きますっ」

 夕食後に入浴して部屋着に着替えていたが、幸い暗闇の中外出しても差し支えない程度のものだ。
 アンジェリークは急ぎ部屋の電気を消して、クラヴィスとともに寮を後にした。

 ─── 今宵は新月。

 星明かりだけが歩道を照らし、木々の合間に所々見える外灯の灯りとともに闇の世界を強調していた。
 しんと静まりかえった森へ向かう道。
 暗闇は孤独と安息を背中合わせに抱え、世界を包んでいる。
 闇の世界に一人取り残されたような不安と、外界から切り離されて自分を害する全てのものから守られているような安心感……。そんな両極端な感情を煽る。

(まるでこの人のようだわ……)

 少し前を歩くクラヴィスの背中を見ながら、アンジェリークはふとそんな風に思ってしまった。
 彼の腕に包まれているとき。
 そんな時は彼の紛うことなき愛を肌で感じる。
 だがしかし、こうして離れて背を見ているときは、なぜか彼が遠く…そしてもう手の届かないものになってしまったのでは……という恐怖すら覚える。
 互いの心を確かめあっても尚、常に一歩距離を置いて接しているクラヴィス。
 アンジェリークはそれが不満であり、また不安でもあった。
 毎夜のように贈られる闇のサクリア…。
 それは間もなく訪れるであろう女王試験の終了を意味し、このままいけば否応なしに女王になってしまいそうな雲行きである。
 決断の時は迫っていた。

 ……あの黄昏た森の湖で……。

「お前といると……心に春の暖かさが戻ってくる。………この白い手に触れれば、私は図らずも幼い少年のように心がときめいてしまうのだ……。信じられるか……? この私が……だ…」

 そう言って壊れ物を扱うようにためらいがちに抱きしめた。

「どうやら私は……お前を愛し始めているらしい…」

 耳元で、消え入りそうな程低い声で囁いた彼。
 アンジェリークも「好きです…」と返し、怖々と交わした羽毛のようなキス。
 そこまでしても、まだ何か吹っ切れていないような、まだ何か心残りがあるような、そんな瞳のクラヴィスであったが、交わされた優しい口付けには真実、穏やかな愛情が込められていたのを覚えている。
 昏く、虚ろな闇を見つめる瞳に、どこか傷付いた子供のような寂しさの影を見付けたときから、もうアンジェリークの心は止められずにいた。
 自分を慕ってくれている大陸の民や、期待を寄せてくれている守護聖達のことも忘れたわけではないが、知らずに育ってゆく“愛”と言う名の芽は、摘み取っても摘み取ってもそれを上回る勢いですくすくと葉を伸ばし、蕾を持ち……そして大輪の花を咲かせてしまっている。
 それでも『女王試験を放棄します』と言えないでいるのは、彼のそばにいる方法が……今の所それしかない為であった。

(私は……どうすればいいの?)

 クラヴィスとずっと共にいたい…。
 その気持ちはもうとっくに決まっている。
 だが、守護聖と同じ時を生きられるのは女王と補佐官であり、その女王になってしまえば一人の守護聖と深い関係を持っているのは不可能である。少なくとも、今まではそうであった。
 ゆっくりと歩く長身の陰を見つめながら、アンジェリークは途方に暮れていた。
 そんな彼女の思いを知ってか知らずか、クラヴィスの背中は相変わらず全てを拒んでいるかのようであった。
 森の湖はひっそりと静まり返っていた。
 投げかけられる星の光を映した、揺らめく水面さえ音を出すことをためらっているかのようだ。

「わぁ…」

 アンジェリークは控え目に歓声を上げる。
 その幽玄の世界を、自分の不用意な声で壊してしまっては大変だとでもいうかのように。

「夜の湖って……こんな不思議な顔をしてたんですね……」

 このような時間に出歩くのは初めての彼女は、聖地を模したと言う美しい飛空都市の光景に魅入られた。飛空都市でさえこんなにも魅了するのであるから、これが聖地ならばその美しさは言葉では表し切れまい。

「クラヴィス様はいつもこんなふうに散歩なさるんですね…。分かる気がするな…。だって本当に素敵だもの…。ふふっ……、途中で私の事を思い出して下さってよかった。このまま試験が終わればこんな景色は……あっ……」

 自分から、もっとも触れたくない話題に振ってしまってアンジェリークは慌てて口を押さえた。ちらっとクラヴィスの方を見ると、彼は黙ったまま湖水を見つめ続けている。
 そのまま凍り付いたように、二人とも動くことすら忘れて立ちつくしていた。
 永く…永く…感じられる一瞬の時。

(何か……何か言ってくださいっ、クラヴィス様……。私……)

 こんなにも不安なのは…、こんなにも怖いのは初めてであった。
 女王試験を行うことになり、両親や友人達と別れて飛空都市に来たときすら、これほどの不安を感じはしなかった。
 彼の腕の中にいるときはあんなにも幸福感で包まれるのに、どうして離れているとダメなんだろうか?
 アンジェリークの瞳が潤む。
 もしかして彼は、私が女王になった方が幸せだと本気で思っているのだろうか。
 私がそれを望んでいるとでも思っているのだろうか?
 心が不安と疑問符でいっぱいになってしまい、アンジェリークは沈黙を破って言葉にならない声を上げた。

「……」

 闇に佇むクラヴィスが僅かに揺らぐ。

「…………だ……」

 聞き取れぬ声で彼が何か呟いた。

「えっ?」

「………嘘だ…。……ふとお前の事を思い出した……と言うのは…」

 ならば何だというのであろうか?
 アンジェリークは泣くのも忘れてクラヴィスを見つめた。
 闇に溶ける髪。
 伏せられた睫毛。
 色の薄い唇は言葉尻のままに開かれて、次の言葉を紡ぎだそうとしている。
 彼がこれほど言い淀むのはきっとよほどのことに違いないと、アンジェリークは息を呑む。
 今彼が、彼にとって何か重大なことを言おうとしている。
 そう思ったアンジェリークは身体が震えてくるのを止められなかった。
 クラヴィスは少しの間だけ唇を噛みしめ、そして、言葉を見付けたようであった。

「……私は……お前こそが女王に相応しいと……そう……思う…。そしてきっとお前もその運命を選ぶであろうと……」

 一番聞きたくなかった言葉を聞いてアンジェリークはショックのあまりギュッと目を閉じた。
 もう何も聞きたくなかった。
 自分を拒まれる事は変えられなくとも、少なくともその言葉だけは聞きたくなかった。
 だが、彼の言葉にはまだ続きがあったのだ。

「何度も何度も……己にそう言い聞かせてきた。
 ………もう、愛する者を失う哀しみに耐えられそうもなかったからな…私は…。
 あの、…口付けを交わした日…。自分の中でこれほどに押さえ切れぬ思いに育っていると気付きもしなかった……。今さらどれほど己に言い聞かせようと無駄なことであると……また、今日……改めて悟ってしまったようだ…。
 永く凍てついていた心は、少しばかり動きが鈍いようだな…。
 ……どうした……泣いているのか…?」

 アンジェリークは裏腹に首を振った。
 涙が止めどなく溢れ、頬を伝う。

(希望を持つことは……私のたった一つの取り柄だったはず……)

 初めての恋がこんなにも心を弱くすること、そして愛がどんな障害も乗り越えようとすることをアンジェリークは身を以て知ったような気がする。
 少しでもクラヴィスを疑ったことを後悔した。

「……いつも気が付くとお前のことばかり考えているのだ…。浅い眠りの中でさえも、お前の姿が映らぬ日はない。……それなのに……己を戒めるように『ふと思い出した』などと浅はかな嘘を……。
 私はもう……かまわぬ。
 己に嘘をつくことは止めにするとしよう。どれほど嘘をついたとしても、心は変えられず…そして……そのことの方がよほど後悔するであろうからな…」

 そう言ってアンジェリークの方に向き直ると、真っ直ぐに彼女を見つめた。
 あの、黄昏た森の湖での憂いに満ちた瞳ではなかった。
 柔らかな愛を湛えて艶やかに煌めくアメジストの瞳には、夜空と同じように星が瞬いている。ためらいも迷いも何一つない、美しく澄んだ瞳であった。
 その瞳に鮮やかに映っている。

 ───“お前を愛している”……と。

 その闇の氷河に包まれた全てを彼女に開放し、優しい夜空に姿を現した星は今、彼女のためだけに輝いている。

「クラヴィス様……」

 アンジェリークは駆け出した。
 彼の腕の中に。
 その腕だけがもたらす安らぎに身を委ねると、泣きはらした顔を上げる。

「女王になんかなりたくないの…。ずっとクラヴィス様のそばにいたいの…。
 こんな風に自分の事だけしか考えられない私を、きっとクラヴィス様はお嫌いになるんじゃないかって、そう思って……」

「…馬鹿なことを……」

「だから……女王にならなくてもクラヴィス様と一緒にいられる方法を探そうなんて、一番大事なことを後回しにしてたんだわ。……大切なのは……どんな事があっても一緒にいるってことだって。…方法がなければ一緒にいられないなんて……そんな風に考えるのは私がきっと臆病だったから…」

「…ならば私とて同じだ…。同じ過ちを繰り返すことを恐れていたのだからな」

「クラヴィス様…」

「………愛している……お前だけを……永久に……」

 星々は一つのシルエットに優しく幽玄の光を投げかけていた。
 幾つもの星が単調な歌を歌い……それが複雑に絡み合って優しい愛の歌を奏でる。
 一つの星明かりでは地上の光に消されて見えないかもしれない。
 しかし幾つもの幽けき光を束ねれば月明かりさえも凌ぐ美しさとなるのだ。
 一つ一つ自分の心を確認した二人は、星の歌に支えられてきっと道を見いだすであろう。




クラヴィス様=夜…としか浮かばない私はなんて貧困な想像力してるんだろう…。
でもやっぱり「彼に愛を打ち明けられたり、愛を語ったりするのは絶対に夜だ!!」
とこだわってしまう私です…。(^o^;;
最後の闇様のセリフ…。言ってぇ~~~!! 塩沢さんっっ!!