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曙光~pertⅠ 〈アンジェリークSpecial2〉


辺りはすっかり闇に包まれていた。
傍らには男の体。それはすでに冷たくなっていた。
闇の触手が私の頬を、髪を撫でて行き、恐怖が私の心を満たした。
……私は泣いた。闇の恐怖を、闇の孤独を、その時初めて身近に感じたのだ。幼い私にはその恐怖がすべてであるかのように…。
寄り添った男の体に生の息吹は微塵も感じられず、私はただ、ただ、怯え、震えて、泣いていた…。
(そう、あの手が差し延べられるまで…。)




 最後の言葉はリュミエールに語られることは無かった。
 闇の守護聖は手にした水晶球を持て余しながら、遠くを見つめている。

「曲を……続けてくれないか? リュミエール…」

「は、はい…」

 その司る力の通りに優しげな風貌を持つ水の守護聖は、気遣わしげにクラヴィスを見た。
 いつも淋しげな瞳が、今は何故か違った色を伴って揺れている。

(何か……あったのでしょうか?)

 それが、彼にとって良いものであるようにとそっと祈る。
 クラヴィスがこの様に昔の話を自分から進んですることなど、まず無いに等しい。
 どのような心境の変化にしろ、それは二人の女王候補達がもたらしたものに違いはないと、リュミエールは一人納得した。
 心地よい、静かな楽にたゆたいながら、クラヴィスの脳裏には先週のことが鮮やかに甦っていたのだった。


 ─── 先週の土の曜日 ───


「アンジェリーク……」

「クラヴィス様…。こんな時間にどうしたのですか?」

 床に着く間際だったのか、少女はピンク色の清楚なパジャマを着ている。
 突然の訪問に気を悪くした様子もなく、アンジェリークはにっこりと闇の守護聖に微笑みかけた。

「…月が…、とても美しい。それをおまえと眺めるのも悪くはなかろうと思ってな…」

「あっ、月光浴ですねっ、素敵」

 無邪気に喜ぶ少女を見て、クラヴィスの瞳に優しげな光が灯る。

「…一緒に、行ってくれるか?」

「私、こんな格好ですけど?」

「かまわん」

「なら、喜んで!」

 庭園では月が幻想的な明暗の世界を作り上げている。
 昼の明るい陽の光の元では決して見ることの出来ない、もう一つの貌…。

「…素敵、とってもきれい」

 嬉々として噴水に走り寄った少女は、その水の、星屑のような煌めきを眩しそうに見上げた。

「昼間は真珠のネックレスがはじけたように見えるけど…、今はシャンデリアが踊っているみたい…うふっ」

「噴水がシャンデリアならば、おまえは差詰め夜会の貴婦人か…」

「ふふっ、クラヴィス様ったら。パジャマを着た貴婦人なんて」

 闇の守護聖の瞳はこの上なく優しく細められる。
 一瞬だけ、水のシャンデリアをバックにした少女の背に、金色に輝く翼が見えたような気がした。

「……」

 記憶がフィードバックする。
 月光を受けて黄金色に輝く少女の姿が、おぼろげに記憶に残る唯一の姿と交差する。
 目眩がした。
 それに気付いた少女が気遣わしげに闇の守護聖の顔を見上げた。

「クラヴィス様…?」

「…いや、何でもない」

 クラヴィスは改めて少女を見つめた。

「…月光を浴びて、おまえはなんと美しいのだろう」

 真っ直ぐな賞賛の視線と言葉を浴びて、少女はうっすらと頬を染めた。その様がまた愛らしく、クラヴィスはこみ上げてくる思いに自分が驚くほどだった。

「東屋にいこうか」

 ふっと目をそらし、呟く。

「はい」

 少女は嬉しそうに頷いた。
 少し斜め後ろを歩く少女に、何故こんなにも興味が湧くのか、闇の守護聖自身が知りたかった。

(皆に無気力、無関心と言われるこの私がな……)

 自虐的に自問する。

(おろかな……、私はまた……繰り返そうとしているのだろうか?)

 顔を隠した女王陛下。
 それは自分なりに決着はついている。

(惹かれている? この……少女に……?)

 自分の心が揺れているのが分かる。
 あの時以来、全ての事を諦め、全ての事に希望を捨てたはずのクラヴィスだった。

(希望を持てば、それが叶わぬ時の絶望は……。どうせ叶わぬと分かっているのなら、最初から希望など……)

 そう己に言い聞かせても、惹かれてゆく心は止められない。

「アンジェリーク…、おまえは女王になる覚悟はあるのか? …不安は…ないのか?」

「不安は……、不安はたくさんあります」

「無理に女王などになる必要はない。嫌ならばやめてもいいのだぞ」

 クラヴィスの瞳に暗い火が揺らめいた。
 止めるということは、この聖地から去ることだ。そして自分の前からも…間違いなく永遠に。
 そして女王になれば、守護聖達の手の届かない存在となる。その姿を見る機会も殆ど無いのだ。
 少女は闇の守護聖の悲痛な表情に胸が痛くなった。

「クラヴィス様は……後悔しているんですか?」

「……」

 闇の守護聖の歩みがぴたりと止まる。

「そういう感情は………遥かな昔に捨てた」

「でも、それならどうしてクラヴィス様はそんな悲しそうな顔をしているのですか?」

 正面から、少女の瞳に捕らえられた。何事も真っ直ぐに、前向きに進んでゆく少女の瞳は澄んでいて、尚かつ輝いている。
 クラヴィスは少女の瞳から目が離せない。いや、離したくなかった。きらきらと美しく、何のてらいもなく見つめる瞳は暖かい安らぎに満ちている。

「……私は………?」

 と、その時、向こうから人の気配が近づいてきた。
 どうやら月の美しさに誘われてそぞろ歩いていたのは、二人だけではないようだ。

「! ………誰かこちらに来る。今、誰かに会うのは好ましくないな…」

 クラヴィスはすっとアンジェリークの肩を引き寄せると脇の茂みに導いた。
 無言のまま、茂みの奥に身を隠せば、木立の創る闇の帳が二人を包んでしまう。

「クラヴィス様…」

「しっ……」

 肩に回した手に力がこもり、闇の守護聖は少女を自分の体の中に隠してしまいたいかのように、その胸にしっかりと抱き寄せた。
 クラヴィスの長い髪が少女の頬に触れる。
 異様な位の鼓動の高まり。
 少女はその心臓の音が、何げに通りかかった者にまで聞こえてしまいそうな気がした。
 足音が近づいて来て、やがて月明かりにきらびやかな衣裳をまとう、夢の守護聖オリヴィエの姿が浮かび上がる。

(オリヴィエ様だったのね…)

 ゆるやかにカーブをうった髪をなびかせながら、夢の守護聖は隠れる二人の前を通り過ぎ、公園の入口に向かって歩み去っていった。

(見られなくてよかったかも…)

 何日か前に、アンジェリークはオリヴィエに問われていた。
 
 ───── アンジェ、あんたもしかしてクラヴィスのことを…?
 
 その時、少女は答えられなかった。
 自分の気持ちがはっきりと掴めない。
 闇の守護聖の前に行くと、ふとした事でも揺れ動く自分の心は知っている。
 だが、……それがどういうものか、自分でも初めての感情が多すぎて、うまく収集することが出来なかった。
 時折見せる、柔らかな微笑み。
 遠くを見つめる淋しげな瞳。
 何もかも諦めてしまったような、凍り付かせた心。
 それでも無意識に人をいたわる事を忘れてはいない。人を受け入れることも拒みはしない。無気力と言えばそれまでだが、それは彼が心の底では全てを拒絶してしまいたくはないからではないだろうか? 未だ、僅かにでも何かを求めて希望を持ち続けているからではないだろうか?
 少女には闇の守護聖の心が自分の心よりもよく解った。

「夢の守護聖……か」

 クラヴィスの呟きに、少女ははっと我に返った。
 息がかかるほどそばに、闇の守護聖の端整な顔がある。
 肌のぬくもりが伝わるほど、体と体が寄り添っている。

「く、クラヴィス様っ、あたしっ」

 少女は狼狽した。

「もう少し……、もう少しだけこのままでいてくれるか…」

 闇の守護聖は無意識にそう言っていた。
 少女の顔に注がれた淋しげな視線。瞳の奥に何か別の感情の光が揺れていた。

(このままでいたい……。願わくばこのまま…ずっと…)

 それが彼の偽ざる本心だった。
 理屈や過去や、その他彼の心を凍らせておく為の理由など、語るも愚かしい。心は言葉で動かすことは出来ても、縛ることは出来ないのだから…。
 戸惑いながらもすがるように見上げる少女の顔に、月の斑な明かりが揺れていた。

「長いまつげのつくる影が、こんなにも美しいものだとは…」

 闇の守護聖の長い指が、少女の顔をなぞって行く。

「孤独という殻で、傷付くことから身を守っている私の心を、……お前という存在が、かき乱す……。お前はひたむきに……いつも真っ直ぐに飛び込んでくるのだな…、その澄んだ瞳で…」

 その指がまつげに触れた時、少女はそっと目を閉じた。
 吸い寄せられてしまいそうだった。
 あの…アメジストの瞳に。
 そしてそれはクラヴィスも同じだ。
 少女のまつげが僅かに震えている。抱きしめる腕にも、微かな震えが伝わってくる。

「……アンジェリーク…」

(光の中で笑う少女…、光のように笑う少女……。天使のように…)

 
 ─────  ……ス様……
 
「クラヴィス様……?」

 いつの間にか、演奏は終わっていた。
 身動き一つせずに目を閉じているクラヴィスに、リュミエールが遠慮がちに声を掛けたのだった。

「少し…、考え事をしていたのだ…」

 寝椅子の上に身を起こしながら、クラヴィスは気怠げに言った。

「リュミエールよ…、お前は以前、あの二人の女王候補に希望を持つと言っていたな」

「はい」

「…私も…、……私も、それも良いかも知れぬと、そう思えるようになってきた。恐れているだけでは……何も変わりはしないと」

 リュミエールは一瞬驚いたが、すぐに満面の微笑みを浮かべた。

「それはとても良いことだと思います。私もそう思います。何かを変えるのは、きっと希望と言う名の光なのでしょうね」

「ならば、私にも…、希望の光を与えてくれたのか、あの金色の翼で…」

 闇の守護聖の呟きに、リュミエールはそっと頷いた。

(それ以上に……、あなたに愛の光を取り戻してくれたようですね。アンジェリークは…)

 遠くを見つめるクラヴィスの瞳には、何か燃えるような想いが秘められていた。


…TO BE CONTINUED