SUJY-Fantasy-Factory ~アンジェリーク、遥かなる時空の中で等の二次創作と、オリジナル小説のサイトです。

恋一夜


「ん……」

(あ……あれ……?)

 人の気配を感じたような気がして、あずさは眠りから覚めた。
 諏訪湖まで後幾日かで到着する……、そんな日である。
 いつものように野宿をし、皆が眠りについた。
 仙台から諏訪までの徒歩の旅は、例え五方輪であっても辛いものがある。まして彼らはずっと日本列島を右往左往しているのだ。七つの楔を守るために……。
 しかし、その志も潰え、あとは禁門を死守しなくては明日がない……という所にまで来ていた。
 七人とも疲れ果て、比較的安全そうな神社の森に結界を張り、泥のような眠りの中を彷徨っている……そんな頃であった。
 仙台ではいろいろな事があった。
 倒壊した街、河伯に操られた夜斗との戦い。
 河伯がひふみの父であるということ。
 そしてその河伯の死……。
 父が死に瀕する痛みなら、あずさは知っていた。
 しかしその父が敵であるひふみの心境は、どうがんばってもあずさには理解できぬ。ただ、そうとうに辛いであろうと想像するしかないのだ。
 それでも旅の間中笑顔を絶やすまいとしているひふみに、あずさは尊敬と憧憬を抱くのであった。

(ひふみ姉ちゃん……?)

 そのひふみが、皆が寝静まったこんな夜中に、木々の立ち並ぶ森の中を歩いて行く。
 彼女が向かっている先は、結界の外、こじんまりとした神社の森の外らしい。
 気になったあずさは、そっと起き出し、彼女の後をついていくことにした。
 暗い森のを抜け、神社の裏手に出る。
 そこは小高い丘になっていて、眼下に灯りの無い暗い街並みが広がっている。
 闇が幸いして、寄り神の襲撃や何やらで壊れた家や荒んだ街の景色は見えない。灯りが一つも見えないのは、それを頼りに寄り神が寄ってくるのを防ぐためだ。
 身を守る術を持たぬ者達は、そんな些細な事でもやる他はなかった。
 それを見下ろす丘に立つひふみ…。
 あずさは身を隠す物がない丘の手前で止まり、大きな岩の転がる間に立ちつくす彼女に近寄れないでいた。
 何と声をかければいいのか分からない。
 ひふみが何を考えてこんなところに来たのか分からない。
 あずさは、低い木の陰から息を殺してじっと見つめていた。

(ひふみ姉ちゃん……一人になりたかったのかな……? ………あれは!?)

 と間もなく、一つの大きい岩の陰からそれに負けないぐらいでかい影が姿を現した。

(八洲……!)

 逞しく、鍛え上げられた身体。不動明王と例えられたばかでかいその姿は、遠目でも紛うことなどありはしない。そんじょそこらにごろごろといるルックスではないのだ。
 八洲はゆっくりとひふみに近づいた。
 そしてその肩を抱き寄せる。
 ことんっと、ひふみがその胸に頭をもたれ掛けた。

(八洲…、ひふみ姉ちゃん…)

 互いの思いが通じ、悲しい愛が始まった仙台の多賀城での出来事は、直也から聞かされている。
 あずさはほっと肩を下ろした。

(八洲がいれば、大丈夫だよね…? ひふみ姉ちゃん…)

 そしてその場をそっと立ち去ろうとした時であった。

「んっ!?」

 突如後ろから肩に手をかけられ、大声を上げそうになった口を、素早くもう一つの手が押さえる。

「…しっ、……俺だ」

 ひそめたその声には聞き覚えがあった。

「我舞のお兄ちゃん…」

 あずさは暴れようとして振り上げかけていた手を下ろす。

「危ないじゃないか。ここは結界の外だぞ」

 素直にこくんと頷いたあずさは、黙って八洲とひふみの方を指差した。

「あれは……」

 細く悩ましい肢体を抱きしめる八洲。そしてすっかりその逞しい腕に身を委ねているひふみ。
 八洲が腕を解き、ひふみの顎をそっと持ち上げる。
 つま先立ちになったひふみが目を閉じる。
 覗き込むようにかがみ込んだ八洲の顔が彼女のそれに重なる……。

『あっ……』

 我舞とあずさは同時に小さな声を上げた。
 そしてすぐに、失敗したとばかりに口を押さえる。
 幸い、風下だったらしく、そのささやかな声は口付ける二人に届かなかったようであった。
 ほっとしたものの、どうにも気まずい沈黙が辺りを包む。
 我舞もあずさも、動くタイミングを失ったまま、長い口付けを交わす二人を見続けていた。

「……抱いて……、うちを……。強く……抱いて…」

 微風に乗ってひふみの声が流れてくる。
 同時に八洲がひふみの身体をぎゅっと抱きしめ、それから露出した太股に手を這わせるのが見えた。
 その瞬間であった。

「えっ……?」

 素早くあずさを抱きかかえた我舞は、もと来た道を疾風のごとく駆け戻り始める。

(えっ? えっ? えっ?)

 何やら訳の分からないうちに我舞に連れ去られたあずさは、抵抗する気もなく、また問いかけることすら気が付かないで、その腕に抱えられていた。
 八洲には負けるが、我舞の身体もそうとうに鍛えられていて、その腕は暖かくて安心できる。
 あずさはひふみが八洲にしたように、我舞の胸にことんと頭をもたれさせた。

(ちっ、多分気付かれたな……)

 我舞は慌てた為に、気配を殺すことも音を立てぬようにすることも忘れていた。
 多分、八洲とひふみは我舞がいたことに気付いただろう。
 気付かれたからといって、別に何もやましい事をしていた訳ではないのだが、あれではまるで覗きである。
 誰かに見つかれば例えあずさと一緒にいても、言い逃れする事はできまい。
 いや、『まずい』という点で言えば、あずさと一緒にそこいた事の方がもっとまずい事になってしまうであろう。
 あまつさえ、あずさに濡れ場を見せるなどと……。
 我舞に取り敢えずやましい気持ちが無くとも、11歳とはいえあずさも多感な女の子であることには違いないのであるから…。
 あずさを抱えたまま、八洲とひふみからかなり離れた場所に来た事を確認すると、我舞は息を乱しながら、大木の根本にへたり込んだ。その腕にあずさを抱えたまま…。

「お兄ちゃん…?」

 我舞の上に大人しく横座りしているあずさは、顔を下から覗き込むように声を掛ける。

「あっ…? ああ…」

「大丈夫?」

「あ、ああ…」

 我舞の気遣いは、あずさにもなんとなく分かる。
 覗き云々、やましい云々までは分かる筈もないが、八洲とひふみのプライベートな部分を見せまいとしてくれたことである。
 男の女の事は、一応学校の授業や口さがない巫女の噂話などで知ってはいた。
 だが、直にその目にしてしまうと、明日からまともに八洲とひふみの顔が見られないであろう。

「ありがと……ね。気、遣ってくれて…」

「いや、別に…。……子供が見るもんじゃないからな…」

 子供扱いされてむっとしたあずさは、口を尖らせて我舞を睨み付けた。

「あずさ、子供じゃないっていったでしょっ」

「子供らしくしろって、言っただろ」

「そんなのいや」

「いやでもしろ」

「やっ!」

「そんな風に駄々をこねるところが子供なんだ」

 言い込められて、あずさは返す言葉を失う。
 我舞は、更にあずさが言い返すものと身構えていた。
 が、しかし……。

「……」

 あずさの大きめの瞳から、ぽろんっと涙の粒がこぼれ落ちる。

「あ、あずさ……」

「お兄ちゃんのいじわる……」

 我舞はどうしたらいいのか分からずに、ただ一つ出来ること、すなわちひたすら謝った。

「すまない。泣かせるつもりじゃなくて……その……ごめんな…」

 それでもあずさの涙は止まらない。
 我舞は、あずさが何故背伸びをしてるか分かってはいたが、今回の仙台の一件で再び傷が開きかけたこと、そしてひふみの虚栄を知ってしまいさらに辛さをしょった事に思い至って、自己嫌悪に陥った。

(ちきしょう……。俺は…やっぱり鈍いんかな…)

 無骨な手で、次からこぼれ落ちる涙を拭ってやる。
 そして、両手で強くあずさを抱きしめた。

「ホントにごめんな…」

 いつもは自意識過剰気味で、直也などに尊大な口をきく我舞であるが、あずさにはつい甘くなってしまう。
 言い慣れない謝罪の言葉に戸惑いながら、我舞は大きな手であずさの頭を撫でた。

「子供らしくしろっていうのはその………、お前らしく、自然のままでいろって……いう意味だ……」

 我舞の胸に顔を埋めたまま、あずさは頷いた。

「俺はそのままのお前が好きなんだ。……あっ、いや、そのみんな…、そんなお前が好きなんだと……俺は……えーっ、言いたくて…その…」

 柄にもなく真っ赤になって言い淀む我舞を見て、あずさはくすくすと笑い出した。

「なんだよ…、笑うなよ。俺はな、お前に元気だして欲しくってだな、」

「元気、出るよ。お兄ちゃんがキスしてくれればね」

「えっ? なんだって?」

「だから、あずさが元気でるように、お兄ちゃんがキスのお呪いをするの」

「なっ、あっ、き、ききす?」

 狼狽える我舞をよそに、あずさは目を閉じて軽く唇を突き出す。
 その表情に、我舞の胸はどきんと大きく一つ脈打った。

(子供だ…と思っていたのに…)

 キスをねだるあずさの表情はまさしく“女”の表情だ。
 幾つであっても、女は女…、ということか。
 その発見に驚くとともに、我舞は自分の行動を決めかねて動けないでいた。

「ん~~~っ、もうっっ」

 しばらく待っていたが、いっこうにキスしてくれる気配がないのに業を煮やし、あずさは自ら我舞の唇に己のそれを重ねた。

「!!」

 柔らかな唇の感触が、我舞の背を押した。

(くそっ……。直也の奴が、『ロリコン』…とか言って馬鹿にするのが目に浮かぶようだな…)

 そんな風に思うことで、すでにあずさを受け入れてる自分に気付く。
 でもそれは決して嫌ではない。それどころか、あずさの重みがとても貴重な宝石のようにも思えて、その腕から逃したくなくなっていた。
 そしてしばしのキスの後、あずさがそれを離そうとしたとき、我舞は再びあずさを抱きしめていたのだ。

「…お兄ちゃん…?」

「…『お兄ちゃん』…じゃない…。『要』だ」

「……要…」

 ためらいがちに、あずさが我舞の名を呼ぶ。

「……生きろ……。何があっても、絶対に」

「うん…」

「何かあったら、俺を呼べ。子供みたいだ…なんて気にせずに、絶対に俺を呼べ…。俺がきっと守ってやるから…」

「うん」

 今度は……。
 あずさの顎を軽く持ち上げ、我舞の方から唇を寄せた。
 もう一度、互いの存在を確かめるように…。

Fin