「・・・見えるか?
あの砦の向うでは、今も、こぜりあいが続いている。
・・・そしてミリエールの父親も眠ってる。
さかのぼればずいぶん前だな。
・・・俺がまだ、結構ガキだった頃の話だ。───」
ふっと唐突に真顔になったシオンは、ぽつりぽつりと語りだした。
この少女には、自分を哀れみと同情のおきれいな言葉で慰めてほしくないと、思いながら…。
「エスタスは俺の上官だった。
指揮官としては悪くなかった。
・・・だが、戦況ってのは変化するもんだ。
最善を尽くしたものの俺達は撤退することになった。
追っ手をまくために、俺達は部隊を二つに分けた。
どちらかが生き残るようにな。
・・・でも、人生ってのはいつだって残酷なもんさ。
結局生き残ったのは、俺がいた部隊。
・・・奴のほうに追っ手はかかり、
王都に帰ってみると俺が奴を囮に逃げ延びたという、まことしやかな噂が流れていた」
暮れゆく山々から視線を外す。
今彼に見えているのは過去の情景なのであろうか…。
恐い顔をして見上げているメイにふっと視線を落とすと、彼はゆっくり目を閉じた。
「噂はおひれがつき、戦況はいいように改ざんされ、部隊にいた人間は深入りを恐れ、口をつぐむ。
・・・沈黙は肯定と取られ、俺は『上官殺し』になっていた。
・・・でも、それでもいいと思った。
憎みやすい人間に、怒りをぶつける事で生きる目的が出来るなら・・・それでもいいと思った。
だから、俺は口をつぐんだ。
人の運なんて、どうしようもないが、もし・・・あの時反対の立場だったら、ミリエールの親父は死なずにすんだ。
それに・・・俺はわかってたんだよ、なんとなく。
エスタスの部隊の方が危ないって事を。
それを俺は、だまって飲み込んだ。
・・・あの時、
俺はあいつを犠牲にしたのかもしれん」
自嘲の響きで、吐息とともに吐き出す。
その時、メイは気付いてしまった。
わずかではあるがシオンの手が小刻みに震えているのを。
彼がそのことについてどれほど思い悩み、傷付き、でもそれでも全てを背負って今をしたたかに生きているということ。
誰でもひとつやふたつは持っている、後ろ暗い、傷。人によってその深さは違えども、それに潰されてしまわなかった彼が羨ましくも思える。
いや、……そういう振りをしているのか…?
メイにはよく分からなかった。
「・・・だが、自分についた嘘は一生頭の奥にこびりつく。
ミリエールを見たとき、最初に思ったのは罪悪感。
・・・償いをしてるつもりだったんだな。
だが、結局は傷つけただけだったのかもしれん・・・。
嘘でも、あのままでいられたらよかったのにな。
結構ああいうのは・・・嫌いじゃない」
そう言って彼は再び遠くに視線をやった。
遠くに街の喧噪が微かに聞こえる。
男性にしては長いまつげが、夕日に照らされてとても印象的だ。
そしてひとつにまとめた長い髪も、今は薄い黄昏色に煌めいている。
「死んだ奴に、何を言っても伝わらん。
・・・だったら、せめて残った奴になにかをしてやりたかった。
・・・何を言っても嘘になるなら、何も言わない方がいい。
だから言わないつもりだったんだよ」
そしてシオンは真っ直ぐにメイを見た。
「つきあわせてすまなかった」
「・・・シオン」
それは長い告白であった。
おそらくは本当に言いたくなかった。真実…。
笑顔を作りながら、軽口を叩きながら、いつも瞳の隅で揺れていた陰はそんな自分や世間に対するやるせなさ、諦め、傷心。
メイはただ真っ直ぐにシオンを見る。
慰めの言葉も、いたわりの言葉も、そして同調も、する必要はない。
もちろん、そんなことする気もない。
全てを分かっていて今も生きているなら、生きようとしているなら、それが答えではないか。誰だってその為の嘘ならつくと思うし、自分も多分つくだろう。
「なーんてな」
「・・・え?」
一人納得するメイをよそに、シオンがいつもの軽薄な口調で笑い出した。
「う・そ!」
「はああ!?」
「何を信じるのもお前さんの勝手さ。昔のことなんか思い出して何になる。
・・・どうしようもないことさ」
その言葉に、あっけに取られた彼女に何か言ってるようであったが、すでにメイの耳には届かない。
何事もなかったように軽口を叩くシオン…。
しかし、その瞳に宿る紛う事なき陰が、虚栄を揺らがせていた。
ふつふつとこみ上げてくる怒りがメイをついに爆発させた。
(どうしてこいつは……こんな風にっっ)
「こ~~のぉ~~っっ! 必殺、ろけっとぱーーーんち!!」
見事にみぞおちへ食い込んだ、強烈な一発であった。
「いてっ」
「意味ないなんて言わないの!
ミリエールはちゃんと生きてるんだし、シオンだってやる事やって生きてるでしょうが! 投げやりになってどーすんの、もう!」
怒りにきらきら輝く榛色の瞳。
目のふちを僅かに赤くして、うっすらと光って見えるのはひょっとして…。
(こいつはいつでもマジだ)
何事にも全力投球。
(自分のことは都合良くさぼるくせに…)
シオンは腹を押さえたまま、ニヤリと笑った。
「・・・そうだな。
やっぱり、女に殴られるのは効くぜ」
「少しは殴られないような言動を心がけなさいよ、
まったく。
世の中の真面目に、人生生きてる人たちに失礼でしょうが」
「真面目な奴、ね。
がむしゃらな奴、努力してる奴現実に打ちのめされてる奴。
・・・わかりきってる出来事に向かっていく真面目な奴等。
俺にはさっぱり理解できんが・・・。
嫌いにはなれないな。
・・・どうしてかな。
綺麗な奴ほど、早く死ぬ。
そういうのは、もどかしいな」
シオンはメイを見る。
(・・・こいつは長生きしそうだな)
メイは決して真面目ではない。
真面目ではないが、貪欲なくらい生の喜びを追求し、いつでも本気…だ。
異世界から突然この世界に呼び出され、本当は打ちのめされて毎日悲嘆にくれてもいいはずなのに、そんな重大な出来事の最中でさえ楽しんでいる。
「憎まれっ子世にはばかるってね」
「ははは、上手い事言うな」
「あたしの世界の言葉よ。
あたし、よく言われてたの」
「お前さんには似合ってるよ」
「悪かったわねぇー」
何故か、いつもに増して軽口が快い。
メイといると自分の憎まれ口は自分を守る剣ではなくなる。
守るものが無くても、彼女が盾になってくれるのだ。そう、無意識に。
本当は傷付いて、これ以上傷付きたくなくて怯えているシオンの心の。
「・・・お前には同類の匂いを感じるよ。
どうしようもなく、汚れた魂の匂いだ。
だが、底に光るものがある。
・・・女は不思議だな。
どんな年齢でも、一番深いところは汚れない。
男は弱いから、ずぶすぶと沼にはまっちまう。
体の繋がりなら、どうとでもなる。
・・・だが、その先は空虚だな。
心の沼を見ると、大抵の奴は差し伸べた手をひっこめる。
だから女は不思議なんだ・・・上手く嘘をついているのに、本能でそれを知るんだな」
そして、言うのだ。
『シオン様、お気の毒に…』
『気にすることなんてないですわ』
『そんなことないわ、悪いのは誤解している方』
だから何なんだろう。
そんな言葉が一体何になる?
慰められても、同情されても、泥沼の中であがくシオンには何の手助けにもなりはしない。
『私がそばにいますわ…』
みっともなくあがき続ける自分を側で見ていて、どうするのだろう。
一番見られたくない部分を、高いお綺麗な所から見下ろされている彼の気持ちは?
そんなのは、そいつの自己満足だ。
シオンの汚い部分を見て自分の偽りの清純さを思い、自分より汚い者がいるのだと安心する。優しく包んでいるつもりでも、シオンにとっては嘲笑して傍観しているようにしか思えない。そして決してその沼に足を踏み入れようとはしないのだ。
…だが。
「・・・でも、お前なら
わかった上ではまってくれるかな」
つい、口にしていた。
ここまでは言うつもりでなかった。
シオンは冗談めかそうと口を開きかける。
「沼ねえ…。恋愛は泥沼っていうけど…、あたしはけっこう好きだよそういうの」
思わず、目を見開いてしまった。
……そうだ、こいつはそういう奴なんだ。
そんな難しい事も本気で言うのだから……、おもしろい。
「おいおい、マジか!?」
「な、なんでそこで驚くのよ」
「・・・いや、冗談だったから」
「にゃにいいいっ!?」
一言一句ごとにころころと変わる表情。
決して“美人”というわけではないが、一つ一つの表情が生き生きとして煌めいている。綺麗で見取れるというよりも、新鮮で目を奪われる。
「はは、嘘だよ」
「いーかげんにしないと、張り倒すわよ!!」
再び握り拳を作り、恐い顔をして睨むメイ。
よほど悔しかったのか、またしても目尻に涙を滲ませている。
シオンはふっと瞳に真剣な色を浮かばせた。
「女に叩かれるのも嫌いじゃないぜ。・・・本気って事だからな。
愚かでどうしようもなくて泣き虫で・・・そういう駄目さが俺には似合う。
飾りたてた美しさよりは、本性の方がまだしもいい。
・・・永遠なんて、あっても退屈なだけだ。
過去も未来も、そして現在も・・・。変質していく過程がおもしろい。
光り輝くのも、腐っていくのも・・・それはおもしろい事だ。
俺の人生のうちでの、上り詰める瞬間も・・・転落していく瞬間も・・・お前に全て見せてやる。
変わっていく俺を、ずっと見ていろ。
一生退屈なんてさせないぜ・・・保証する」
それはシオンがメイの前で初めて見せた、嘘のない“本気”であった。
END
甘々にしたかったのに、EDのシーンを使ったためになんとなく甘くなりませんでしたね…(^o^;;
仕方ない、こうなったら裏にいっちゃおーかな♪
だって、ラストのイラストって絶対にそーなんだもの…。
(シオンのラストは三人ともそれのよう…)