gift for 晶
今日は久しぶりに泰明の休暇がとれた。
この前に休んでから実に一月ぶりぐらいの休暇にあかねは大喜びである。
たまにはとお弁当を持って、二人は船岡山へとハイキングに出かけてきたのだ。
爽やかな秋風の吹く山の上で、敷物を敷き、そこに座っているあかねの膝枕で、泰明はのんびりとした、しかしどこか心が暖かくなる「幸福」の時を味わっていた。
「はい、泰明さん。あ~んして……」
あかねの言葉に従い、素直に口を開ける泰明。
その口に、あかねは皮をむいた山葡萄の実をひとつ、そっと放り込む。
指が唇から離れる前に手首を捕まれ、口の中に転がった葡萄の実ごと、あかねの指は泰明の薄い唇の中に呑み込まれてゆく。
「あ……」
柔らかな舌があかねの指から果汁を丁寧に舐め取る。
指先に感じる心地よさに、あかねは頬を染めながらも抵抗できずに泰明の顔を見つめていた。
泰明もまた、じっとあかねの顔を見つめたままである。
その顔の封印は、今はない。
便宜上、陰陽寮に勤めに出る時はいつもの封印を施している。
しかし一度あかねのもとに戻ると、どうしてもすぐに封印がとれてしまうため、毎朝必ず再度封印し直さねばならなかった。でもそれもまた、泰明とあかねにとっては中々に嬉しいことではあったのだ。あかねが京に残り、泰明とともに暮らすようになってから四ヶ月。それは日課となったことである。
「あかね……」
琥珀の双眸が何もかもを忘れたように、愛しい少女をみつめる。
薄い唇から自分の名が呟かれる度、あかねの胸はくすぐったいような気持ちで一杯になった。
「こんなふうに穏やかな時間を過ごすこと……。それも「幸せ」だと思う。
おまえのそばにいるだけで、「愛しい」と「幸せ」と…もっといろいろな感情が溢れてくる。二人でいることは……、それはおまえにも私と同じ気持ちを与えているだろうか?」
「もちろん。
泰明さんがそばにいてくれる……。それだけで私は「幸せ」。
それに泰明さんが「幸せ」を感じてくれるなら、私ももっと「幸せ」」
考えることもなく、たちまちのうちに返る欲しい言葉。
泰明はにっこりと相好を崩し、膝枕していた頭を起こして向きを変える。
「天真が言っていた…。
あかねの幸せは私の元にあると。私と一緒にいることがおまえの幸せなのだと。
だからあかねを泣かせたら、どの時空にいようがすぐ吹っ飛んでくると、理不尽なことをさらりと言ってのけた。
あの時は考え付かなかったが、今思えば天真はあかねのことを「愛しい」と思っていたのだな…」
あかねの膝に顔を埋め、泰明は両手で彼女の膝を抱え込む。
頬を擦り付け、まるで幼子が母に甘えるように……。彼女の匂いで胸を一杯にする。
「先日、友雅にも同じようなことを言われた。
私のそばで、あかねは笑っているか……と」
顔を埋めているせいで幾分くぐもって声が響く。
あかねの衣をぎゅっと握り締め、息を止める。
(……このまま私が消えてしまったら、……それでもあかねは笑っているのだろうか……?)
友雅や天真の傍らで微笑むあかねが脳裏に浮かび、熱い塊が喉につかえてるようで苦しい。その塊はじりじりと泰明の胸を焼き、狂おしい想いを彼にもたらす。
この想いは一体なんとしたものであろう。
泰明は苦しげに呻いて、一層あかねの膝に顔を摺り寄せた。
あかねは泰明の言いたい事がわかってしまい、くすっと笑いを零す。
彼と共にずっといたいと、思う気持ちはそう簡単に変わるはずもない。
そっとあかねの手が泰明の髪を撫でた。
何度も何度も、繰り返し繰り返し……。
泰明の呼吸が元に戻るまで。
「天真くんや友雅さんの気持ち、とっても嬉しいと思う。
でも……私が「幸せ」を感じて笑える場所って、泰明さんのそばしかないよ?」
「だがもしっ」
一度落ち付いた泰明は、再び全身を緊張させて叫んだ。
今一番に不安な事。怖い事……。
天下に並びなき、類い稀な能力を持つ陰陽士。どのような物の怪、怨霊ですら恐れる事無く、その脅威を奪い破邪封印してしまう、同じ陰陽士達ですら畏怖する存在。
そんな彼がただ一つだけ、怖れること。
────── 消えてしまいたくない…。
自分でも止められぬ震えが急激に彼を襲う。
その下から、途切れ途切れに囁く言葉。
「私が……明日、消えて…しまったとしたら……、それでもお前は笑っているのだろうか……。
────── 他の誰か……、私でない者のそばで「幸せ」を感じるのだろうか…」
「泰明さんっっ」
突然に鋭いあかねの声が飛んだ。
泰明はビクっとして身体を縮こませ、尚一層あかねに擦り寄る。
そんな仕草に……、一瞬むっとしかけたあかねは毒気を抜かれ、苦笑を禁じ得ない。
子供なのだ………。
(この人の感情は、まだ芽生えたばかりの子供なんだ。純粋で無垢で……そして何より一途で……)
あかねには今泰明が抱いている感情がなんとなく分かってきた。
「苦しいの? 泰明さん…。
あのね、その気持ちはね、「嫉妬」って言うんだよ…。
泰明さんが私のことを他の誰にも渡したくないって思うこと。好きだから……、もしもの時を考えるととっても苦しくなるの。
────── 泰明さんは消えたりしない。
私はあなたのそばでしか…、他の誰のそばでもこんなふうに笑えない。
もしも泰明さんが消える時がくるとしたら……」
泰明は黙ってあかねの言葉を聞いていたが、「消える」という言葉に反応してぎゅっと目を閉じる。
(……もしも私が消える時がきたならば……………?)
「それは……、泰明さんが私のことを大嫌いになった時。
もう二度と顔も見たくなくて、話しもしたくなくて………、触れ合うことも……しなくなって………。それに私以外の誰かを好きになった時も、私の前からいなくなってしまうんだわ……」
あかねもまた、見えない“誰か”に嫉妬する。
想いすぎて、幸せすぎて不安になる。
その幸せが壊れるときの事を。
愛しくて、愛しすぎて怖くなる。
その心を失うことを。
「だから………泰明さんが私を好きでいてくれるのなら…。
泰明さんは消えたりしない……。人としての心が消えない限り、身体も消えたりなんかしないよ」
あかねはほうっと深呼吸すると、再び泰明の髪を手で梳いた。
(苦しいよ……。でもこの人の心を感じると、こんなにも幸せだと思えるなんて………それもまた「幸せ」っていうんだろうな……)
秋風がさやさやと枝葉を揺らしてゆく。
自然が作り出す優しい音だけに囲まれ、しばし二人の間に緩やかな時間だけが降り注ぐ。
あかねの心を感じる。
彼女に触れている場所から伝わる確かなぬくもり。
それだけが泰明を現実に繋ぎとめているものだ。
(……そうか……、あかねを愛しいと思えば思うほど、自分から他の男へとあかねの心が離れてしまうことを怖れて苦しくなる。自分だけのあかねにしたくて……、他の誰にも渡したくなくて……。その思いを嫉妬というのか……)
まだ胸に塊はつかえている。
不安はある。
しかし、その塊の正体を知ったことで泰明は落ち付きを取り戻し、再び幸せを噛み締めながらあかねの膝に縋り付く。
「……あかね……」
聞き取れぬほどの幽かな囁き。
あかねは黙って泰明の髪を撫でる。
「…………」
「……??」
それきり何も言わなくなった泰明を不審に思って、そっと様子を伺うと、微かな寝息を立てながら彼は眠っていた。
あかねの顔に浮かぶ「幸せ」の微笑。
────── 泰明さんは消えたりしない
もしもあなたが消える時は………私も一緒だよ…… ──────
先程はあえて言葉にしなかった思いをもう一度心で噛み締めながら、あかねは日が蔭るまで泰明の髪を撫でていた。
晶さんのキリ番リクエストです。
一見シリアスに見えて、実はかなりのろけ状態のような……(滝汗)
怯える泰明さんが………(うっ……(^^;;))