泰明は急いでいた。
いつも冷静な彼がまるで時間に遅れるかのように焦っていて、自然と早足になっていた。
今行ってもあかねに会えないのは分かっている。
終わる時間にはまだ早い。
それでも彼は思いに急かされて何時の間にか駆け出していた。
理不尽なことだと分かってはいるのだが、身体は真っ直ぐにあかねのいる場所に向かっていた。
「ね、ね、門のところに素敵な人がいるよっ」
「えっ?」
もうすでに帰り支度をはじめ、HRが終わったら速攻で帰れるよう準備をしているあかねは友人の声に首をかしげた。
「あかねも見てよ、ほんとに素敵だから」
あかねが学校に行き始めて一週間。
現代に戻って三日ほどは家族が大騒ぎで学校どころではなかった。
その騒動もようやく収まって登校したものの、今度は友人達の質問の嵐に揉まれ、それにもなんとか説明し……。まあ、両親や友人達が納得したかしないかは別として、ようやく一息つけたころだった。
(泰明さんよりすてきな人なんているわけないじゃない…)
恋する乙女の一途さで、あまり興味のない彼女は苦笑交じりになんとか交わそうとしたが、腕を引っ張られてしぶしぶ窓に寄る。
「ね? すごく素敵な人でしょ? かっこいいっていうより綺麗でなんかかわいいって感じ。高校生かな? それとも大学生? ……ひょっとして誰か待ってる?」
話を振った友人の隣りには、もうすでに彼女の姿はなかった。
「おいっ、あかねっ。校門のところにいるの泰明だろ? クラスの女どもがキャーキャー騒いでるぞ。あいつが学校にくるなんて、なんかあったのか?」
「わからない。……うちでなんかあったのかな…」
あかねが教室を飛び出し様、隣りのクラスの天真も同じように飛び出してきた。
「学校の場所は教えてあったけど、泰明さん迎えにきたこともないのに………。どうしたのかな…」
まだこの世界に来たばかりの彼は、不案内も手伝って一、二度程しか家の外に出たことがない。
二人は廊下を走り、階段を駆け下りて昇降口に向かう。
走りながらあかねの心は不安にかられた。
あの泰明が、ただ迎えにくるだろうか………?
でも本当に何かあったのならば、授業中だろうがなんだろうがかまわず入ってくるに違いない。
そう考えいたって少しは安心したものの、それならば尚更彼が迎えにきた理由がわからなかった。とにかく今は彼に理由を聞くしかない。
(ただ……私に会いたかった…ってだけなら、かなり嬉しいけど…)
あかねの心からはすでにHRのことなど消し飛んでいた。
「泰明さぁんっ」
生徒玄関を出るなりあかねは叫ぶ。
もうすでにHRが終わったクラスもあって、前庭には何人もの生徒達がお喋りに花を咲かせていた。
その中から即座にあかねを見付けた泰明は、目に彼女の姿を捕らえた瞬間、走り出していた。
「あかねっっ」
小走りに校門に近付いていたあかねと天真の二人は、泰明のただならぬ様子に顔を見合わせ全速力で走り出した。
「…一体何が…」
天真の呟きが後ろに流れて行く。
一抹の不安にかられながらも三人の距離が話しの出来るほどに近付いた。
「泰明さん、どう………っ!?」
みなまで言えず、あかねの身体は強引に抱き取られていた。
「ちょっ!? や、泰明さん!?」
「………」
「おいっ、泰明。一体どうしたんだよっ!? 何かあったのか!?」
天真の問いにも答えず、泰明はただあかねを抱く腕に力を込める。
「お前がこんなに焦ってる姿は、あかねが龍神を呼んだときしか見たことねぇぞ。ほら、何があったんだ? 言ってみろよ」
「泰明さん…ちょっと……苦しい…。それに恥ずかしいよ~~」
泰明の腕の中で真っ赤になりながら、あかねは彼の腕の中から脱出しようともがいてみる。
先程から周囲が騒然としていた。
それはそうであろう。
二ヶ月以上も行方不明だった噂の二人が前庭で、しかも一方の少女は真昼間から恥ずかしげもなく ─── 否、あかねは非常に恥ずかしいのであるが… ─── 男性と抱き合っているのである。皆の注目を集めぬはずはない。それにその男性は女生徒達が大騒ぎするほどの美貌の人なのである。
「泰明っ」
「泰明さんてば~~、ねぇ、どうしたの? 言ってくれなきゃわかんないよ~」
「あかね………」
ようやく二人の声が耳に入ったのか、泰明は少しだけ腕の力を緩めた。しかしそれでもあかねを離すことはなく、顔は彼女の肩に埋めたままだ。
そう言えば今朝はどことなく沈んでいたように思える。
何か悩んでる事でもあるのだろうか?
「泰明さん……?」
「………が…」
「え?」
「爪が……」
「爪……?」
泰明の言葉を繰り返すあかねに軽く頷くと、泰明はゆっくりと顔を上げ、彼女の瞳を真っ直ぐに捉える。
あかねは、この瞳に眩暈を覚える。
どんな人よりも「清らかだ」と言われていた龍神の神子であった頃の自分よりも、もっと、純粋で一途な視線。
守ってあげたいと思う。
いつまでもこの視線の先に自分がいたいと思う。
冷たい表情の裏に隠された優しさと激しさを見出した時、あかねにとって泰明は目を離せない存在になっていた。どんどん惹かれていく自分がわかる。思わぬ事で知った彼の出自の秘密すら、なんの障害にもなりはしなかった。守られている自分を感じる度、彼の為に出来ることを考える。
「爪ぇ~? あかね、何のことだ?」
「……ん……」
あかねと天真は泰明の爪をあらためて見てみたが、特に自分たちの爪となんら変わりはない。
「爪がいったいどうしたんだよ」
「爪が伸びている……」
「………………………………………………………………はっ?」
「爪が伸びている、と言ったのだ」
天真は、瞬間固まった。
あかねも一瞬何がいいたいのかわからなかった。
(爪が伸びてる…………って、泰明さん……いったいなにを…?)
慣れない世界での生活の疲れから、ちょっと錯乱してるのだろうか?
しかしあかねは思い当たることがあってはっと顔を上げた。
「泰明さん…………それって………もしかして………」
「わからない……。だが、この世界に来てからだ」
「ひょっとして顔の封印を解いたから? それともこの世界に来たから? ……でもそれってやっぱり…………」
あかねは大きく目を見開いて泰明の顔を見上げた。
泰明もあかねの顔を見つめたまま苦しげに顔を歪めた。
「どうでもよいと思っていた。私の最後の瞬間まであかねのそばにいられるならば、明日朽ち果ててしまうとも……。今でもその想いは変わらない。
でもそれでも私はどこかで期待していたのかもしれない…。
だから、知るのが怖いのだ。
もしもこれが思った通りの事でなかったら?
私が朽ち果てる前触れだとしたら?
あかね……、私を抱きしめていてくれ。離さないでいて欲しい…」
「大丈夫だよ、そんなに心配しないで。私はいるよ、ずっと……泰明さんのそばに」
あかねは微かに震えている泰明の背中に腕を回してきゅっと抱きしめた。
術によって作られた存在。
人でないもの。
そんなことは問題じゃない。
必要なのは彼が彼であること。
いつも二人でいること。
でももし、泰明とあかねの考えが同じでそれが正しいのなら……。
知るのが怖い……。
あかねもそう思う。
相手の幸せだけを望んだ。それがいつかそばにいたいと願うようになり、離れたくないと思うようになり……。望みは、欲望は限りない。
今までその望みは適ってきた。
そして最後にして最大の願いであること…。
期待しないとは言ってみても心のどこかで望んでいたこと。
もしも違っていたのなら、ひょっとして今よりも心に哀しみが残るに違いないから。
でもそれでも…。
「もしも泰明さんと私の思った通りでなくても、二人が一緒だってことは変わらないよ?」
「あかね…」
「おいおい、おまえら……。二人の世界は結構だが、ここに一人訳がわからないまま周囲の好奇の視線にさらされてる奴がいるってこと、わすれんじゃねーぞ」
「あ……」
「忘れていたわけではないが」
「どーだか…」
確かに、今三人は注目の的だ。
ひとまず泰明には待っててもらい、二人は一端教室に戻って荷物をとってくると、帰り道すがら天真に説明した。彼は何も、─── 泰明が晴明の術によって作られた存在であるということも ─── 知らないのだ。
「そうだったのか…。
お前が『爪が伸びてる…』なんて言った時は、こいつおかしくなったんじゃねーかとか思ったけどよ」
「今朝、あかねが学校に行ってから爪が伸びていることに気付いた。二年程前に私は作られたのだ。その時からこの世界に来るまで、髪も爪も少しも伸びたことはない」
「爪が伸びるってことは、身体が代謝してるってことだよね? 細胞が死んでる。そして新たに生まれてる。…ねぇそうだよね? 天真くん、私の考えてること、あってるよね?」
確かめる術は無い。
それでも誰かに肯定してほしかった。
たとえ真実は違っていても、それだけで二人の支えになる。
「ああ。俺もそう思う。お前は生きてる。俺たちとなんら変わりない人間だよ。……ひょっとしてその封印ってやつ、泰明の成長も止めていたんじゃないか?」
「大きすぎる力を制御するためにかけた呪いだと、お師匠は言っていた。その力を抑制するのはお前にはまだ無理だと。足りないものがあると。それが“感情”というものであることも知っていたが、特に必要はないと思っていた。…いや、邪魔だとすら思っていたかもしれない」
「足りなくなんかなかったよっ。泰明さんは最初からちゃんと感情があったもの。ただあんまりちっちゃくて、表面に出にくかっただけだもの。あるってことを知らなかっただけだよっ」
「あかね……」
胸が痛い。
暖かくて、切なくて、痛い。
その痛みを嬉しいと感じ、あかねを初めて愛しいと知った、あの北山でのことが思い出される。
“あなたは人だよっ”
“違うっ”
“………分かりました。じゃあ私はあなたを人だと思うようにします。あなたは人だよ、泰明さん?”
(そうか…………そうだったのか……)
人であるということを頑なに否定する泰明に、あかねが言った言葉。
魂の入った言葉は、それだけで力を持つ。
あの時初めて封印が解け、あかねの言葉が動き出した。
この世界に来る時感じた龍神の大いなる力。
泰明は立ち止まり、再びあかねを引き寄せ抱きしめる。
「や、泰明さんっ、また…」
「かぁ~~~っ、見ちゃいらんねーぜ」
ばしっと額を掌で打ち付け、天真が空を仰いだ。
「昨夜お師匠様が枕に立たれた。『龍神の神子の大いなる力に感謝するがよい』と、そう仰っていた。あの時はなんのことを言っているのかわからなかったが………」
「じゃあ、今朝少し沈んでいたのは、お師匠様の言葉を考えてたから?」
あかねの耳元で彼が頷く気配がした。
泰明はそっと身体を離し、その琥珀の瞳にあかねの姿を捉える。
「お前の言霊が私の中に浸透しているのが分かる。この世界に来る時も龍神の力に触れて、自分の中の何かが覚醒するのがわかった。
私を人で在らしめたのはあかね、お前だ」
言葉とともにあかねに贈られる極上の微笑み。
あかねは頬を微かに染め上げて俯く。
泰明のあかねを見る瞳が、優しく、切なげに融けてゆく。
「困った…。私は欲深なようだ。最大の願いがかなってあかねと共に在れるというのに、また一つ、望みが増えた」
「希望を持つのは、いいことだと思うよ。ねぇ天真くん?」
「そうだそうだ。もうこの際希望でもなんでも持ってくれっ」
幾分投げやりな天真だが、二人の事を喜んでいるのはその表情から明かだ。
「とりあえず、言ってみろよ。
本気で言葉にすれば、実現する可能性も高いんだろ?」
神妙な顔で頷く泰明を、あかねは微笑ましげに見つめた。
「次は………、私とあかねの子が欲しい」
「え?」
その言葉を理解したあかねが一気に顔を朱に染め上げて俯いてしまった。
「そ…………そりゃーいいやっっ。
おいっ、泰明。そういうことなら俺にまかせろっ。何も“言霊”…とかいうのに頼らなくったって、一から十まで子供の作り方を教えてやるっっ」
「て、天真くんっ、頼むからそういうことを大きい声で叫ばないでっっ」
「子の作り方なら一応知っているが」
「ばっかだな~。あの世界のその手の本なんて、肝心なことは書いてないじゃないか。女はな……複雑なんだぞっ」
自信満々、泰明に講釈する天真は、どうやらあっちの世界でその手の本を見てきたらしい。
「よっしゃぁっっ。そうと決まれば今からさっそく俺の家で勉強だっっ。いくぞっ、泰明っ」
「もうやぁ~~~っ、勝手に決めないでよ~~」
姦しく騒ぐ三人を見下ろす天の原で、青すぎる空がきらりと光ったような気がした。
どうやら泰明の次なる望みの叶う日も、そう遠くはないらしい。
泰明さん、もうちょっとあかねにベロベロにしたかったんだけどな(--;;)
でも月曜日に学校にいったあかねが、友人達からさらに質問攻めに会うこと必死(爆)
ま、そのぐらいはがまんしよーね~。ラブラブなんすから…