「たっかみちさぁ~ん♪ 早く~」
頃は水無月の初め。
さすがに太陽は肌を焼くほどに照り付け、動けば流れる汗の為に体力の消耗も激しいが、竜神の神子にいたっては、はたまた元気が衣を付けて歩いているかのように溌剌としていた。
鷹通はといえば、冶部省に勤める役人であるからして、特に常日頃から身体を鍛えているわけでもなし、また、交通手段も牛車である。同僚の青年と比べれば護身術ぐらいは身につけ、体力にも気をつけているつもりだが、なにせ夜が本領発揮の御所づとめ。自然と不健康この上ない生活を送るはめになってしまう。
早い話が神子の体力についていけないのである。
今日は気分転換のつもりであかねと案朱に来たのであるが、
『天気もいいし、歩きましょうよ』
その言葉に頷いたのがそもそもの間違いだった。
鷹通は喘ぎながらも溜息をつき、葉桜になってしまった木々を見上げる。
(花でも咲いていてくれれば、神子の歩みももう少し遅いでしょうね…。いえやはりこの次はもう少し近いところにしましょう……)
案朱の葉桜はその心の呟きが聞こえたかどうか……。
ともあれ今は早々に目指す橋のたもとまで行かないと休めそうにない。
鷹通は汗をぬぐって遥か前方を跳ねるように歩いてゆく神子の後を追った。
その場所はさすがに涼を得た風が吹いていた。
しかし見渡す限りでは先に着いているはずの神子の姿が見えない。
「神子殿?」
疲れきった身体をおしてとりあえず目の届く範囲の場所を捜してみるが、どこにも彼女の姿は見当たらなかった。
「おかしいですね…。先に着いているはずなのに」
青々と茂る草の上にただ風が過ぎ去るばかり。他に動くものは水の流れだけである。
「まさか追い越してしまった? …いえ、そんなはずありません」
ずっと分かれ道などなかった。
あかねが道なき道に進んでいったのなら話しは別であるが…。
「いくら神子でもまさかそんな……。……………………いえ、ひょっとすると…………」
その時であった。
鷹通が佇むちょうど真上の枝葉ががさりっと音を立てる。
「!?」
「なにが『ひょっとすると』なの?」
「神子殿っ!?」
葉をかき分けるようにしていたずらっぽい表情を浮かべたあかねが顔を出す。
「そっ、そんなところでっ、一体あなたは何をしてるんですかっっ!?」
「何してるって…………花見……かなぁ…?」
細い枝に横座りしながら足をぶらぶらさせている彼女は、とぼけたように答えた。
「危ないから早く下りてきてくださいっ。怪我でもしたらどうするんですか?」
「そんなに高くないよ~。鷹通さんも上ってきたら? 風がとっても……う~~ん、気持ちいい…」
さほど高くないとはいえ、ゆうに鷹通の身長を超えている。落ちたら命に関わらなくとも怪我をするかもしれないのだ。
そんな場所で、神子はのびのびとしている。
鷹通が乗ったならば折れてしまいそうな枝に浅く座り、上半身を枝に添って寝そべった姿はまるでしっぽを垂らしたネコのようだ。
しなやかな身体の線に目が止まり、鷹通の視線は自然に剥き出しの足へと滑ってゆく。
普段から膝よりも上の短い裾丈。
身体が寝ているので布地が引きつりいつもより白い腿の露出が高い。
鷹通とて健康な成人男子であるからにはつい、視線が吸い寄せられても責められるいわれはない。
───が、この時代にしてはかなり純情な(奥手ともいうが……)青年は、カッと一気に顔を染め、慌てて眼鏡をはずしながら俯いた。
「……?? 鷹通さん、どうしたの?」
「い、いえ……。そのー……神子殿、軽はずみな行動は…」
言葉の歯切れの悪さにあかねは自分の姿に目をやると、ピンとくるものがある。
(はっはぁ~~ん……。なるほど~。鷹通さんって…………かわいいっ)
十九の青年をつかまえて「かわいい」とはあんまりであるが、そんな新鮮な反応があかねには殊更好ましく映る。
そしてそれは鷹通とて同様。
てらいのない伸び伸びとした仕草は、常に仕事一辺倒で生きてきた鷹通にはとても眩しく、どうしようもないぐらい惹かれてしまう。
「み、神子殿っ。お願いですから下りてきて下さい。落ちたりしたら…」
「は~~い」
くすくすと忍び笑いながら素直に返事をしたあかねは、身体を起こそうと細い枝に手をかけた。
───その瞬間
「あぁっ!?」
「神子っ!」
ふわっと身体が浮く感覚。
天地が返る眩暈。
そして結構な衝撃とともに、あかねの身体は止まった。
「…………いたたた…………? って………それほど痛くないよ?
─── あれ? 鷹通さぁん? どこ~?」
身体の下に妙な異物感がある。
(えっ? ………………ひょっとして…………これって………)
案の定、あかねの身体の下には肉布団………もとい、鷹通の身体がクッション替わりと成り果てていた。しかも鷹通の顔を押しつぶすようにして彼女の胸が………。
「き、きゃあぁ~~、鷹通さんっ」
「○×☆□~~!!」
慌ててがばっと身体を起こすが、それに気付いた鷹通も茹蛸にも負けない真っ赤な顔をして上半身を起こしたものだからたまらない。鷹通の腹の上にまたぐようにして乗っていたあかねは、その反動でそのまま後ろにひっくり返り、薄いピンク色したお気に入りの下着を鷹通に披露する羽目に陥ったのである。しかも、目一杯恥ずかしい格好で………。
「◎△☆(◎◎)¥◇っっっ!!!」
鷹通の、意味不明の叫びにはっと気がついて慌てて彼の足の上に座りなおしたが、時すでに遅し…である。
じっとりと上目遣いに見るあかね。
朱に染まった顔で、口元を掌で隠すように覆う鷹通。
髪も乱れ、眼鏡もどこぞに吹っ飛んでいる。
互いに視線を外せず、一言も発せられず、ただ視線を交わすしかない。
無言の二人をせせら笑うように清流が歌い、涼風が吹き抜けてゆく。
「…………」
「……………………??」
ふとあかねが気付くと、鷹通の手の隙間から赤いものが流れていた。
────── ポタリ………
それは見る間に山吹色の直衣に褐色の染みを作る。
「いやんっっ、鷹通さん、はなぢ~~っっ」
「えっ…?? う、うわっっ!」
あかねは素早くスカートのポケットからハンカチを取り出すと鷹通の鼻を押さえる。
「横になって、早く~」
柔らかな草の上に身体を横たえた鷹通は、ゆっくりと目を閉じた。
彼が横たわるのを見たあかねは、ぱっと立ちあがってどこかへ駆けていってしまった。
このまま彼を置き去りにしていくことはないと思うが、ひょっとすると呆れてしまったのでは…と危惧してしまう鷹通である。
(な、なんて情けない…………)
こんな時、友雅などはもっと気の利いた反応を示したであろうに。色っぽい言葉の一つもかけて、場を取り繕うことも出来たであろうに…。
以前の彼であったなら、そこで果てしなく落ちこんでいったであろうが、今の彼は神子の影響で少々前向きであった。
(……とはいえ、私は私。友雅殿のように……などと夢想していてはまた神子に怒られてしまいますね。それにしても………)
先程のあかねの姿を思い出すにつけ、顔が火照ってくるのがわかる。
こんな時に不謹慎だとは分かっていても、妙齢の男性が当然示す反応が自己主張をしていた。
彼は必死に大威徳明王の真言を唱えながら妄想を振り払う。
(オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ……オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ…………)
いくら白虎を守護する大威徳明王の真言とはいえ、無意識に悪夢を消滅させるといわれている言葉を唱えている鷹通であった。(……どうやらあかねの下着は悪夢だったようだ……笑)
「大丈夫?? ごめんね~、鷹通さん……。もとはといえば私が木に登ったりしたからだよね……。ほんとに大丈夫?」
何時の間にかあかねが戻ってきていた。
ぴしゃりと冷たい布が額から目にかけて乗せられ、火照った顔に心地よい。
「ありがとうございます、神子。…あなたこそ、お怪我はありませんでしたか?」
「うん。鷹通さんがクッションになってくれたおかげで、かすり傷一つないよ」
「くっしょん……??」
「あっ…、それじゃ分からないか。う~~んと、この世界でいう、茵(しとね:綿を入れた布団のようなもの)みたいなものだよ。鷹通さんが下になってくれたから、私は全然大丈夫。それより鷹通さんの方が心配だよ」
「私はその…………なんともありません」
介抱されている姿であまり説得力はないが、特に痛いところもない。
それよりも神子の心遣いにほっと胸が温かくなる。
「すいませんでした…」
「えっ?」
「その………、私よりもあなたの方が……恥ずかしい思いをしたというのにその…、あなたをお慰めするどころか、私の方が取り乱してしまって」
「も~~~おっ、忘れてたのにぃっ」
横たわる鷹通の胸板を、拳で軽くポカポカ叩く。
「あっ、…すいません」
思わず謝る鷹通を見て、あかねはにっこりと笑う。
ちょうどその時、額にかかる濡れた布をずらして、鷹通はその笑顔を目の当たりにした。
(どうしてあなたはそんなに邪気なく笑えるのでしょう…)
高鳴る鼓動を感じながら、鷹通がふと彼女の服に目をやると、水干のしたにいつも来ている変わった衣が見えない。
「神子殿…。衣は、いつもお召しになっている水干の下の衣はどうなさいました?」
「あ……、あれ…? …鷹通さんの、額の上」
「え?」
そう言われてみれば、やけに大きい布だと思っていた鷹通であったが…。
「それではあなたが風邪をひきます。いくら水無月とはいえ、風は涼しいですから…」
むっくり起き上がると何やらごそごそ直衣を脱ぎ、その下の袿を脱ぐと、あかねに着せ掛けてやった。
「鷹通さん……」
微笑む彼の首に腕を回してしがみ付き、あかねは幸せそうに溜息をついた。
(なんか、いつになくいいムードだよね~~♪)
「神子殿…」
「『あかね』って呼んで…。鷹通さん……だいすき」
きゅっと少しだけ力を入れて頬を押し付けた後、待ちうけるように微かに唇を突き出して目を閉じる。
(今よっ、今っ。鷹通さんっ、チャンスよっ)
しばし、そのままの姿勢で待っていたあかねだが、いくら待てども口付けの気配がない。痺れを切らして目を開けると、ギュッと目を閉じて唇を噛み締める鷹通の顔があった。
「鷹通さ…ん…?」
「申し訳…………ありません…。少し離れて………頂きたいのですが……」
「えっ??」
「お……………」
「お?」
「お……さまりが………つきません」
「……?? ………………………………っ!!」
間を置いて、ようやく意味がわかった茜はさっきの鷹通に負けず劣らず真っ赤な顔をして叫んでいた。
「鷹通さんのバカぁっっっ!!」
後少しで平和が戻る、京の休息の日のことであった。
すいません……。ひたすら謝ります(T_T)
鷹通さんってホントはもっとシャイでかっこいいはずなのですが…(滝汗)
でも結構快感だったりして…(爆死)